第2話 山盛りフライドオンモラキ


 陸路を行く誰よりも早く私たちは食堂に辿り着いた。


 先客は先に飛んできたハーピーやエンジェル、ドラゴニュート、他にはウンディーネやシルフといったエレメンタルだけだ。


 私たちはビュッフェの料理を取り会計を済ませ、大庭園に面した窓際の席に陣取った。


「ちょっち盛りすぎじゃないッスか?」

「え? そう? いつも通りだと思うけど」


 リオが私の山盛りのプレートを見て言う。


 牛乳、マッシュポテト、薬草ゴロゴロミネストローネ、レッドリザードのソテー、食用マンドラゴラのグラッセ、フライドオンモラキ、ミラクルベリーソルベ。


 言われてみればリオのプレートと比べて三倍程の量がある。


「次は魔術実習があるから程々にしとけって言われたじゃないッスか」

「大丈夫だって、いっただっきまーす」


 フライドオンモラキにかぶりつく。

 遥か東の国の凶鳥オンモラキ、初めて食べる食材だ。


「んー、美味しい! 身は柔らかくて皮はパリパリ。揚げ加減が絶妙! 鶏肉にはない独特の臭みがあるけど、おばちゃん秘伝のスパイスが全体に良く染みてて、臭みが気になるどころか味わいが増してる! 控え目に言って絶品! あー、学園に来れて良かったー」

「丁寧な食レポどうもッス。一息ついたとこでこれ見て貰っていいッスか?」

「うん、何?」


 リオは鞄から一枚の大きな紙を広げる。

 紙面には連合統一文字が整然と並んでいる。


 右上には今日の日付、連合歴二〇八年六月十二日。

 真ん中にはどでかい字で『エルフの魔法使い失踪! 校内魔術対抗戦は中止か?』と書かれ、その後ろには何やら幼児の書いた人の顔のようなものが描いてある。

 逆三角形の頭部の横から髪の毛と思しき物体がチョロッと生え、三角形の中には眉と目と鼻と口の位置に線が引いてある

 勇者一行の一人、エルフの魔法使いの似顔絵のつもりだろうか。


 似顔絵を見つめていると口と眉の角度だけが動き、無表情、笑った顔、険しい顔、泣き顔を順番に浮かべた。

 絵のクオリティに反比例した高度な動画魔法がかかっているようだ。


「新聞の一面……だよね?」

「そうッス。なんか気づくことないッスか? 何でも忌憚なく言ってみて欲しいッス」


「うん。まず文字の大きさと形が一定だよね。だから写生じゃなくて、活版印刷で刷られたのかな。でも絵が動いてるから複製魔術で魔法ごとコピーされたか、もしくはこの紙が原稿だよね。あと新聞の発行日が今日の日付だね。王都やドワーフの都の新聞は学園に届くまでに丸一日はかかるから、これは学園内で刷られたのかな。見出しも対抗戦の話だし」


「くぅー、やっぱりパメラさんは鋭いッスねえ。脱帽ッス」

「でも個人的に一番気になるのは、大衆に配る新聞にしては絵が下手過ぎると──」


「そこはほっといて欲しいッス」


「あっ、ごめん。ひょっとしてこれリオが描いたの?」

「そうッスよ! この前スルーされたフリーデンハイム学園新聞の第一稿草案ッス!」


 その一言で朧げな記憶が蘇る。

 そういえば新聞を作ろうと言われ生返事をした気も……。


「あ、あれ、ホントにやる気だったんだ」

「当然じゃないッスか! ウチは悲しいッス。パメラさんと学園で出会ってこの二ヶ月、ウチが嘘を吐いたことが一度でもありましたか?」


 リオが露骨な泣き真似をして見せ、私は料理を頬張りながら思い出して答える。


「うん、七回くらい」

「それらは全て結果的に嘘になっただけッス。口から出た時は常に本気ッスから」

 

