第9話 そして日常

 龍太は自室に戻ると、昨日から着っぱなしだった学ランを脱ぎ捨てベッドに倒れこむ。

 常識外なことが、とにかく一度に起こりすぎたせいか、それともただ疲労が蓄積しているのか……間違いなく前者だろう。正直まだ信じがたい。


「一体何なんだよ…………畜生」


 ごろりとベッドに転がったまま、燕から受け取った雇用契約書に目を通す。

 内容は、昨夜燕が話していた会社の業務説明。主に妖怪の全国派遣と書いてある。細かな仕事内容は読み飛ばす。

 そういえば、警備員だったな……。

「――いやいや、警備って……」


(何を警備するんだよ? まさか妖怪の警護でもするのか? 必要ねえだろ、それ)


 龍太は渋面を作って眉を顰める。

 そして一通り、適当に契約書に目を通すと、最後の行、燕の直筆であろうサインと会社名が大きく毛筆で書いてあった。


『そらなし妖怪はけん会社』


 日本でも、いやおそらく世界でも類を見ない超特殊企業。

 妖怪、お化け専門の派遣会社。


「…………あいつ、字、下手だなあ……」

 そう呟きながら、龍太は重い瞼をゆっくりと下ろした。

 今日はもう疲れた。学校は……休むことにしよう。そういえばさっき燕が何か叫んでいたな……と頭を過ぎったが、放っておこう。きっとそのうち、勝手に諦めるはずだ。




 その翌朝、登校した龍太を真っ先に迎えたのは涙ぐんだ舎弟達だった。

「龍太さああああああん!!!!」

 涙と鼻水でぐしゃぐしゃになった情けない顔達に囲まれながら、教室に入る。

 いつもなら適当にあしらう所だが、この不良達に囲まれた空間に今日の龍太は落ち着きを感じていた。昨日の出来事はすべて夢だったのだと、そう思えてくる。

「龍太さあん、何で昨日は学校来なかったんスか?」

「そうっスよ! 龍太さんが無断欠席なんて……というより、俺ら電話したんスよ!?」

 どこかのツンデレヒロインのような膨れっ面を見せる厳つい不良達。

 可愛くない、断じて。

「ああ、悪かったよ。昨日は疲れてて一日中寝てたんだ」

「ええ~~~~!? 疲れて……って・・・…まさか喧嘩っスか! 言ってくれれば加勢しに行きましたよ~~!」

「そうですよ! 水臭い!」

「相手はどこの高校スか!? いや、どこの族ですか!? まさか組!?」

 また勝手に解釈して、こうしてなんでもない話も一瞬で龍太の武勇伝に生まれ変わる。これ以上盛り上がる前に歯止めしなければならない。

「あー……盛り上がってる所悪いけど、そろそろ授業始まるから、解散!」

 そういって龍太はパンパンと手を叩くと、不良の群れは残念そうな表情を浮かべつつも各々の席や教室へ戻っていった。しかし、彼らは授業なんて端から受けるつもりはない。いくら龍太の舎弟だとしても、元は全員立派な非行少年達なのである。授業はしっかりと受ける、という龍太の為に、休み時間以外はこうして離れてくれているのだ。

 それにしても、だ。

 一限目の数学の教科書を出しながら、龍太はほぼ誰もいない教室を見渡す。

 もうすぐ始業ベルが鳴るというのに、相変わらずこのクラスには生徒がいない。来ていないのではなく、出席していなかった。おそらくは他のクラスも同じだろう。


 龍太の通う黄泉高校おうせんこうこうは、普通科と特進科に分かれている。

 元は成績重視の特進科のみであったが、近年の生徒不足により入試難易度を幾分下げ、普通科が導入された。

 しかし蓋を開けてみれば、そこに集まってきたのは地元の非行少年達であった。その結果、現在黄泉高校は、敷地内に二つの校門、二つの校舎を構える形となり、同じ高校でありながら、完全に特進科と普通科は分断されている。

 そして龍太のいるこの普通科はまさに現在不良の無法地帯とも言えるだろう。

 龍太自身、ただ家から近かったからという理由で入学したわけだが、さすがに半数以下しか出席していないクラス(出席していても終始爆睡)には、未だに頭を悩ませている。

「あいつら……卒業する気あんのかな……」



 始業ベルとほぼ同時に、息を切らせながら一人の男子生徒が教室に駆け込んで来た。


 ぴっちりとセンターで分けられた黒髪。黒縁眼鏡。学生服も校則通りに着こなしている。この普通科ではあるまじき真面目な出で立ちであった。そしてまだ教師が来ていないことを確認すると、安堵した表情で龍太の隣の席へ着席する。


「おはようしば、今朝もバイトだったのか?」

「ああ、おはよう龍太……まあね、さすがに今日は遅刻したかと思ったよ……」


 黒縁眼鏡の彼、犬条柴けんじょう しばが、苦笑しながら答える。

 この普通科で唯一、龍太同様……いや、それ以上に真面目に授業を受けている優等生であった。

「大変だな……新聞配達だったか? 何か困ったことがあったらいつでも言えよ」

「ありがとう龍太……」

 そう言って柴は指先で軽く眼鏡を押さえると、教科書や参考書をまるでタワーの如く机上に積み上げる。

 その光景は、彼を知る同級生の間ではお馴染みとなっている。

「やっぱお前はすごいな、他の奴らにも見習ってもらいたいぜ」

「はは……そんなこと、ないよ……」

「…………柴?」

 その時龍太は、なんとなく柴の横顔に暗い陰が見えた。気がした。

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