第4話 各人支度
朱は三人と別れ、一人屋敷へと戻ってきた。
夏家は都の南側に屋敷を構え、その場所で都の守りの要の一つとしての役割を果たしている。朱雀を祀り、守り続けることで、この日ノ本全体に結界を張っているのだ。
「……」
朱の体が門を潜り、立派な寝殿造の屋敷を目の前にする。彼はこの家の嫡子だが、屋敷に上がったのは何年も前のことだ。
自室となっているのは、馬小屋傍の小屋だ。通いの者たち以外は屋敷の中に寝床があるが、朱には与えられていない。いつものように正面を素通りして小屋向かおうとした矢先、朱を呼び止める声があった。
「帰ったのか、朱」
「……父上。いや、当主様」
朱が振り返ると、所用でもあったのか丁度屋敷から父の
「帰ったのなら、ついて来い。……お前に、話しておくべきことがある。朱雀についてだ」
「……わかりました」
夏朝は朱の返事に頷き、踵を返す。わずかな床の軋みを響かせて歩いていく父を追い、朱は久し振りに屋敷に上がった。
「座れ」
通されたのは、寝殿と呼ばれる主人の居住空間だ。普段家族とごく限られた者しか通されない部屋に、朱は足を踏み入れた。
脇息に体を預け、夏朝は傍に置いてあった書物を手にする。父の様子をぼんやりと見ていた朱は、我に返ると慌てて腰を下ろした。
「この書物には、『四季の家』の始まりの者たちが四神と出会った時のことが書かれている。どこまで真実かはわからんが、お前が『四神の鏡』を取り戻すと言うのであれば、役に立つだろう」
「役にって……」
「持って行け、餞別だ。持たせている刀と共に」
夏朝は書物を朱の手に載せると、すぐに立ち上がって何処かに歩いて行ってしまった。思わぬことで瞬時に動けなかった朱は、父の背中を見送ることしか出来ない。
「ここに、始まりの……」
深緑色の表紙を撫で、朱は呟く。そこには白く細長い紙が貼られ、書物の題名であろう『四季の家そのはじまり』と達筆で書かれていた。
周りを見渡したが、誰かがこちらにやって来る気配もない。朱は安心して、そっとその古い書物を開いた。
同じ頃、春霞もまた都の東側を守る屋敷へ戻って来ていた。
「……面倒くさい」
ため息をつき、緩慢な足取りで門を潜る。その瞬間、見付かりたくない相手に見付かってしまう。気付かないふりをして逃げ出そうと試みるが、腕を掴まえられた。
「どうして逃げるんだい、春霞?」
「……友春兄上、内裏にいるんじゃ」
「お前たちを集めるのが今日やるべきことの大半だったから、他のことはすぐ終わらせて来たよ。春霞はきっと、さっさと荷をまとめて出て行ってしまうと思ったからね」
それでは、寂しいだろう? そう言って笑った友春は、春霞の兄で春家の後継ぎだ。年老いた父に代わり一族の全てを取り仕切る立場にあり、そのためかしっかりしている。
頼りがいのある兄だが、実は春霞は少し苦手だ。自分とあまりにも違い過ぎて、気後れしてしまう。しかし、彼が後ろ手に持っているのは何だろうか。
「……わかった。確かに兄上の言う通りさっさと出るつもりでいたけど、用でもあるんですか?」
「そんな不機嫌そうに言うなよ。私はこれでも、お前がこの件を前向きに考えていることに驚いているんだ。どういう風の吹き回しなのか、旅立ってしまう前に聞きたくてね」
「別に、面倒なのは変わりない」
座るよう促され、春霞は寝殿前の
季節が狂い、春と秋も見分けがつかなくなってきていた。
「じゃあ、どうして?」
友春に問われ、春霞は仏頂面に更に険を乗せた。
何故行くのかと問われれば、本当は行きたくないというのが本音のはずだ。しかし春霞の心に、朱と冬嗣の真剣な表情が蘇る。
「別に……ほっとけなかっただけだ。他意はない」
「そう、か。これを渡しておくよ、春霞」
「これは……?」