 リオはケロッと一切悪びれず言い切った。

 流石連合一の大商会の娘、図太さは人一倍だ。


「でも原稿ができたのは分かったけど印刷はどうするの?」

「印刷は実は問題が無いんス。ウチ、寮に実家から活版印刷機を持ち込んでるんで」

「えぇ、凄い! 凄いけど何で?」


「元々入学前から校内新聞を発行する算段はあったんスよ。世界中の種族の有力者の子息が集まるフリーデンハイム学園で、新聞の概念を植え付けて自種族領に持ち帰らせれば、数年後にはウチの傘下の新聞社のシェアが鰻上りッスからね。そんで商会でメディアを独占できれば、ウチの世界征服の野望に一歩近づくって訳ッス」


「じゃあなんで四月からすぐ新聞を配り始めなかったの?」

「それはひとえに識字率の低さッス!」


 ふとこちらに近づいて来るオーガの姿が目に入り、なるほど、と私は納得する。


「元魔族同盟種族の連合統一文字の識字率が、予想より遥かに低かったんスよ! フリーデンハイム講和で連合統一文字が世界標準になってから十五年も経ってんのに、魔族側の種族の大半は上流層のガキですら読み書きできないんスよ? 今までどうやって意思疎通して戦争してたんスか、トロルとかハーピーとかオーガ──もがッ」

「リオ、ちょっとストップ」


 興奮するリオの口に、私は食べかけのフライドオンモラキを突っ込んで黙らせた。


 私と同じくらいフライドオンモラキを盛った、翠玉のオーガが横を通り過ぎる。


 食堂の席もだんだん埋まってきた。

 あまり不用意な種族対立を煽る発言は危険だ。


 オーガが離れた席に着くと、フライドオンモラキを咀嚼し終えたリオが再び口を開く。


「すんません、ありがとうございました。美味しいッスね、フライドオンモラキ」

「でしょ? それで、なんで今になって企画が動き始めたの?」

「それはッスね、明後日の夜、遂に実家から届くんスよ、魔導輪転機が!」


「魔導輪転機?」


「魔導工場で七機だけ見つかった、複製魔術をフルオートで唱える装置ッス! ドワーフのオッサン達が目下解析中ッスが、量産の目途もつかない国宝級の超レアものッスよ!」


「……ふーん」


「あ、パメラさん、さてはあんまメカには興味ない人ッスね」

「うん、なんか高そうってことはわかった」


「フッ」

「そのバカを見るような目やめて。それで魔導輪転機が来たからなんなのさ?」


「さっきの識字率の話に戻るんスが、文字が読めない相手にどうやって情報を伝えます?」

「そりゃまずは音だよね。それから────絵、かな」


「そう絵ッス。この学園で新聞を普及させるには絵が必要不可欠なんスよ。活版印刷の絵は版画。でも版画を掘れるヤツなんていないッスよね。一方で複製魔術は──」

「複製魔術は絵も複製できるけど術者の負担が大きすぎる。大量の新聞の印刷には不向き。リオは絵付きの新聞を量産したいから、この二ヶ月魔導輪転機を待ってたって訳だね」


 あ、これヤバい流れだな。

 私はリオの意図を察し、急いで最後に残ったソルベを口にかきこんだ。


「御名答! さらに言えば複製魔術なら絵を動画魔法がかかったまま複製できる。情報を伝えるなら文字より絵、絵より映像! つまり魔導輪転機が来れば、校内新聞発行のための条件がほぼ全て整い、世界征服の第一歩が踏み出せるって訳ッス!」

