マクラ


「『猫のけいこ』という浮世絵がございます。そのむかし東京がお江戸と呼ばれたところの、東京になる境目あたりにおわした歌川さんという絵師が手掛けた一枚でして、この歌川さん、厳しいお取り締まりをする当時の政府を皮肉った作品を多く手掛けるかたわら、動物の絵もよく描いた。とくに猫絵は巧みでして、たじゃれを交えて東海道五十三次の道々の名を、岡崎を『尾が裂け』、吉原を『ぶち腹』の猫、藤沢はぶち猫が鯖をくわえて『ぶち鯖』なんてぇいってね。この猫のけいこも、そんな猫の一枚。なんと猫が三匹、よってたかって生真面目に三味線の稽古をしておるのです。みなさんご存じの通り、三味線に張る革は未婚の娘猫と定められておりました。おお、おそろしい! なんておそろしい一枚! 」

 九口は両手の袖をすりよせて身をよじりました。

「さて、ちょうどそんな『猫のけいこ』より遡ること幾年。とある遊女が、まさにその日、年季を明けることとなっておりました。通り名を『鈴生太夫』。イロ好きで知られ、男のアレを鈴なりにモノにしたから……なアんて」

 ちらりと上目遣いにうかがえば、ひそやかな笑い声。

 これが細波や七星でありましたら嫌味でしたでしょう。師匠ですら牙をチラリと覗かせて、「ふうん」という顔をしております。芸に関してはネタにすることを弟子に推奨する、懐の深さがある師匠なのでした。

 べぇん――いつしか三味を持つのは七星の前脚です。


「この鈴生太夫、年は三十。いまだ女ざかりが散る気配がない。とうが立ってもなおしとねにおいて手練れの腕でありましたが、三味の腕も師範級でありました」

 べぇん、べぇん――。

「年季明けで市井に戻ったあかつきには、長屋暮らしでもいい。お稽古の先生として、自慢の腕を文字通り鳴らして暮らそう。そのように考えていたほどだったのです――」


 〇


 おたなを出たのは夏のはじめでありました。「なにも梅雨の最中さなかに出ていかなくても」と楼主には嘆かれましたが、その日は梅雨にあってもカラリと晴れた、素晴らしい門出になりました。前夜には祝いの花火も打ちあがり、朝方には禿かむろから世話をしてやった若い遊女たちが、かわるがわるやってきたりもいたしました。

 べぇん……白い手が爪弾きます。

 鈴生太夫のもとの名を『おたま』と申しました。

 お珠は夏が本格的にやって来るころには、決めたとおりに長屋を探し、さっそく職にもありついておりました。

 雇い主はとある大店の隠居の後添えであった未亡人がやっている手習い所です。店は違うにしろ、夫人も遊女屋育ちの女でした。お珠と違い、十九でそうそうに後添えとして身請みうけされ、夫亡きあとは形見分けにもらった屋敷で、こうして近所の婦女を相手に手習い所を開いたのでした。

 お珠より十は年かさの夫人は、みごとな白髪をきりりと結い上げ、いつも桔梗色の着物を着ておりましたので、『桔梗夫人』と呼ばれておりました。

 手習い所で教えるのは、習字、そろばん、舞と箏。お珠が夫人から舞と箏を任されたのは言うまでもありません。

 十の秋に売られて二十年あまり、改めて「お珠さん」と呼ばれる日々にいて、こうして手慰みに絃を弾きますと、生まれ変わったような清々しい気持ちがするのです。

(しあわせねぇ……)

