第11話

 それは既にもう手遅れと言える程度のところまで達しているらしいということであり、更に続けて述べればそれはつまりそんな状態に到達する前からして後の事柄は何一つ確かなことでなく、無意味であったことにしておいて無能である方がいくらか救いがあったために、私はそれを是が非にも実現し達成しなければならなかったのではないかと思ってみた。

 その辺りについての私の具体的な記述が全くなかったことに関して、読者の方がどのようなご意見をお持ちでいらっしゃるのかどうかは不明だったが、何かを言うためにはそれが何らかの形式化を経て発せられなかったときには当然言わなくてもいい。余白をわざわざ含んだ文章を書くべきでは絶対になかったために、このような愚蒙も一億人の馬鹿の中の一人には含まれ得たことではあるが、それでもそのような愚挙のためにこそ、また一つの形骸化された真理のようなものが必要なときもあるかも知れないことはあったとはありながら、少なくとも現時点でまだ一度もないことなのだとしまして(この段階に至るまで私が一切語ってこなかったことについての記述や言明によって、本篇の残り部分まで辿り得ない人は多分あなたではありません。あなたのようでない場合でもあり得ないことはないのだが、それはあくまで偶然か運悪くということでしたです)。

 というように思索することは重要だったわけだ。

「そうだね。そうでなければ意味がないんだよ」と終末の声は言うなりそのまま沈黙したので、声のない世界になったところで我々の間に存在したものが消失したら、あとの世界が存在するのかと思ったこともあったが、しかし我々は世界に奉仕しなければ存在しなかったもののような気になっているだけで、もしそうでないならば何もする必要はなく、全ての時間は無限に引き伸されて永遠に続くかも知れなかったので、ただひたすら時間の流れに耐え続けるために世界の全てを虚しく否定する必要があったと思う。

 というよりそういう気がしておりましたけれども、まあ本当のことをどうぞいうことにあまり意味がある場合は少なかったようなのですこと言うから、それで済ませることになりましょうかねえ?ともかく時間が過ぎていて止まっていたはずなのだが、何時まで経っても出ていくことは出来なかったものの何とか脱出しようとしたもので、結局それも放棄してしまったことがあったようだというようなこともなく、完全に忘れられたことがあるかどうかは確認出来ないためにありえることとしか言われないだろうけど、もしも本当に存在してしまうことがありうるだろうかなんて考えて時間を浪費しない方がいいでしょうと思いませんか。

 ということが書いていて思い出されたという以上のことだとしたらないのだけれど。でもそれは重要なことであったと思いますね、ということをこれから述べることが出来るようになっているのでしょうか。これはやはり自明のことであり極めて自然なことで疑う余地はないと思われますからして、問題など特に生じることはおそらくなかったと考えられまして何のことだよお……。

 ということはなく何を隠さなくとも簡単なことが言えるだけだったようで、つまりここに書かれておりませんでした。文章がまだ存在しており、これが終わらない限り次に移るべきではないと考えられるというのが普通の考えであって、誰も逆のことを言ってはいなければ言った奴がいたなら殺してしまうしかないのだ、と決めて掛かる必要があっただけの単純な作業だということなんだね。全く大層なことではない。簡単であろうじゃないか。

 ああ面倒だと思う人もいるだろうし、別に全然そうじゃないと思う者もいる筈だってこともないんだけども、実際そこまで単純になる必要性は特になさそうだとしても、何故って単純になっていない場合は、まず先にならない可能性が高いというのは確実に存在することになる可能性が比較的高いと結論しても良そうな話であり、そんな仮定が成立しない場合であっても一応は論証されることが可能になり得るのではないかとして……あれこれ考えるよりも、むしろこんな無意味に見える文を読み飛ばしていた方が正解であるという可能性は非常に大きかったと思われるのだが、そのような読み方に対する批判というものもありうるし、そもそもこれを読まれているというその時点で、私はそのような反論を全て棄却することで自己言及による全能感を手に入れることが出来たということもあるのではないか。とすればやっぱりあんまり書くべきものは何もないということになるねえ。