「そうなんだ! やったね、リオ! 新聞、広まるといいね! 応援してる!」


 私はそう捲し立てオンモラキの骨だけ残して空になったプレートを掴み席を立つ。

 だが、立ち上がった私の制服の袖を、リオが万力のような力で掴んだ。


「さて、新聞発行のために最後の一つだけ条件があるんスが、何だと思います?」

「さ、さあ? な、何かなー? わ、私先に修練場に──」

「察しが良いパメラさんのことウチは大好きッス」

「う、うん。私もリオのこと大好きだよ」

「ならもうウチが次に言うことはわかってるでしょう? パメラさん?」


「はい! 嫌です!」


「ウチの新聞の専属イラストレーターになってください!」

「リオの頼みでもそれだけは嫌!」


「カワイイ声で、何でも言うこと聞いちゃう、って言ってたのはどこの誰ッスか!」

「あっ、言った。言ったけどそれはまた今度でお願い! 一回パス!」

「子供かッ! 何で嫌なんスか? 落書きでもあんなに上手いじゃないッスか! 例えセント・ゲオルク大聖堂の壁画を描いても、誰も非難しようがない腕前ッスよ!」


「だって私の絵は自己満足の趣味の絵なの! それが衆目に触れて、ましてやお金が関わるようなことになったら、のびのび好き勝手描けなくなっちゃうじゃん!」


「それは素人の言い訳ッスよ! 他人に評価されて、市場原理に触れて、責任に晒されれば、必ず品質の飛躍があるッス! パメラさんなら絶対ファン群がりまくりのちやほやされまくり! 他人の評価がさらなるモチベに繋がって大勝利する未来しか見えないッス!」


「でも人に評価されるのは怖いよ。けなされて、傷ついて、描けなくなるかも……」


「大丈夫ッス! 黙々と一人で絵を描き続けてたパメラさんは、描くこと自体が好きなんスから、人にどう評価されても絵を描き続けられるに決まってるッス!」


「そうかな……」

「そうッスよ! それともなんスか? パメラさんがここで断ったら、ウチはコレを学園中にバラ撒くことになるんスよ!」


 リオは食卓のフリーデンハイム学園新聞第一稿草案をビシッと指差して叫んだ。

 逆三角形の頭をした泣き顔のエルフの魔法使いと私の目が合う。

 この幼児の落書きが学園中に、未来の支配者達の前にリオの名で出回る……。


「生き恥…………」

「そこまで言うッ? そう思うんなら助けて下さいよ、パメラさぁん!」


 友情と哀れみ、その反対に恐怖と矜恃を載せた私の中の天秤が揺れ動く。

その時だった。


「あっ」


 食卓の脇で誰かがバランスを崩した。

 その誰かの持つグラスから水が勢いよく零れる。


「冷たッ」

「ギャー!」


 零れた水は少し私にかかり、紺碧のスカートを濡らした。

 向かいではリオが絶叫する。


「も、申し訳ありません! 大丈夫ですか?」


 水を零した誰かがすぐに濡れた私を気遣って声を掛ける。


「うん。私は大丈夫。キミこそ怪我はない?」


 私は声の主を見上げた。

 紅いメイド服を着た亜麻色の髪の少女だ。

 耳は尖ってない、背丈から察するに人間だ。


 そしてその顔には見覚えがあった。

 彼女の名が私の口から零れる。


「あっ、ジゼル」


 ジゼル=リーベルト。

 私の知る限り最も有能で忠実な天性の従者。


 そして同時に思い出す。

 ジゼルがここに居るということは──。


「あぁ、お久しぶりです、パメラ様。どうかお召し物を拭かせてください」


 ジゼルはポケットからハンカチを取り出し、私のスカートを拭こうとする。


「いや、私はいいよ。それよりも……」


 自分のハンカチを取り出しジゼルを制止して食卓を見る。


 新聞原稿はびしょびしょに濡れていた。

 インクが滲み、エルフの魔法使いは名状し難き何かへと変じてしまっている。


「申し訳ありません。大切なものでしたよね」


 ジゼルは原稿をハンカチで拭こうとする。


「あー、いいッスいいッス。どうせ改稿する予定で──」

「そうですわジゼル。そんな幼児の落書きの為に、貴女のハンカチにシミを作る必要は火鼠の毛程もありませんわ」


 ジゼルを許そうとするリオの言葉を遮り、ジゼルの背後の人物が言葉を紡いだ。


 ──やっぱり居たか。

 私は振り向きその人物を見上げる。


 漆黒の髪を腰まで伸ばした紅い眼をした人間の女だ。

 ヴァンパイアにも勝るとも劣らぬ美貌に紅玉の制服がこれ以上なく似合っている。

 豪奢な扇子で口元を隠す不遜な態度は王者の風格を存分に漂わせていた。

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