 嫁入り修行の一環でここに通う婦女たちには、猫の皮を使う三味線は、あまり好まれません。しみじみと、お珠はすっかり趣味だけになった三味線をはじきました。

 手習い所には、広い縁側と、こじんまりした庭がございます。そこで夕涼みを堪能していますと、お珠はだんだんと盛り上がってきて、演奏は激しさを増していきました。

 べんべんと弾いていると、やがてどこからか馴染みの顔がやってきました。

 それは近所の野良猫で、くしくも「お玉」と呼ばれている三毛猫でした。

「ここではあんたが先にお玉をやってたんだからね。仲良くしましょうね」

 最初にそう言って昼餉の出汁殻を分けてやったからなのか、猫のお玉は人間のお珠にやけに懐いてしまったのです。

 胴に鼻づらを擦りつけてくる三毛猫を片手で撫でてやりながら、お珠は呟きました。

「あんた、これが何で出来ているかわかってんのかい? 」

「わかっていますとも。これはアタイのおっかあさんです」

 びっくり仰天とはこのこと!

 お珠は三味線を抱いて、ずるりと身を引きました。頭を乗せていたものが退き、不満そうに上目遣いになったお玉の背中で、尾が二又に別れて揺れておりました。

「ひどいわ、お珠さん」

「ばっ、ばばばばっ、ばっ、ばけねこ……! 」

「五十年も生きてりゃア化けましょうとも。アア、なんて巡り合わせでござんしょう。子猫のころに生き別れたおっかさんと、こんなふうにまた相まみえることができるなんて! ササ、お珠さん、もっと弾いておくなまし。娘のアタイの手では、そんなに巧みに音を出せませんもの。だってアタイは猫ですからね」



 〇


 べべべべん、べべべん――。七星の奏でる音が激しさを増しました。出囃子でばやしの域を脱した、ともすれば語りを食うほど巧みな音色が、効果音として活用されているのでした。

 そう、すべての始まりはこれだったのです。

 七代目月見亭つきみていの高座において、出囃子は前座である弟子がつとめるものでした。月見亭 七星の演奏の腕は天性のものだと誰もがそうそうに気が付きました。

 しかし、とうの本人にその気はありません。「七星の出囃子は気持ちが盛り上がる」と兄さん方に人気でしたが、「アタイはヘタリじゃなくってよ! 」と牙を剥くのです。(※ヘタリ=出囃子ばかりをして舞台に上がれない噺家のこと)

 鈴生師匠の女好きは有名でした。毎年のように子種をばら撒き、春先には母親違いの子猫が界隈にあふれる始末。そうして一門を大きくするのが、根無し草のつとめであるのです。

 七星は母親と兄弟をそうそうに亡くし、父のもとへ引き取られてきた娘でした。噺家になりたいというので入門し、それからすぐに、この娘は口で語るよりも道具で語るほうがより雄弁であるぞ――と鈴生師匠はピィンときたのです。

 野良の生活は厳しいもの。鈴生師匠は、才能というものを重視しておりました。なにせ自分自身が、その恵まれた大きな顔と丈夫な体で一門を盛り立ててきたからです。


 ある日、父は娘にこう申し上げました。

「娘よ。お前はその音楽の才能を生かして生きなさい。川向こうで劇場をやっている虎次郎こじろうのもとへ行くのだ」

 耳の穴をほじりながら娘は言いました。

「それはつまり、虎次郎さんのところに嫁に行けってこと? 」

「うむ。そうとっても構わん」

「お断りいたします。アタイは噺家をやめないし、師匠があっせんした嫁入り先なんてもっとごめんです」

「ええい! おまえの幸せのためだ! 」

「アタイとアナタは親子にあって父子おやこにあらず! 師が弟子に看板を変えろと迫るなんて! 」

「じゃじゃ馬め! ならば破門じゃ! 」


「―――その破門! チョッと待ったア! 」

 細波さざなみ九口くくちでありました。

「師匠、そりゃアあんまり姐さんが可哀そうじゃアありませんか……! 」

「つまり、七星さんが良い噺家であると証明しなすったらいいんでしょう? 」


 そうしてこうして。


「師匠が我らの【合作】の新作落語を『おもしろい』とおっしゃったら、嫁入りと破門は無し。いいでござんすね? 」

「ふん。いいだろう! やってみろイ! 」


 そういうことになったのでした。

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