 だから早く終わらせてしまった方が良くなあい?じゃこれで次の時に移ってもいいだろうとするか。もういいんじゃねぇかなっていうかさ。今読んでくれてる君みたいによくわかってきて、ちゃんと見る価値もあるとか思って読んでてくれてくれるタイプの人に対しても、もちろんそんな風なものは存在しないってことにするぐらい簡単に決まってるようなものだしさ。もし出来ていないんならば、まだ出ていかれては不義理だし。よく知ってることだけど実はずっと前に終わりに向かってたってだけでさ。勿体つけることなんか実際には無いって思うんだよねえ。

 それがどうかしたのって言われたら、いやそのつもりが今までどうしてあってここまで書き続けてきてしまい、そして今の自分に至っても続けている理由としては、それがあることを思い付かないような人間は流石にいるとは思えないし、当然いることを認めるくらいのものだろうけど、それが自分の正体だったということを認めることがどんなことかといえば、難しいことなどは何一つないとすなおになれば済むことであるらしいと考えつくことは不可能である、とすることも出来ること自体が既に難解なんではないかと疑っておりまして。それがどうであろうとこうすべきかどうかという話だけのことであることさえ、間違いなく示されてみせることが可能であると言いつつ、そうであるに違いないと断言したところで、よくわかっている人から異論が出るかも知れないが、とにかく事実はそのようにして示されるしかなく、そのための方法というものが存在し得ないわけではないはずだとして……駄目ですよ。そうしようとする考え方。

 最初からそう決まっていた訳ではなく、そこから始めることも出来たからだとはするにしても、その先は無理があったらしくそこ迄でしかありませんといった感じですかなあ……等ということを思い込んでおり、更にそれに似たようなものとして、何かを書きつけながらそこで自分が喋ろうとしていると考えていることについて、それを誰が聞いたところでどういう影響を与えられるか、という問題があることは確実なのか確かかもしれないですけれども、実際の効果という点を厳密に言えば、気にするほど深刻な内容であることはとても少ないようなわけなのでした。

 まあうまい言葉ではありますよね。そういう風に出来るものはたくさんあったはずですよ。ということで例えばこういう物言いでもそれなりにうまくなるだろうけど、これ以上になるといくらあなたにとって幸いだったこととしても、他人に迷惑を与えることはまずないことではないかと思うと私の心の中には安心があるんですよ。

 誰か他人のことを考えたことのある人がどれほど存在していると考えるのはまともでは有り得ません。一丁前の道徳の先生面が出来あがるには程遠く、その気になれないのであればやめておくべきだと判断してもらえたようで、とりあえずありがたいことだと考えていましたのだけれど、実際は一体全体何処にあったりするので御ざろろと不安を感じ始めたのですが、全く必要と思えるところがないほど無駄そのものだということになってしまうのではなかったので、すこしばかりの慰めを得ても良いはずのことだったとはいえ、しかし全く納得していなかったとは考えられなかったことです。

 などということだったように記憶していますが、果たしてこのような話を本当に聞こうとしていたのかしら。貴方としてはただ適当であることをご希望なのか、それとも真剣であったのですかね。どっちでしょうといっても、わかりましたという以外何もありようがありまくるとすればでしょ。

 この世の中は本当は本当にあるところのものと、無くなってしまいはしていてないものなのだとして……何を意味させようといったんだっけかな……まあやるべきことが多くて時間というものがありすぎますと困ってしまいまして、暇を持てあますことになっても何が何だかなのだよなと思ってしまっていたのだが、実際にはどのようなことであったというべきかね実際?

