第7話 おいでませ派遣会社②

「生きた人形? はは、そんな馬鹿な……は、ははは」

「本当だぞ! というか……ああ、そうか、説明がまだだったな。龍太、ではこの会社について話をしよう!」

 そう言って燕は、パチン。と指を鳴らす。それが合図だったのか、薄暗かった部屋のシャンデリアに明かりが灯った。一体どういう原理なのだろうか。

「まずこの部屋は事務室になっていてね。ああ、そこのソファーに掛けてくれ」

「あ、ああ……」

 恐る恐る誘導されたソファーに座る。高級感漂う年代物で、座り心地は文句なしといったところだ。手摺りに施された金の装飾に、龍太はゴクリと喉を鳴らす。

「それじゃあ、さっさと説明してくれよ……」

「ひひ……お茶、です……」

「あ、どうも」

 ふいに横から差し出された湯飲みをおもわず受け取る。と同時に、至近距離に長い白髪がだらりと垂れ落ちてきた。そこにはすだれのような前髪が顔半分を覆い、とにかく気味の悪いドロドロとしたオーラを放った女が立っていた。

「ひぃい!?」

 突然現れた女に、龍太は驚いてソファーから飛び上がる。

「おお、ありがとう影音かげね。龍太、彼女もここに住み込みしてもらっている事務員の影音だ! ホラ、影音も照れてないで挨拶しろ!」

「ひひ……よろしく……お願いします……」

「は、はい……」

 お互いぎこちない感じで会釈する。垂れた前髪の奥で、影音がにったりと目を細めた。

(ぶ……不気味だ……)

 いったい彼女はいつからこの部屋にいたのだろうか? さっきまではドア付近で燕と話していたし、ソファーに座っていても部屋の入り口はちゃんと視界に入っている。誰かが来たらすぐにわかるはずだ。

「そうそう龍太、先に言っておくと影音は妖怪だ。妖怪・影女。怪談でも有名なのだぞ!」

「ひひ、ゆ、有名だなんて……ひひひ」

「む? 何を言っているのだ。そう謙遜するな」

 ははは、と笑いあう彼女達の向かい側で、再度龍太はわけのわからない社員紹介に顔を引き攣らせる。

 ――今、何ていった?

 妖怪? 生きた人形の次は、妖怪だって?

「……もういい、ふざけるのはやめてくれ!」

 場の和やかな空気を割るように龍太は再度立ち上がり

 そして、きょとんとしている燕に

「さっきから、生きた人形だとか妖怪だとか! ふざけるなよ! 俺はここの派遣会社の説明が聞きたいんだ!」

 そう叫んだ。

「…………だから、いま説明しているだろう」

「は、はあ?」

 コホンと燕は軽く咳払いをすると、両手を大きく広げて、

「よ~~~く聞けよ龍太! ここは妖怪専門の派遣会社なのだ! 全国いつでもどこでも、我が社の社員達が新鮮な恐怖をお届けしている、言わば『恐怖の配達業』! 日本でも数少ない、超・特殊企業なのだ! さあ龍太! 我らと共に楽しく働こう!」

 どうだ! と言わんばかりの表情で、燕が謎のかっこいいポーズをとる。両隣では影音と市子がどこから出したのか、紙吹雪や花びらをやんややんやと舞わせている。

そして、龍太当人はただ呆然と立ち尽くす――

「……………………はっ」

 あまりのとんでも会社説明に、一瞬フリーズしてしまった。

「…………妖怪の会社だって? そんなの、今時子供でも信じないだろ! いるわけないじゃないか……」

 馬鹿馬鹿しい、そう言って龍太は肩を窄める。しかし燕は

「違うぞ龍太。いるんだよ、妖怪も幽霊も怪物も、すべてこの世界に存在し、皆生きている!」

 目を輝かせ、両手で龍太の手をがっしりと掴んだ。

「それに龍太、君は妖怪も、幽霊も、心のどこかでは信じていたはずだ。このビルに来た時、君は妖怪や幽霊の存在を恐れていた! 信じていなければ、恐れることはないのだから!」

