波の花
若槻きいろ
第1話 波の花
人魚姫の最期みたい、と貴女は言った。
高校最後のこのくそ寒い日を、何故よりにもよって選んでしまったのか。二人で合羽を着て、海よりほど近い、高台にある灯台で早朝から待ち構える。真冬の、いっとう寒いこの時期の光景を見る為だけに。
薄暗い雲の下、寄せ集まったしろが、不規則な飛沫が、花のように風に乗って舞い散っていく。白く泡立つ波が生み出すそれはまるで雪のよう。見た目ばかりは綺麗だけれど、実際の花から届く匂いはいかんともしがたい。死んでいった微生物が生み出す、腐敗の匂いだ。
ぐすん、と鼻を啜った音が耳についた。ふと気になって見上げると、貴女の長かった髪が風に、波に攫われていく様を見る。ぱちくりと目を凝らせば、貴女の髪は肩口で揺れていた。
見てくれはクラスでも指折りになるくらい可愛らしいのに、こんな風に悲劇のヒロインぶった貴女は可愛くない。同性からも疎まれていると知っているはずなのに、それでもこれが私なのだと貴女は変える気配がなかった。
「こうして、私に忘れるなと見せつけるのよ」
こいごころを、と貴女は呟く。ぽこぽこと生まれる、生物のなきがらたち。ましろが藻に混ざって変色していく。濁った灰色に堕ちていくのを、貴女はひたすら見ていた。
すん、とまたもや隣で鼻が鳴った。啜っていた鼻水は寒さなのか、それとも。わかっているなら、見に来なければよかったのに。指のさきから海風の冷たさが染みていく。風の冷たさを紛らわすように、私は身をぎゅっと抱え込んだ。
波の花のことを偶々見せたら、行くと言って聞かないのは貴女だった。丁度一方的に恋慕して、潰えた花を抱えては嘆いていたから、私は断るに断れず連れてきてしまった。哀れなひとだ。相手に同調して、身に置き換えて、拒否されたなら身勝手に悲しむ。自分勝手な、かわいそうと自分にレッテルを張る。けれどなんだか、見捨てられない。
「いっそ波に乗って、何もかもを忘れて、何処までもいけばいいのに」
望みは叶わなかったんだから。そう呟く貴女は、そうはならなかった儘ならさを憂いているよう。
そういえば、人魚姫の最後は、泡になって消えるのだったか。それが、今、眼下に私はここだと、ここにいたのだと。花を咲かせては見せつけるさまを、忌々しい、と貴女は言う。同族嫌悪みたいだ。そして人魚姫のように潔く消化できない自分を疎んでいる。忘れきれぬ恋心と、自身の割り切れぬ心持に貴女の心は犇めいているように聞こえた。
けれど、忘れてはならない。お話の中の王子さまは、人魚姫が泡になったことすら知らず、幸せに生きていくだと。つまり、貴女の想い人は、何もしらずに日々を過ごしていることになる。
悔しくはないの、と私は聞いた。貴女が不幸にみえたから、ではない。実らない花実にこだわって、ずっとそのままな貴女がその重さで潰えるのではないかって不安になったのだ。貴女のしていることは、何処にも行き場のない感情を悼んでいるようだったから。
きょとん、としながらも、ないよ、と泡ぶくに吞まれてしまいそうな程きれいな笑みを私に返した。朽ちた花を抱えたままの、あわくきれいな笑みだった。
「確かに忘れられないし、いやにもなるけれど、それでもいいの」
だいじなの、と呟かれた言葉は、ざんっとひと際大きい波に呑まれていった。その笑みを私に向けないでほしい。無性に自分が哀れになる。貴女はまだ、この海に花束を投げ出す気がないらしい。散々人に愚痴っておいて、本当に身勝手な人だ。
私の瞳に薄い膜が張ってゆく。零れ落ちぬようにと息を飲んだ。
「私、なら」
言い淀んで、何でもないと口を閉ざした。 キン、と感情が音を立てて凍って砕けて死んでゆく。ざん、と白い波が散って、舞って、すぐに波に溶けた。嗚呼、貴女が今見えているのはここじゃないのだ。おんなじ景色を見ているようで、見ていない。けれど、ここにいるのは貴女と私の二人だけ。
私なら、最期まで貴女の傍にいるのに。泡になっても、すぐに溶けてしまう幻みたいでも。他のぜんぶを放って、貴女のもとに駆けてくのに。
ざぁ、と小さく水面が揺れた。波に乗った花がばらけた花束みたいで、いっそ、と心ひとつを一緒にその海へ投げ捨てた。人魚姫が王子への想いを打ち明けることなく身を投げたように。叶わぬ望みを貴女の分まで。
花束は早くも塵尻になる。その様子をみて、さようなら、と私は呟いた。
fin.
波の花 若槻きいろ @wakatukiiro
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