ビターシロップ


 駅前居酒屋チェーン店の前で、19時半。

 アンからのLINEを再度確認する。

 既に19時20分だが、待ち合わせ場所にはそれらしい人は誰もいない。みんな駅の改札へなだれ込んで行くだけだ。

 それはそうだろう、水曜日の夜なんて、疲れきった人々がひたすらに家を目指すのは当たり前。そんな週のど真ん中に合コンをぶつけてくるなんて、流石は恋愛モンスターだ。

 今日は四対四の合コンだと聞いてはいるが、そのうち幹事のアン・ユーリカップルを除外すれば実質三対三だ。

 女側は誰が来るかも聞いていないので、合コンデビューの知夏は平静を装ってはいるが内心緊張でドキドキである。

『アン〜まだ?』

 LINEは既読になるが、返信はない。

『誰も居ないんだけど』

 これには既読はつかない。多分アンのことだから、またギリギリの電車を攻めたんだろう。

 ふぅ。こういう時は、次の曲の構想でも練るに限る。

 店と店の間の壁に背中を預けて、駅を出入りする人波を見つめる。

 あ、あの人たちはカップル?いや、ちょっとまだ距離があるからこれからかな。女の子の方はかなり好きアピしてるっぽいけど男の子気付いて無いんかな〜。ん〜、幸あれ!……おお、応援ソングいいな。スマホのメモ帳にメモメモ。

 あのおじさん疲れてるなぁ。やっぱ社会人て大変そう。あたしもそろそろ就活スタートだし、ちゃんとしないとだよなぁ。てか、社会人同士の恋愛てどんなんなんだろ。学生と違って簡単に会うとか難しそうだし、そんなんで意思疎通なんて出来んの?ただでさえ気持ち通わすなんて奇跡みたいなもんなのに。……こんな感じの素直な曲もアリかも?これもメモっと。

 お、あのサラリーマン、ビシッとスーツ着こなしてんな〜。髪もサラサラだし、眼鏡も似合ってる。ああいう人が漫画のヒーローになったりすんだろなぁ。イケメンで気遣いも出来て仕事も出来て家事もできてスパダリ。みたいな。そんな完璧マンって、漫画だと映えるけど歌だとムズいんだよな〜。……って、なんか、あのリーマン近づいて、きて、る?

「こんばんは」

 人間観察の対象だった人間が、目の前で突然話しかけてきた。えっあたし?

「こっ、んばんわ、って、あれ?」

 眼鏡をかけているせいで遠目からだと気づかなかったが、目の前に居るサラリーマンは、正真正銘この前の『五百円リーマン』だ。

「ご、五百円!」

「五百円?…ああ」

 一瞬訝しげな顔をしたサラリーマンは、しかし思い至ったのか頷く。

「そうだな、その『五百円』」

 あの時の仄暗い目は今日はしていないが、淡々と話すのは変わらない。こういうテンションの人なのだろう。

「す、すみません…」

 流石に投げ銭してくれた人に対して、その金額で呼ばわるのは大変失礼であろう。その事に気付いて知夏はすぐに謝った。

「失礼でした、すみません」

「ああ、いいよ別に、あんま気にしてねぇし」

 無愛想な物言いだが、表情を見ても怒っている様子は見られない。ひとまずホッとする。

「ここで何してんの?『雨宮滴さん』」

「えっ!」

 突然『アーティスト名』で呼ばれて、ホッと撫で下ろした胸がドキリと鳴る。

「なんで、名前…」

「いや、スケブ置いてあったし」

「あ…そっか…」

 思わずびっくりしたが、そりゃそうだ。いつも路上の時は、譜面台に置いたスケブで名前とSNSアカウントを公表してるんだった。

「たまにインスタ見てるし」

「えぇっ!?」

「フォローはしてないけど」

 フォローしてないんかい!

「…この前が初めてじゃ無かったんですね」

「うん、毎日ここ通ってるし、よく歌ってんなと思ってたまに見てたよ」

 なるべくよく見かける人は認知しようと意識していたつもりだったが、やはり足を止めてくれた人ほどは記憶出来ていないらしい。

「そうなんですね…、ありがとう、ございます」

 なんだか急に恥ずかしくなって、声が尻すぼみになった。

「なんで、あの日は止まってくれたんですか」

 わざわざしっかり聴いてくれた日に、この人は大変刺さるアドバイスをくれたという訳である。何故わざわざ、と思わざるを得ない。

「……あの日は、ちょっと色々あって。悲しい歌で感傷的になりたい気分だった」

 その言葉で、知夏は仄暗い目を思い出す。

 そう言われれば、泣き出したいような、そんな目だった気もする。

「でも、そんな時に限ってあんな……」

 あ。なるほど。

 たしかにあの時連続で歌ったのは、ハッピーな恋愛ソングだった。悲しい気持ちになりたい人が聴いて嬉しいものじゃなかったかも。

「…君の歌、失恋ソングはめちゃくちゃリアルでいいなと思ってたんだけど」

 『けど』。その先は言葉が無かったが、言いたいことはわかった。『ハッピーなラブソングはリアリティがなかった』だ。

 そりゃ、こちらが発信する曲をどんな気持ちで受け止めるもリスナーの自由だ。ただ『こうあって欲しい』と勝手に期待して勝手に落胆されても困る。

 中途半端に褒められたせいで何と言っていいかわからず口ごもっていると、改札の方から知夏を呼ぶ声がした。

「ゴン!ごめぇん!」

 いや、慣れてるけど出来ればそのあだ名をでっかい声で呼ばないで欲しい。しかも『雨宮滴』の根城で。

「ギリになっちゃったぁ」

 ヒールで駆け寄ってきたアンは、今日もバッチリキメキメである。

「アン、いた?」

 後ろからゆっくり追いかけてきてアンに声をかけた男性は、たぶん噂のユーリくんだろう。医学部院生っぽい。何がとははっきり言えないけど、雰囲気が。

「あれ?久野?」

「裕吏」

 ユーリくんに挨拶しようと思ったら、その前に彼の視線を奪ったのは、五百円リーマンだった。

「何だ久野、間に合ったんだ」

「ああ、定時いけた」

「なんだよならLINEしろよ〜……って、ん?久野、ゴンちゃんと知り合い?」

 どうやらユーリくんと五百円リーマン――もとい久野さんは知り合いで、久野さんも合コン参加者だったらしい。ということに驚きたいのだが、初対面の親友の彼氏にまで『ゴンちゃん』呼ばわりなのがめちゃくちゃ恥ずかしくてそれどころじゃない。オイ、アン〜!そこは『知夏ちゃん』で通しておけ?

「……ゴン、ちゃん。」

 久野さんが、キョトンとした顔でそう言う。

「…っ!あの!権守知夏(ごんもりちなつ)、です!」

 言わずもがな名字からとったあだ名なんですアピをすると、久野さんはああと得心した表情になった。

「雨宮滴は源氏名なんだ」

「違いますアーティスト名です!」

 やめてくれその辺のキャバ嬢みたいな言い方は!





『ビターシロップ』雨宮滴



似合うねって褒められたポニーテール

もう何ヶ月め?わからない

さりげない優しさに気づいて

とても好きだったんです


何かを変えられるかもと

勇気だして書いた手紙は

渡せないままカバンの中で

ぐしゃぐしゃだよ my love


甘いものが苦手らしいから

ひと瓶のビターシロップ

溶け込ませたその苦さは

なんだか涙の味みたい

髪を解いたって もう見てくれない

遠くなる背中越しに そっと

「好きだったんです」

好きだったんです ねぇ






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