第35話 侵入者
僕は家の中に入ると、玄関で靴を脱ぎ、廊下に上がってトイレを目指す。
しかし廊下を歩き始めて僕はすぐに違和感に気づいた。
居間の方から誰か人の気配がする。
僕たちが家を出てすぐに、入れ替わる形で父が会社から帰ってきたのだろうか。
可能性としてはそれくらいしか思いつかないし、それなら玄関の鍵がかかっていなかったのも納得できる。
家の鍵なら父も持っているからだ。
僕はそうに違いないと思い、廊下を歩いて居間の前まで来たときに、中を覗いて声をかけた。
「お父さん、帰ってきたの?」
しかしそこに父はいなかった。
いたのは僕が見たことのない30代くらいの男性で、タンスをあさる手を止めて僕を見た時、人相の悪さが目に入った。
その人を見た瞬間、僕の中で危機感が溢れ、逃げなきゃという意識で一杯になった。
僕はすぐに行動に移し、自分が走れない体であることをその時ばかりは忘れて、走って玄関へ向かう。
後ろの男が走って追ってくるのが足音で分かる。
僕なんかに構わず、窓からでも逃げて行ってくれと願うが、その願いは叶わない。
距離を詰められるのが、近づいてくる足音で分かる。
おそらく逃げ切ることは出来ないだろう。
それでも玄関から外に出て、大声で助けを求めれば、誰かが異変に気付くかもしれない。
おそらく家の中から大声を出しても、広い庭と家の壁のせいで、声が届かないだろう。
僕は近年では考えられないくらい全力で廊下を走り、ぜぇぜぇ息を切らしながら何とか玄関に到着して、扉を開けて外に出ながら叫ぶ。
「誰か、た……」
しかしそこまでだった。
僕の後ろから伸びてきた手が僕の口をふさぎ、そして家の中へと引きずり込まれる。
「危ない危ない。人を呼ばれるところだった。暴れるんじゃねえ」
男が右手に持つナイフを見せつけるように、僕の顔の前に持ってくる。
それを見た途端、恐怖で僕の体から力が抜けて、暴れるのを止めてしまう。
「こいつでえぐられたくなきゃ騒ぐんじゃないぞ。お前には聞きたいことがある」
男が僕の口に回していた左手を肩のあたりに移動したので喋れるようになった。
「お前はこの家のガキだな。さっき出掛けたんじゃなかったのか。なぜここにいる」
「トイレに行きたくて戻って来た」
僕が淡々と告げると、男が嫌悪感を示すように顔をゆがませる。
「ちっ、ついてねえ。他の出掛けたやつらは今どうしてる」
「少し離れた道路で、僕が戻るのを待ってる」
「家のすぐ前にはいねえんだな」
僕は無言で頷く。
「ならいい。それなら金目の物を奪ってさっさと退散するだけだ。おい、ガキ。金目の物はどこにある。こんだけでかい家だ。宝石や貴金属くらいたんまり持ってるんだろ」
「僕のお父さんもお母さんもそういうものにはあまり興味ないから、家にはそういったものはないんだ」
「嘘じゃないだろうな」
「ほ、本当だよ。嘘じゃない」
僕は心の底から信じてくれることを願った。実際、この家にはそんなものは、今母が身に付けている結婚指輪を除いてないのだから。
「ちっ、しゃーねえ。後で嘘がバレたらぶっ殺してやるからな」
僕は再び無言で頷く。
「他に金目の物はねえのか。金持ちの道楽で収集してるものとかあるんじゃねぇのか」
「一応、お父さんが古い玩具を収集してる」
「それはどこにある」
「書斎だけど」
「そこに連れてけ」
仕方なく僕は男を先導するように廊下を歩き、書斎の前まで来た。
書斎に入る前に僕は淡い期待を持って男にお願いをする。
「書斎に入る前に僕トイレに行きたいんだけど」
僕のポケットの中には現在スマホが入っているので、個室に入って中から鍵をかければ助けを呼ぶことができる。