春霞の手に掴まされたのは、古そうな槍だ。切っ先は磨かれているが、柄の部分は当初の美しさを備えていない。
やけに手に馴染む感覚に驚きつつ、春霞は首を捻る。すると友春が、そっと槍の柄を撫でた。
「それは、我が一族に伝わる家宝だ。春家が始まった時、青龍から託されたのだと聞いているよ。きっと、それが春霞を助けてくれる。――春霞、無事に帰って来いよ」
「……ああ」
春霞はそれだけ言うと、振り返らずに自室へと向かった。簡単に必要なものをまとめて、明虎の庵に行くつもりでいる。
素っ気なくも槍を大切に扱う素振りを見せる弟の背中を見送りながら、友春は苦笑をにじませていた。
「全く、素直じゃないな」
冬家の屋敷は内裏の更に北側に位置し、四家の中でも特異な場所にある。大陸にある都の形を模して造られた日ノ本の都だが、元になった場所には北に屋敷を造る場所などない。帝がいる場所より更に上に屋敷を造るなど、言語道断の所業だからだ。
しかしそれが許されたのは、何よりも四神の存在が大きい。
「ただいま帰りました」
冬嗣は門を潜り、両親に挨拶しようと寝殿に立ち寄りかけた。彼の腰に、何かがぶつかる。
「おかえりなさい、あにうえ!」
「おかえりなさい!」
「ただいま。良い子にしてたか?」
「「うん!」」
大好きな兄に頭を撫でられ、
二人とじゃれ合っていた冬嗣は、自分を見守るように立つ父と母に気付く。さっと居住まいを正し、ただいま帰りましたと挨拶した。
「ああ、お帰り。冬嗣、明日には発つのか?」
「はい、父上。皆をお願いします」
「わかっている。……お前には責任がないのに、行かせてすまない」
「これは僕の意志ですから。父上に非はありません」
ひたすら申し訳ないと言う父に
そんな息子に、父と共にいた母が両手を出すようにと言う。冬嗣が何かと思い手を出すと、そこに古そうな小ぶりの刀が置かれた。
ずんっという重さが乗せられ、冬嗣は慌てて刀を掴む。何処かで見た覚えがあり、少し考えて思い当たった。
「これ、もしかして」
「そう。……鏡と共にありながらも盗まれなかった守り刀。きっとあなたを守ってくれるから、持って行きなさい」
「――はい。必ず、この刀と鏡と共に帰ってきます。じゃあ、部屋に行きます」
冬嗣は家族と一旦別れて部屋に戻ると、散らかっていたものを所定の位置に片付けた。それから入用のものだけをまとめ、ふと灰色の目を外に向けた。
「……必ず、取り戻す」
冬嗣は胸に拳を置き、そっと呟いた。
「さて、これくらいのものかな」
三人を見送った後、明虎は一人庵の中を片付けていた。実家である秋家に一度くらい行けば良いのだが、それ以上に自分の生まれが待ったをかける。正妻の子が、あの家を継げば良いのだ。
「……ふぅ」
明虎は軽く頭を振って思考を飛ばすと、決して多くない食器や道具を片付けた。そして、両手に乗る程の小さな黒い箱を開ける。その傍には、古めかしい弓と矢が置かれていた。
「これらを使う時が来るなんて、思いもしなかったな」
その箱に入っていたのは、難しい文字の書かれた何枚もの札だ。札の束を懐に入れ、弓に矢をつがえて引き絞ってみる。すんなりと明虎の思う通りに張った弓矢を見て、明虎はふっと微笑んだ。
箱を片付け弓矢を傍に置いたのとほぼ同時に、庵の戸が開けられた。
「──よお」
「思ったより早かったね、春霞」
「まあな」
わずかな荷を身につけただけの春霞は、唇の右端だけを上げて笑う。どっかと囲炉裏の前に座ると、何となく火を見詰めていた。
明虎も咎めることなく、支度は終わったとばかりに茶を沸かすことにした。
──彼ら四人の戦いは、明日より始まる。
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