眠れない夜の唄


「東條裕吏、幹事です」

「同じく幹事の安斎千菜都です!『アン』って呼んでくださ〜い」

 つつがなくスタートした合コンは、幹事の二人の自己紹介から始まった。

「何で『アン』なの?『ちなつ』じゃダメなの?」

 男性陣のひとりから質問が出て、アンはクスクス意味深に笑う。

「それは、次の子の自己紹介聞いたらわかりまーす!」

 目線で合図をされ、知夏は内心ドキドキしながら自己紹介をする。こんな自己紹介なんて、一年の時のゼミ以来だ。

「権守知夏です。アンとは中学からの仲で…」

「あっ、『ちなつ』!」

「そうでーす!Wちなつなのです」

 アンに肩を組まれ、知夏はとりあえずへらっと笑っておく。合コンの時のアンのテンションは、さすが恋愛モンスターである。まるでここがディズニーランドかのような盛り上がりだ。

「アンと、中学の時どう呼び合うかって話になって。めんどくさいから結局名字で呼ぼうってなったんです」

「そ!んで、だんだん短くなって、『アン』と『ゴン』」

「『ゴン』!!」

 知らない男性二人が楽しそうに笑っている。テンションはアン寄りらしい。

 しかし端に座る久野はと言えば、興味あるんだかないんだかな表情で、ちらりと見遣った知夏の視線とばっちり合う。

 うっ、なんか気まずい。

 すぐに逸らしたせいでその後の表情はわからないが、初めての出会いが『ああ』だったせいで、なんだか見透かされているような気持ちになって落ち着かない。

 その後は男性二人、女性二人が続き(女側は、同じ学部の顔見知りの子達だった)、最後に久野の番が来る。

「久野廉。あとの三人と違って、もう大学は卒業して悲しき企業戦士です。将来有望の医者のタマゴじゃなくてゴメンだけど、ま、おもろいスパイスだと思って扱ってください」

 淡々とそう話したせいで冗談なのか自虐なのかが一切わからなかったが、顔良しのお陰で残りの女子には大変好評のようだった。

 ほーすごい。あんな感じで合コンの自己紹介をこなすのかなるほど。

 知夏はいつもの癖で、自己紹介を素直に受けずに人間観察をしてしまう。

 はっ、いけない。ここへは疑似恋愛をするつもりで来たんだった。とにかくこの場を楽しんで、男女の雰囲気を掴まなければ。

 始めのビールから開始し、そのあとは勧められるがままにレモンサワー、梅酒、ハイボール、ワイン……最後の方はもう知らないお酒になり、何を飲んでいるのかよく分からなくなった。

「ちょっと、御手洗…」

 三時間程経過して流石に目が回ってきた頃、このままでは危ない気がして知夏は席を立った。

 隣のアンは気持ちよく楽しく酔っ払っていて、みんなで過去の恋愛話で大盛り上がりしている。

「うう、結構やばいかも」

 壁に手をつきながらなんとか御手洗に辿り着き、用を済ませて洗面所で冷たい水に両手を浸す。火照った身体が手先から冷やされるようで気持ちがいい。暫くそうしていると目眩は収まってきたようだ。

