第22話 お出かけのお願い

 僕とセルフが散歩から帰り、居間に入っていくと相変わらず母が料理の本を読んでいた。

 僕はテーブルの母の向かい側に座り、散歩で遭遇した出来事について母に報告しようと口を開く。

「お母さん、散歩に行ってきたよ僕」

 母は本から顔を上げ、穏やかに微笑んで僕の話を聞いてくれる。

「たまには散歩するのもいいでしょ」

「うん。それに面白いこともいっぱいあったよ」

「面白いこと? 何かしら」

「通り過ぎる人、みんなセルフの事注目していくんだ。それで……」

 僕は散歩中に起こった出来事を、母に細かく言って聞かせた。


「……という感じで、色々な事があったんだ」

「そう。そんなことがあったのね。みんなセルフを珍しがっているのね」

「うん。そんな感じ」

「何度も散歩に連れて行ったら、その内ご近所さんは慣れてくるわよ」

「それはそれで、みんなの反応が面白くなくなる気がして、寂しいけど」

「それは仕方ないわね」

 母が穏やかに断言し、僕も仕方がないという気持ちになる。

 セルフを見る人たちの反応を見るのが好きなので少し残念に思うが、別にすぐに慣れるわけではないだろう。

 しばらくは面白い反応をご近所さんが見せてくれると思うと、それだけで嬉しくなる。


 そこまで考えて僕はそろそろ話の本題に入ろうと思い、母の様子を伺いながらどう切り出そうか迷う。

 ちなみに話の本題とはゴールデンウィーク中にどこかに連れて行ってほしいという願いだ。

 僕は最近、家族に対してあまりお願いをしてこなかったので、切り出し方がわからない。

 何も考えずに言えばいいのかもしれないが、拒否されるかもしれないと考えると尻込みしてしまう。

 心の葛藤が態度に出ていたのか、母が優しく微笑んで僕を促してくる。


「どうしたの? そわそわしているみたいだけど。何か言いにくいことでもあるの?」

「うん」

「そう。何でも言ってみなさい。話を聞いてあげる」

 母の言葉に僕は意を決して話し出す。

「うん。このゴールデンウィーク中にどこかに連れて行ってほしいと思ってたり、思わなかったり……」

 最後は自信がなくてごにょごにょと尻すぼみになってしまったが、何とか僕は言いたいことをいった。

 だが僕は母の反応が怖くて下を向いてしまい、母の表情が読み取れない。

 母が返事をするまでの時間が長く感じられたが、実際は大した時間かかっていないだろう。


「聡がお出かけのお願いをするなんて珍しい……、いや懐かしいわね」

「うん。僕もそう思うよ」

 確かに僕が小さい頃は、母に色々とお願いやわがままを気軽に言えていた気がする。

 母は昔から優しく穏やかに微笑んで、僕のお願いやわがままを聞いてくれた記憶がある。

 今思うと色々困らせたりしていたかもだが、当時の僕にとって母は何でも言うことを叶えてくれる凄い存在だった。

 怒られた記憶は僕が悪戯をした時くらいしかないし、理不尽な怒りを向けられたこともない。

 そんな母にさえお願いやわがままを言わなくなっていったのは、自分自身から湧き上がる体が弱い事への罪悪感からだろうか。


「それで聡は具体的に行きたいところがあるの?」

 母に問われ、そこまで考えていなかったと思い、僕は慌てて行きたい場所を考える。

「行きたい場所は、えーっと、その……」

 すぐには行きたい場所が思い浮かばす、僕はすごく悩んでしまう。

 そんな僕の様子を眺めていた母が、僕を落ち着かせるように穏やか口調で告げる。

「特に決まってはいないのね。聡はどうして急にお出かけしたいと思ったの?」

「僕、ゴールデンウィークらしい事がしたいってセルフと話してて、それでセルフに両親にお出かけのお願いをしたらどうって言われて、楽しそうだなって思ったんだ」

