第一章 謎の世界へぶっとびました

第1話 まったく身におぼえがありません

 俺の名は、田中健人けんと

 なんちゅうふつーのネーミングなんだと思うだろ? 俺もそう思う。

 苗字が超ふつうなんだから、親ももうちょっとなんかこう、名前の方にはひねりをかせてほしかったよなあ。しっかり正式に戸籍に載っちまった今さら言ってもしょうがねえけど。


 けどまあ、いいんだ。いずれプロ野球選手になったあかつきには、俺の大尊敬するイチローさんみたいにカタカナの名前にすればいいことだし。

 とかなんとか言ってるが、俺の所属していた高校の野球部ってのは、どうしようもない弱小部だった。人数だって二十人いないし、地区予選で、せいぜい二回戦どまりの弱小校。

 ……あの一年生が入ってくるまでは。


 どういうわけだか知らないが、中学の全国大会ですでに名をとどろかせていた剛速球もちの名ピッチャーが、あんな田舎の普通の高校に入ってきたと知ったときには驚いたもんだ。

 去年の秋から一応うちの部のキャプテンを拝命していた俺は、さっそくそのすごいルーキーを探しに行った。……っていうか、そいつがどうやら野球部に入る気がなさそうだって聞いたからなんだけど。

 「いつになったら野球部に来るんだ?」と思ってたら、なんか帰宅部希望だったらしい。最初に知ったときはおどろいたね。


 なんかアレだよ。

 あの有名な小説「バッテリー」を彷彿ほうふつとさせる話だろ?

 あ、「バッテリー」は俺の愛読書だから。小学生のときにハマり倒して、それで中学から野球部に入ったのが俺だから!

 まあその一年生は、あの主人公みたいなめちゃくちゃとっつきにくい性格じゃなかったんでよかったんだけどさ。

 けど、なんやかんやあって野球のことで傷ついて、高校では野球部に入らない……とかなんとか、ひとりで悩んでこじらせてたってわけだ。わざわざ田舎の、野球部の弱い学校を選んだのもそのためらしい。


 俺は必死で、チームメイトと一緒にそいつの説得にあたった。

 そりゃもうあいつの教室に日参したわ。もはやストーカーかってぐらいに。


『いいんだよ。結果とかなんとかは二の次だ。お前、投げてえんだろ? 本当は』

『そりゃできれば俺たちだって勝ちてえよ。でも、チームメイトがいやいやプレーしてんのをほっといて、自分らだけ勝ちてえとか思わねえし』

『とにかく、楽しく野球やろうぜ。せっかくの高校だろ。一度しかねえ高校生活じゃん。好きなこと、思いっきりやろうぜ』ってさ。


 結果、そいつはうちの部に来てくれることになった。まあそこまではなんだかんだあったけどさ。

 そして、いよいよそいつも交えて最初のグラウンド練習が始まった日。

 噂にたがわぬ剛速球。しかもコントロールも抜群。


「すげえ!」


 ってチームメイトと手をとりあって喜んだつぎの瞬間、だれかが「危ない!」って叫んで。

 ものすごい衝撃がきた。俺の頭に。

 たぶん、だれかの打ち損じた球でもぶち当たったんだろう。

 俺の記憶は、そう思ったところで途切れている。


 ──で。

 次に目を覚ましたらこうなってたってわけ。

 一応、事態を確かめようと窓際に立ち、外の世界を眺め渡した俺は頭を抱えた。

 見渡す限りの広大な敷地に、よく手入れされた広い庭園。遠景には、絶対に日本じゃ見たことのないような広々とした高い山脈がつらなっていて、頭に雪をかぶっている。

 いやだから、ここどこよ。


「あああ……悪夢だ。これからだったのに! 俺の甲子園の夢をかえせ──!!」


 鏡に向かって絶叫し──その声もしっかり女のものだ──髪をかきむしっていた俺に、背後から誰かが声をかけた。


「あ、あの……。お嬢様……??」

「ん?」


(おおお!?)


 ふりむくと、めっちゃ可愛い美少女が立っていた。いや立ちすくんでいた。ものすごく心配そうな目をしてこっちを見ている。

 肩までの茶色い髪に、優しそうな灰色の瞳。

 その大きな目が今にもこぼれおちそう。こぼれ球よろしく、拾いに行きたくなっちゃうのは職業病か。

 そして──


「こっ、これはもしや、メイドさん……!? あの有名な!」

「は、はい……?」


 そうなんだ。

 その子はアニメや映画なんかでもよく見かける、黒地のドレスにひらひらのついた白いエプロン姿だった。頭にも白い何かをつけている。確かヘッドドレスとかいうんだっけか。

 いやあ、超かわいい。目がくるっとしていて小柄で細身。黒いタイツをはいた足首もきゅっとしまってて俺好み。


「お、お嬢様……お、おはよう、ございます……」


 女の子はぷるぷる震えながら俺に頭を下げている。なんか小動物みてえ。

 ってか、なんだろうこれ。

 この子、明らかに日本人じゃねえ顔立ちなのに、なんで言葉が通じるの?


「あ、うん。おはよー」


 なんとなくいつもの習慣で片手をあげて返事をしたら、彼女はぴくっと体を震わせた。もともとよくなかった顔色がさらに悪くなっている。

 大丈夫かこの子。倒れちゃったりしねえよな?


「あの……お嬢様? どこか、お身体の具合でもお悪いのですか」


 少女はほとんど目に涙をうかべんばかりにして俺を見上げている。俺のほうが、その子よりちょっとだけ背が高いからだ。


「へあ? ……あー。んー。体の調子は……別に悪くない、かなあ」


 俺はへらっと笑って頭をかいた。

 いや、たぶん調子が悪いのは頭のほうだし。

 いやいや、体の調子もすこぶる悪い。大体、なんだよこの巨大な肥満体はよ!

 健康にいいか悪いかっつったら、この肥満状態がいいわけねえだろ。


「あ……あの。お嬢様……?」

「あ、うん。大丈夫。ノープロブレム! ええっと──」


 言いかけたとき、頭の奥のほうでパッとある名前が浮かんできた。


「……エマ」

「はいっ」


 ぱっと女の子の顔が明るくなる。

 おっ、これはこの子の名前らしいぞ。ってことは俺、この女の記憶の一部を持っているってことか? よくわかんねえけど。どういうしくみかわかんねえけど、都合がいいなあ。ほんとにこんなんでいいのか。

 でも、自分がだれで、ここがどこなのかまではわかんねえぞ。


「えーっと。驚かないで聞いてほしいんだけど……」

「は、はい」


 美少女──もとい、今や「メイドのエマ」となった女の子──は、ごくりと喉を鳴らしたようだった。


「ごめん、俺……いや私? ってだれだろう」

「…………」


 途端、部屋の気温がしゅうっと一気に下がったような気がした。

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