シンガーソングライターは恋を知らないままラブソングを歌う
七森陽
Baby Baby Baby
「リアリティのない歌歌ってんね」
何曲か聴いたあと、サラリーマンはそう、宣った。
「…はい?」
ビジネスバッグから財布を取り出し、ゴソゴソとやっている。あの財布はここからでも分かる、ヴィトンのダミエ。いるよね、わざとらしくそうやってブランドチラつかせてマウントとってくるヤツ。
サラリーマンは財布から取り出したものを、知夏のギターケースにぽいと投げた。
普段は絶対見ないようにしているのに、思わず目線がそれを追ってしまう。
ゴン、と音を立てて投げ込まれたそれは、紛れもなく五百円玉だった。
「恋愛なんてそんないい事ばっかじゃねぇよ」
いや、有り難い。たかが五百円、然れど五百円。
少しでも知夏の、『雨宮滴』の歌に価値を感じてくれたのなら嬉しい。だけど。
「ラブソング、やめた方がいいんじゃない?」
投げるのは銭だけでいいんですけど!
冷たい言葉を投げるだけ投げて、そのサラリーマンは駅の方へと吸い込まれて行ってしまった。
ちらりと周りを見渡すと、いつも路上で客を取り合っている見慣れたシンガー達が集まり始めている。
――今日はもうやめだ。
最後に練習も兼ねて、新曲『Baby Baby Baby』をもう一回だけ歌って、知夏はアコギをケースに仕舞って帰路についた。
*
「ねぇ〜昨日駅前行ったのに、ゴン歌ってなかったよね?ストーリーに歌うってあげてたじゃん!」
「ああ…色々あって、一時間でやめちゃった」
翌日大学のカフェテラスで、中学の頃からの親友・アンに詰め寄られた。
「えーっ!新曲歌うって言うからめっちゃ楽しみにしてたのに!」
「アンにはいつだって聴かせるじゃん、別に路上まで来なくても」
「ちっがうの!ゴンが頑張って駅前で声張り上げて歌い上げてんのを聴きたいの!」
嬉しいことに、アンは知夏のファン第一号を名乗ってくれている。この子がいなければ、殺伐とした路上の客取り合戦や、緊張感のある警察との駆け引きなんかは乗り越えて来られなかったと思う。
「ねぇ、一時間でやめちゃうなんて珍しいじゃん。なんかあった?」
ズズーっと飲みきったチョコチップフラペチーノを鳴らして、知夏は大きくため息をついた。
「いやさぁ……なんか変なサラリーマンに絡まれたんだよねぇ」
「…え、大丈夫だったの?それ」
「絡まれたっていうか、ちゃんと投げ銭はくれたんだけどね。でも、『リアリティない歌』って言われた」
「なにそれ」
昨日の出来事を説明していると、昨晩はムカついていた心が、少し違う方へと向く。
あの時三曲ほど歌ったのは、恋の歌だった。
そしてサラリーマンが去り際に言ったのは、「ラブソング、やめた方がいいんじゃない?」。
確かにそうかもしれない。
今まで恋というものを経験した事がないのだから、リアリティがないなんてのは実はドンピシャな指摘だ。
「やっぱ、想像じゃラブソング書けないんかなぁ」
ポツリと言うと、アンはパチンと両手を打った。
「よし!ならゴンも、合コンデビューしよ!」
「えぇ?」
「いっつも誘っても断るじゃん!これを機にさ。んで、リアルなラブソング書いて、そのリーマンぎゃふんと言わせようよ!」
妙にテンションがあがっているアンを横目に、知夏は少し思案する。
ぎゃふんと言わせるかどうかは置いておいて、確かにあのサラリーマンが言ったことは、刺さったけれど刺さった分気付きもあった。
ちょっと仄暗い目をした彼に「そんないい事ばっかじゃない」と言わしめた恋愛とやら。
今まで以上に興味が湧いてきた。
「わかった、行く」
「えっマジ!やったー!」
アンは諸手を挙げて喜んでいる。
恋愛モンスターのアンにとって、合コンは言わばディズニーランドみたいなものだ。テーマパーク。遊園地。そんな感じ。
「んじゃ、裕吏の友達集めてもらうね」
ユーリくんは、今のアンの彼氏らしい。三つ歳上の医学部院生だ。
「平日ならいつでもいいから、決まったらLINEして」
「おっけ〜」
知夏は立ち上がり、最後にフラペチーノをひとすすりする。
氷が溶けて、もう味はない。
削られたチョコチップが舌に張り付いて気持ち悪いけれど、それがまるで脳裏に焼き付いて離れない、あのサラリーマンの目みたいだった。
『Baby Baby Baby』雨宮滴
既読はつかない 君は気づかない
待ってる時間すら楽しくって
話は尽きない 心揺るぎない
明日も明後日も一緒にいれたらって
散々ケンカしたあとだって
ゴメンの一言で
ああ 許しちゃうんだから
Baby Baby Baby ロンリー
ひとりっきりの夜はキライ だから
Baby Baby Baby ソーリー
遅いってことわかってる だけど
Tell me Tell me Tell me Baby
繋がった電波の向こうで 君が
Love me Love me Love me Baby
眠たくなるまでどうか 笑っていて
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