「そう。セルフが考えたのね。でも確かにいいわね、家族でお出かけするのも」


「うん。ちなみにセルフが挙げた候補は、動物園、水族館、遊園地、ピクニックだよ」

「最初の3つはどうかわからないけどピクニックならセルフも連れて行けるんじゃないかしら」

「じゃあ僕ピクニックに行きたい。セルフも一緒に」

 最近セルフは僕の話し相手になっているから、どうせなら一緒に連れて行ってやりたい。

 家でひとりだけお留守番は少しかわいそうだし、セルフがいれば僕がもし倒れても運んでくれそうだ。

「そうね。それじゃあ、お父さんにお願いしてみましょう。書斎にいるだろうから呼んでくるわ」


 母が立ち上がり、居間を出て書斎に向かったのを、僕はその場で待つ。

 それほど時間がかからずに母が父を連れて戻ってきて、ふたりでテーブルの僕の向かい側に座った。

 そして父がどこか嬉しそうに話し始めた。

「ゴールデンウィーク中にピクニックに行きたいんだって?」

「うん。出来ればみんなで行きたい、セルフも連れて。ダメかなお父さん」

 僕は父に対して過去に、もう旅行にはいきたくない、と言ったことがあるので、いまさらこんなお願いをするのはかなり気が引けてしまう。

 しかしピクニックに行くならみんなで行く方が楽しいと思うので、父にも来てほしいしセルフも連れていきたい。

 僕が祈るような気持ちで父の言葉を待っていると、父は笑顔を見せて僕に告げた。


「いいんじゃないか。みんなで行くか。ピクニックに」

 それを聞いた僕は心底ほっとし、それから喜びが心の底から溢れてきて、僕も笑顔になった。

「ほんとにいいの。お父さん」

「ああ。ピクニックに連れて行ってやる。明日は急だから無理かもしれんが明後日ならいけるだろう。行き先を考えておくよ。楽しみにしておいてくれ」

「ありがとう。お父さん」

 僕はセルフに言われた通り、両親にお出かけのお願いをして良かったと心から思った。

「ただ、あんまりはしゃぎすぎないように注意してくれよ」

「うん。わかってる」


「それにしても聡の方からピクニックに行きたいなんてお願いされて父さんは嬉しいよ。昔はよく旅行に行ったけど、基本父さんが行きたいところにみんなで行くという感じだったから、聡が楽しめてるかいつも半信半疑で、もう旅行に行きたくないと言われた時は父さん反省したんだ。自分の事ばかり考えていたのかなって」

 父が語りだす言葉の内容に僕は驚き、そして申し訳ない想いが溢れてくる。

 あの件で悪いのは完全に僕であり、父が反省することなんて何もない、という思いがあるからだ。

「お父さんは別に何も悪くないよ。あの頃の僕は自分の体の調子も考えずにはしゃいで、すぐに倒れてたのが問題なのであって、旅行自体は楽しめてたよ。ただ旅行に行っても倒れた僕の看病ばかりさせてしまうお父さんとお母さんに迷惑がかかってるんじゃないかと思って、もう行きたくないって言っちゃったんだ」


「迷惑なんて思うわけないだろう。親が子供の面倒を見るのは当たり前のことなんだから。聡がそんなこと心配する必要はないんだ」

「そう言われても気になっちゃうよ、僕」

「そうか。済んだことを今更とやかくいっても仕方がない。今はもう自分の体の調子を管理出来るんだろう?」

「うん。倒れることはないと思う」

「それならピクニックに行くのも何の問題もない」

「もし万が一倒れることになったらセルフに僕を運ばせたらいいよ」

「そうか。まあ万が一ということもあるからな。セルフもそれでいいか?」

 テーブルから少し離れて正座しているセルフに父が視線を向けて、確認を取る。

「もちろんです。おまかせください。ご主人様」

 セルフが当然のように答えるのだった。

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