 戻るか…と御手洗を出て、――そこに佇んでいた男性に気づきびくりと肩を揺らす。

「っ!…くりしたぁ」

 そこに居たのは久野だった。

「…大丈夫か?」

 どうやら心配して様子を見に来てくれたらしい。

 その優しさが意外すぎて追加で驚いた。

「えっ…ありがとうございます、だいぶ、落ち着きました」

 もうこれ以上は飲めそうにないが、先程よりは意識もはっきりしている気がする。

「ならいいけど」

 そう言うと久野は、じっと佇んだまま動かない。

「……?」

 そこよけてくれないと通れないんですが。

 何か他に用があるのだろうか。そう思って待っていると、久野がゆっくりと両手を持ち上げた。

「お願いがあるんだけど」

 その両手にはなんと、知夏のバッグとアウターがしっかり持たれている。

「一緒に抜け出してくんない?」





 駅の反対側にある公園のベンチで、二人並んで座っている。

 今日も秋晴れだったお陰で見上げた空は星が綺麗だ。そろそろ満月だからか、ほぼ満ちている月が煌々と明るく空全体に光を反射させていた。

「涼しー」

 時折吹く風が気持ちいい。

 お互いあの場のテンションについていくのが段々としんどくなっていたからか、抜け出すという久野の提案は最適解でしかなかった。

 ただなんとなく飲み会の余韻は楽しみたくて、こうして公園でぼーっとしている訳である。

「俺、君の歌、結構好きだよ」

 余韻の最中突然そう言われて、「へっ!?」と変な声が漏れた。

「たまに路上に出会うと、ラッキーと思うくらいには好き」

 えっと、酔ってらっしゃるのだろうか。

 初対面で「やめた方がいいんじゃない?」と宣った人物とは思えない口振りである。

「あ、ありがとうございます…?」

「特にあの曲…」

 両手に握った缶コーヒーが、体温でぬるくなっていく。

「『眠れない夜の唄』」

 久野が言ったその曲名は、悩みとか何でもない思考の羅列で眠れないなーという状況をただただ綴った曲だった。

「歌ってよ」

 横を見上げると、真剣な目が知夏を見下ろしていた。

 そう請われると、断れないじゃん。

 いーですよ。照れ隠しでぶっきらぼうにそう言って、知夏は『眠れない夜の唄』をアカペラで歌い出す。

 公園には誰もいないんだから、思い切って声出しちゃお。

 お酒のせいでいつもよりハスキーになってる気もしなくもないけど、でもそれはそれで気持ちいい。

 フルコーラス歌いきると、久野は拍手をしてくれた。

 嬉しくなって自慢げに見上げると…

「なんか、近くないです、か」

眼鏡の奥の目が笑っていなくて、吸い込まれそうだ。

「……そう?」

「は、い……」

 近いというか、近づいて来ているというか。

 息がかかりそう、と思った時、久野は自身の眼鏡をカチャリとおでこから上の方へとスライドさせた。

 思わずその動きを目で追う――と、

「!」

口と口が、くっついた。

 吐いた息がアルコールだ。

 などと色気のないことが脳裏を掠めたが、すぐにそんなことも考えられなくなる。

「…ふ、」

 よく分からないがこれはディープキスというやつだ。舌が口にはいってきて、うごめいていて、わからないけどじぶんのしたもしらずしらずうごいていて…………――――――――――――




 気づいた時にはベッドの上だった。

 裸の男の人が、知夏に覆いかぶさっている。

「くの、さ…」

 自分の口から自分のものじゃない声が漏れていてびっくりする。こんな声で歌ったら、やばい歌になりそう。

「……っ、しずく」

 そう言えばずっと、この名で呼ばれていた気がする。知夏の、もう一つの名前だ。

 しかしこんな時くらい、本名で呼んでくれてもいいのに……と思ったが、もしかすると本名なんて覚えてないのかもしれないと思い直す。飲み会では終始『ゴンちゃん』で呼ばれていたし、久野にとって知夏はあくまでも『雨宮滴』だから。

 それはそれでなんだかやるせなくなって、思わず涙が滲んだ。別に悲しいわけじゃないのに涙って出るんだ。

 久野に身体を揺らされて、滲んだ涙が耳の方へ流れた。少し耳に入った気がする。

 すると、その涙に気づいた久野が、知夏の目尻に唇を寄せてきた。

「…あ、」

 涙を辿るように、その唇が耳の方へと移動する。涙の味を確かめるようにぺろりと舐められて、背中を駆け上がる電撃に思わず声が上擦った。

 だめだ、なんかこれはやばい気がする。

 ただでさえ会って二回目の名前以外は何も知らない人なのに、しかも初対面の印象はあんまり良くない人なのに。

「……ア」

 なんだか堪らない気持ちになって、胸が軋んだ。痛い。何だこれ。

 その胸の痛みに耐えていると、身体を揺らす速度が上がってきて、知夏の思考も訳が分からなくなっていく。

 たぶん声が際限なく出ている。言葉のない声。まるでスキャットのようなそれは、自分でも制御出来ない。

 目の前が真っ白になる。

 その刹那。聞こえた気がした。

「……ちなつ、」

 たぶん、気のせい――――――――――――。






『眠れない夜の唄』雨宮滴



頭ひとつ宙に投げ出して

逆立つ前髪も気にしないまま

血がのぼるツンとする鼻腔

沈みゆく太陽にサヨナラ


何もしないことに焦っては

何もしたくない現実に迷う

24時間の使い道いつも

間違えてしまう真夜中


眠れない夜の唄うたうたび

ひっくり返す空を見つめてた

躊躇いがちに伸ばす右腕は

星空を掴みたがる

明日が来るまでの悪あがきに

少しだけ夜更かししよう




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