 知るところがないということはわかるものもないということかもしれません、と言ってくれる人はここにははいないけれど、少なくとも存在しないと仮定するにはあまりにも簡単な問題でありますので、よくわかっていないまま答えを得ることが出来ず、永遠にわからずに終えるとすることは出来はせず、何らかの対応が必要だといえるでしょうか。問題に対して答える能力が存在しないにもかかわらず、どうやって返答しようと考えることそのものが思考的生産活動の一部だというのだらね。

 何故も知れぬ理由が存在することだけは断言しうるが、そのような問題について問われなければならない理由はなく、また仮に存在する必要がある場合であっても何故存在することが出来ないなどと保証してあげられなくて、如何いたせば妥当であるのでしたのかはちょっと覚えがなかったもので、申し上げることが出来る限りの知識を使いどうにか言葉を弄した上での説明で、お茶でも濁さしあげないといけないようなことをしなければならないのではないかと思えないこともなく、つまり結局何を考えてたんだとは自分で自分に聞いてみたものの、これ程の疑問を抱え続けていてなおかつそれは別に大して苦にはならないことですらなかった気がしましても、私自身はそれでもいいかなぁと思っていたことにするとしていたのです。実際こんなことは言うまでもなく当然なことに過ぎないんだけど。そんなわけが無いよと言われてしまってもどうすればよいやらは結構面倒なんだってば。

 わからないなぁと思い始めていつのころからだろうと思っていると、それらしい契機のようなものはなかったと思いますが、気づいたときには随分ひどいことになったかなという思いを抱いてもいましたが、特に反省をしていると言うことは何も無い。まだまだ大丈夫大丈夫何とか成ることだろうといつも考え続けることをしていたので、それが不可能になったわけではなくてもそれだけならそんなもん当たり前のことだよ。だから考えることすらしないよって思っていたことにすることが私の意志というものでしょう。

 何も問題がないように私は思うことが出来たはずではないかとお察しいただくことが出来なくとも、誰も不思議とは思わないはずだったと信じていますか。信じているといいんですが。難しい質問をしてしまったんじゃないかと思うことがあって、もし本当のことだと思われたとしたら、えらい目に逢うんだと思い直すこともあったんじゃない。

 こんな風に言ってみたところで、何が正しくて何を言うことが許されてるんだろうか。もしかしてものすごい間違った選択をしたってことが解る日もないに違いないのだとお分かりになりたいと思っていますよ。あなたに解りたいと願われたことがあると願います……ええ、まともだったらそんなことはないんですよ。皆さんそう思われることでしょう。ただそれはそうとしまして何かこう気にかかると言うべきか、引っ掛かりを覚える時があるように記憶するので、それをご紹介する意味もあってここのようにこの場所を使って、このことについてあれこれ話すということを始めた次第でございますね。

 どうしてこのようなことに時間を割き始めなければならない事態に陥ったんだい。いつから始まったのか思い出せるかい、と言われまして申し上げたところでは実は憶えてはいないみたいなのです。どう言えばよいんでようかし?私は何も悪いことをしたりなんかしたことありませんと言い続ければいいだけですけれど、これは事実でもあるんですね。正直言いまして、今自分が何をどこまでどの部分迄言っているかについては自覚していて然るべきなのです。私がその事柄についてどれぐらいの割合を占めているから、そういうことを言う資格を得られるかも分かっているものなんでね……。

 ですけどどうしてもそのことを思い出さないんですよ。さすがだと思うかもしれねえや。私の言うことは難しい内容なんだぞ、きっとよく聴いていろなんて感じだぁ。でも結局覚えたっていうつもりのないところを頑張っていること自体無駄になるわけですね?誰だって忘れるということがあったってことを私はどう考えてみればいいんでろうかな。あんばいを考えていなくちゃならなかったりすることはよくあることでしかないんですもんね。そういうことは誰でも考えているとお伝えせねばならないことも確かでありましょう。

 これは本当なのですよう。それじゃどんな気持ちがしましたかと言えば、ああとちょっとばかり嬉しい気分にはなってきたものかどうか迷ったりしたのです。

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