ルームメイト

「寮、出たい」

「電車で二時間通うのキツイ」


 そんな些細なきっかけで、私たちはルームシェアを始めた。

 寮は出たい。実家は出たい。カネが心もとない。

 だけど、家賃生活費折半ならいける。

 至極シンプルな利害の一致。


 ノリで提案した同居にも関わらず、話は恐ろしいほど順調に決まっていった。

 もともと一番気が合う同士だったし、親だってべつに仲悪くなかったから。

 大学三年生の春。

 二年間だけの、賃貸契約だった。





「うわ、今日は何買ってきたの」

「ホームベーカリー安くなってた! もうすぐ正月だから餅食べたいじゃん」

「また無駄遣い……かさばるし部屋出る時に困るだろうが」

「そん時はあげる。卒業したらどこ住むのか知らんけど、パンでも餅でも好きに焼いたらいーじゃん」

「私に後始末を押し付けるな」


 彼女は眉を片方上げて、狭いキッチンを一瞥した。

 そもそも今、この部屋のどこに置く場所があるんだよ、きっとそんなことを訴えている瞳だ。


「……あー、あと私、卒業したらたぶん地元帰る」


 キッチンのキャパに余る家電から逃避したのか、彼女は諦めて緑茶を飲んだ。


「え、こっちで就職しないの?」

「そのつもりではいたんだけどなー……」


 言いづらそうに言葉を切るから、理由を聞けない。


「私は実家こっちだからな……帰るとか帰んないとか、そういう感覚はわからん」

「はは、都会生まれは得だよなあ」

「え、じゃあまじで、あと」

「なに」


 あと一年半も一緒にいれないの、と告げようとした言葉を飲み込んだ。

 なんだかそれは、ひどく未練がましいものに思えたからだ。


 彼女との生活は二年間だけ。延ばすつもりも、延ばすための努力とかセキニンを負うつもりもない。

 だから、あからさまな未練を口にするのは、何か違うと思った。


 私はいつも通り、ちっぽけなキッチンテーブルの向かいに座る。

 そしてBGM代わりに、好きなチャンネルの新着動画を再生し始めれば、彼女も興味を示してクスリと笑った。


 壁の薄い隣の部屋から、親子が風呂場で歌う、ご機嫌な声が聞こえてくる。

 他愛ない日常の中に彼女と時を重ねていることを、とても穏やかだと思った。





 授業開始ギリギリに到着するから、たいがい最前が定位置になる。

 隣には同じようなやつがいて、たまにつるむことがある。その子は、彼氏のためにどっかの時計を買うとか、そのためにシフト増やしたとか、そんな感じの話を振ってきた。


「そっちは何かプレゼントしたことある?」

「あー……最近はホームベーカリー」

「ホームベーカリー!? 彼氏、料理するの?」

「うん、手料理食べてる。羨ましいだろ」


 嘘だった。あのホームベーカリーは結局、私しかロクに使ってないし、その私ですら正月に二、三回餅作って満足して終わりだった。

 それに彼氏でもない。

 だけど、こういう話題の時は、あいつとのエピソードを話しておけばそれっぽくなるから楽だった。


 あー、私もそういう自分にも還元されそうなプレゼントにしようかな? と悩みだした同級生を、ぼんやり見守っているうちに講義を告げるチャイムが鳴った。





「ねえ、誕生日なにが欲しい?」

「なにも」

「なんで!?」


 私が大声を出すと、彼女は片方の眉を上げて首を振った。


「だってあんた、誕生日でも何でもないときにも色々買ってくるじゃん。充分だって」

「それと誕プレは別じゃん」

「たった二年しか住まないのに、こんなにモノ増やしてどうすんだよ」


 彼女が困ったように笑うから、胸の奥がくすぐったく疼く。


 それは逆だ。

 言葉を飲み込んだ代わりに、短い吐息を零した。


「じゃあ次は残らないものにするから。ケーキは? 一緒にケーキ選ぼ。で、予約しよ」

「予約? いいよそこまで大袈裟にしなくても」

「ホールケーキに名前書いてもらうよ私」

「子供じゃん」


 【バーステーケーキ 国立 予約】で検索して、画像欄に並んだ色とりどりのケーキを見せる。


 これ美味しそう、と彼女は素直に指を差した。ちっぽけなテーブルを挟んで、ちっぽけな部屋で。

 たくさんのモノに溢れた空間で、彼女は笑う。


 私のお気に入りの雑貨、彼女へのプレゼント、ふたりの共用の家具。

 たった二年だから、なんて、私にとっては逆で。

 たった二年しかないから、少しでも、この空間を埋めていたかった。 



 そして、二年なんて、あっという間だ。





 私が最後に差し出したものを見て、彼女はいつもの表情になった。呆れた時に片眉を少しだけ上げる仕草で、私をまじまじと見る。


 空っぽの部屋から見下ろす見慣れた道路。側溝に桜の花びらが詰まっている。ぐしゃぐしゃに萎びてしまった綺麗だったものが、さみしさを無性に加速させた。


「あげる。スマホケース」

「急に、なに」

「これしか思いつかなかった」


 アクセはつけない。タバコも吸わない。そんな彼女がいつも、肌身離さず持つもの。


「ありがとう……? でも、これ」

「次はその機種にしたいって言ってたじゃん」

「……まだ買うって決まってないよ」

「それでも、持っててよ」

 

 彼女の視線がスマホケースへと落ちた。その瞳は明らかな困惑を含んでいる。


「なんで?」

「私たちの部屋、来月から別の人が住むんだよ。赤ちゃん連れの夫婦だってさ」

「で?」

「なんか、さみしいじゃん」


 そうやって私たちが過ごした跡なんてなくなっちゃうから。

 せめて名残を引きずるような執着で、カタチだけでも残したいと願って。

 

 私は、いつもそうして、モノに託すしかできないんだ。

 目に見えないものの証明は難しいから。

 この感情につけるべき名前を知らないから。


「好きだったよ」

「……あのさ。私とそういう関係になりたかったの?」

「……わからん」

「わからん、って何だよ」

「でも、あんたに忘れられたら嫌だよ」


 わからんって何だよ、と彼女は同じ言葉を繰り返して言った。

 そして、黙ってしまった私に、顔を近づける。

 かさかさとした粘膜が触れたかと思えば、あっという間に離れていった。


 彼女の唇よりも、背に当たる日差しに、なまなましく温かさを感じた。


「……わからないんだ」

「そうみたい」 


 やっぱり、わからない。それ以外、特に感想はなかった。

 このキスの先に、一生をハードモードにしてまで追い縋る価値があるのだろうか。

 わからない。


 ひと時の線を越えられない、曖昧な未練は、彼女の手の中でかたく藍色に光る。


 でも、


「あげる」

「困る」

「受けとるだけでいいんだって」


 でも、誰か知ってよ。ここに大好きな穏やかな時間があったことを。

 たとえあの子が忘れたとしても、誰か。


 何も返さなくていいから、持ってて。

 いつか薄れて消えていくかもしれない思い出の中に、一生、持っていてほしい。


「……わかった。じゃあね」


 彼女と彼女の荷物が、ひらいたドアの向こうに消えていく。階段を遠ざかる足音が、やがて春陽に溶けた。

 この手の中に何も残らなくても、私は一生彼女のことを忘れないだろう。


 地元に帰ったら彼女は、スマホをあのケースに合う機種に変えてくれるだろうか。

 眼下の歩道を見下ろせば、桜がひとひら、春のコンクリートに散った。

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