しかし考えが読まれているのかトイレに行く許可は出なかった。
「勝手なことは許さん。我慢しろ」
僕は諦めて書斎の中に入ると、男もすぐ後ろからついて入ってくる。
「ここか」
男が部屋を見回して沢山の玩具に目を向ける。
どれが金になるかを見定めているのかもしれない。
「いくつかガラスケースに収められているものがあるな」
確かにこの部屋にはガラスケースに収められている玩具が全部で4点ある。
値打ち物である可能性は高いので、父には悪いが、さっさとそれを盗んで帰ってほしい。
そう思っていると男が僕に指示してくる。
「ガラスケースの中身を取り出してすべて廊下に並べろ」
僕は言われた通り、無言でガラスケースの中の玩具を取り出し始める。
男が自分でやらないのは、玩具に気を取られている隙に、僕が逃げ出す可能性があるからだろう。
僕は最初の玩具を手に取り、それを持って部屋を横切り、廊下の床に置いた。
次の玩具に移り、部屋を全部で4往復してすべての玩具を廊下に並べ終えた。
すると男がポケットから風呂敷を取り出して、玩具を包んでいく。
「よし、後はずらかるだけだ。本当は家中探したかったが仕方がない。あまりガキが戻るのが遅いと、他の家族まで帰ってくるかもしれないからな」
まさに男がそういった時、玄関の方から声が聞こえてきた。
「坊っちゃん。まだトイレ中ですか」
その声を聴いた途端、男は僕の腕を掴んで、書斎の中へと引きずり込む。
そしてナイフで僕を脅しながら小さな声で男が呟く。
「騒ぐんじゃねぇ」
僕は黙り込み、恐怖で体を動かすことも出来ない。
このままでは何も知らないセルフが廊下を歩いて書斎の前を通るだろう。
声が聞こえなかっただけで、もしかしたら母も一緒にいるかもしれない。
その時、男がどんな行動に出るのか僕にはまったく予想が出来ない。
廊下を歩く足音がゆっくりと近づいてくる。
足音の数はひとつの気がするが、気が動転していてそれが正解なのか自信がない。
そしてついに足音が書斎の前まで来たとき、男が部屋を飛び出して告げた。
「動くな。こいつで刺されたくなきゃ大人しくしろ……ん?」
部屋の外で男が少し動揺した声を上げる。
「なんだロボットだけか。こいつの事は知ってるぞ。事前調査で何度か耳にしたからな」
どうやら母は一緒にいないようで少し安心する。
「外にお前ともう一人、家の者がいたはずだ。そいつは今どうしてる。答えろ」
しかしセルフは答えなかった。
何らかの意図があるのか、不審者とは言葉を交わさないようになっているのか分からないが、セルフはひたすら黙っていた。
「答えられないのか。ちっ、喋れるって聞いてたんだがな」
セルフの沈黙は男をイライラさせる効果があったようで、男が暴力を振るわないか心配になる。
ちなみに現在の位置関係では僕から男は見えるが、セルフの姿は見えない。
逆に男の立ち位置からは、セルフと僕の両方を見ることが出来る位置だ。
男がさらにセルフに近づき僕の視界から消えたら、すぐ母にスマホで家の中の異常を伝えようと思って身構えている。
しかし男もその位置から動かないので、顔はセルフの方に向いているとはいえ、僕が今動けば異変を察知するだろう。
だから不用意には動けない。僕とセルフの両方に意識を取られている男、何も語らないセルフ、男の動向を見守る僕、と三者三様の思惑が交差し膠着状態に陥って無言の時が流れる。
一番焦っているのは男だろう。
最終的には盗品を持って逃げなければならないのだから。
やはりというべきか、最初に次の行動の一手を打ったのは男だった。
「ちっ、このままじゃ埒が明かない。おい、ガキ。こっちに来い。てめえは念のための人質だ」