「うげっ……み、見ていたのか」

 いや、当たり前といったところか。どこかに隠れて、龍太がこの部屋にやってくるまで燕は監視していたのだ。

「……だったら…………だったら、証拠を見せてくれよ。ここが本当に妖怪達の会社で、そこの彼女も、妖怪だって、証拠だ」

「むう」

 燕が困ったように口を窄める。

「それができないなら、俺は信じない」

「…………わかった。よし影音、あれを龍太に見せてやってくれ」

 突如、燕にそう言われた影音はびくりと肩を跳ね上げ

「え……ひひ、私ですか? もう……よ、妖怪使いが、荒いんだから……ひひ……で、では龍太さん……ちょっと、私を見ていて、ください」と言った。

 一体何をするつもりなのかと龍太は言われた通り影音の方へ視線を向け……絶句する。

 影音の体が、頭からドロドロと黒い液状に溶け出し、そのまま床へと沈んでいったからだ。まるでそこだけが底なし沼にでもなってしまったかのように、ドプンという音と共に影音は完全に姿を消した。

「ふふ、どう? 脳筋ゴリラ! これが『影女』である影音の『能力』なのよ!」

見たかと言わんばかりに、市子が大上段に構える。

「龍太、影音は自らを影と同化させ、あらゆる影の中を動くことができるのだ。驚いただろう? もういいぞ影音! ありがとう、出てきてくれ!」

「ひひ……ぷはぁ」

 天井からにゅるりと影音が頭だけを出し「い、いかがですか? 龍太さん……ひひ」と、その血色の悪い顔を龍太に向ける。目の周りには大きな隈と紫色の血管が浮き出ている。

「な、な、な、なんで、いつの間に!? いや、どうやって!?」

「だから、影の中を移動したと言っただろう? お前の目の前で影となり、そのままこの部屋中の影の中を伝って天井まで移動しただけだ! あっ、ちなみに求人チラシを龍太にバレないよう、うまく電柱に貼りつけてくれたのも影音だ!」

「あれくらい……楽勝……」

 影音はにたりと目を細め、そのままぶくぶくと天井の中へと戻っていく。

「な、いや……そんなわけ、ない…………だって」

「む? どうした龍太! 言われた通り証拠を見せたぞ」

 …………違う。ありえない。

 妖怪なんているわけない。これは何かのトリックだ。そうに決まっている!

 龍太はしどろもどろになりながらも必死の形相で言い返す。

「こんなの、証拠にはならない! い、いきなり消えて天井から現れるなんて、ま、マジシャンにだってできるじゃないか!!」

(そんなマジック見たことないけど……)

「なんだ、まだ信じないつもりか?」

「ああ、悪いが信じられない! もうバイトの勧誘は諦めてくれ! 俺は帰る!」

 そう吐き捨てて、龍太は早急にこの場から立ち去ろうと体を翻す。

 その背中に燕は苦渋の表情を浮かべると

「仕方ないな…………これは最終手段だったが……みんな、出てきてくれ!」

 パチン。と、再び指を鳴らした。

「……みんなって?」

 その言葉に、龍太がおもわず振り返った瞬間。


「……………………え」


 突如姿を現した者達によって、龍太は完全に包囲されていた。

 着物や鎧を纏っている者から、現代風のジャケット、制服、スーツを着ている者まで、さまざまな姿見をして部屋中に現れた者達は、全員が共通して半透明の身体をしていて。

 そして全員、その輪の中心、つまり龍太を見つめていた。

「なっ……あ……っ……」

「ふっふっふ、この界隈で生活している幽霊のみなさんだ! 本当はもっとうまく説得したかったがな……どうだ龍太、これで信じてくれるか!?」

 燕が依然立ち尽くしたままの龍太の腰をポンと叩く。

「………………………………」

「………………龍太?」

「…………燕、燕」

 その足元で、市子が燕の服の裾を引っ張り声をかける。そしてとことん呆れ果てたように、吐き捨てた。



「…………そいつ、気絶してるわよ」



 鬼熊龍太、只今17歳。

 黄泉高校の頭にして不良界のカリスマであり、噂では街の暴走族すらも掌握する覇王。

 現在時刻は午後九時を回り、場所はとある廃墟ビルの一室。

 この日龍太は、その強者としての人生で初の『恐怖による失神』を経験した。


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