男がそういった直後、それまで無言だったセルフが落ち着いた声で告げる。
「坊っちゃん、そこにいるのですか?」
「いるよ」
「それを聞いて安心しました」
そしてセルフが再び廊下を歩き出す音が聞こえ、僕の位置から姿が見えたと思ったら、セルフが男の腕に掴みかかった。
「放せ、ぶっ殺されてぇのか」
「放しません」
男とセルフがもみ合い、そしてセルフが上手く位置取りをして、書斎の入り口を背にして立った。
そして一度セルフが掴んでいた手が離れ、男が距離を取る。
「ここは通しません。坊っちゃんには、指一本触れさせません。さっさとこの家から去りなさい」
言われた男は逃げればいいものを、逆上してセルフに襲い掛かった。
「てめぇ、ぶっ壊してやる」
男がナイフを振りかざしてセルフを襲う。
しかしセルフの体に傷をつけるのが関の山で、傷を付けられてもセルフはまったく動じる様子がなかった。
ロボットに対し刃物で襲うこと自体、あまり有効でないといえるだろう。
セルフの急な行動と状況の変化に僕は思わず見入ってしまったが、今が母との連絡を取るチャンスと悟り僕はポケットからスマホと慌てて取り出す。
すぐに母へ電話をかけようと思ったが、男がナイフ攻撃を止めて何やらポケットから四角い何かを取り出すのが見えて、意識がそちらへと向いた。
「てめぇにはこっちの方が効きそうだなぁ」
そういって何やらスイッチのようなものを男が押すと、微かな発光を伴い、バチッ、という音がした。
実物を見たのは初めてだけれど、おそらくあれはスタンガンだ。
もう駄目かもしれないと思ったが、僕は急いでスマホを操作して母に電話をかける。
早く出てくれと願う間にも、男がスタンガンでセルフに襲い掛かる。
「うらぁ、寝てろ」
男の腕が伸びてきてセルフの胴体の部分にスタンガンを当て、それからスイッチを入れる、バチッという音が聞こえた。
もう駄目だと思い僕は思わず目を閉じた。
その後、何かを殴る音と倒れる音を確かに聞いた。
もう僕の人生はここで終ったと本気で思った。
絶望で力の抜けた僕の手からスマホがこぼれ落ち、床に転がった。
「坊っちゃん……」
セルフの声が聞こえる。
最後の力を振り絞って発せられた言葉だろうか。
「賊を退治しました」
ゾクヲタイジシマシタ、とは一体どういう意味だろうか。
頭が働かない僕がその意味を理解するのに数秒かかったが、理解した途端に僕は目を見開いて目の前の光景をまじまじと見た。
男が廊下で完全を意識を失い倒れていた。
「え、何、何がどうなったの?」
僕はセルフに思わずそう聞かずにはいられない。
「身の危険を感じて、つい殴り倒してしまいました」
確かに何かを殴る音を聞いたが、あれはセルフが男を殴る音だったのか。
「そうだ。お母さんに電話しないと」
僕はスマホを拾い上げ、通話中の表示が出ている画面を耳に押し当てて「もしもし」と話し始める。
「一体どうしたのよ、聡。電話がかかってきて、出て話しても、何の反応もないし。何かあったんじゃないかって心配したじゃない」
「うん、それなんだけど……」
僕はここであった出来事をすべて母に報告した。
それを聞いた母は僕の身に怪我がないか何度も確認し、怪我がないと分かると安心したようだった。
それから警察への連絡は母がするということで、一度電話を切った。
警察への連絡が済み次第、母も家に戻ってくるということだった。
それから僕は緊急にすべきことをセルフに告げた。
「僕、トイレに行ってくる」
「いってらっしゃいませ」
僕はトイレへと向かい、ゆっくりと用を足すのだった。
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