少年編5 -リドラン
夏のはじめ、旅人たちは、険しく立ちはだかる幾重もの山を越えた。
かつて作られた街道は、今や寂れて追いはぎも出る。旅人にとって、そこはもはや安全な道ではなく、隠された細い道のほうが遥かに歩みやすかった。
その道は、冬になれば雪に閉ざされ、進むこともままならぬと思えるほど、くねくねと長い。
やがて峠に差し掛かるころ、その道はようやく終点に差し掛かった。道が最も高い場所に達する頂には、石で作られた頑丈な関所があり、門の向こうには、なだらかに広がる斜面と、海と、その間に広がる大きな町が見える。
関所を守っていたのは、色の浅黒い、鋭い目をした若者だった。足には靴も履いておらず、青黒い髪は、櫛も入れずになびかせてあった。
そのような、いかにも恐ろしい野生児の出で立ちで、彼は、門の梁の上に寝そべって、過ぎてゆく人々を眺めていたが、ぼろを纏い、剣を帯びた男が門を通り過ぎようとしたのを見咎めて、すぐさま梁の上から飛び降りてきた。
「待たれよ、そこな客人。ここより、いずこへ行かれる。」
声は獣の咆哮のように、よく響いた。爛々とした目は、人を恐れさせるに十分だった。
けれどグウィディオンは、声の主を見とめるや、臆することなく、馬の上から眺めた。
「リドランの主の城、かつてギルヴァエスウィが住み、今はその息子たちの住まうという館へ行くのだ。」
「なにゆえに? 貴殿は何の用向きで、そこへ行かれる」
「何なればこそ。俺にそれを聞くのは愚問だぞ。その館は、母が俺を生んだ館で、かつては父のものだった。」
聞くや否や、若者は、腹の底から笑った。そして、旅人の馬のくつわに手をかけた。
「ならばご案内遣わそう。その言葉がまことであるならば、貴殿は我が父の兄、グウィディオン殿でありましょう。」
グウィディオンは馬を降り、改めて、若者を眺めた。
「では、そなたはブレイドゥンか」
「いかにも。館は兄たちに任せてあります」
なるほど、若者は、名に違わぬ眼差しを持っていた。
ブレイドゥンは、門を守る兵たちに後を任せると手で合図をすると、町への道をぶらぶらと歩き始めた。彼は手ぶらだったが、それは、馬たちが、主人以外の者に手綱を取らせなかったからだ。
明るい日差しに照らされた斜面には、実をつけた木々と耕された畑が続き、家々の壁は、鮮やかに彩色されている。イオナに落ちていたような影は見当たらず、襤褸をまとって蹲る者も居なかった。
「ここは、かつてのように豊かなままなのだな」
「港があります。そして険しい山が、国を包む陰鬱な風をさえぎってくれます」
港には、大きな帆を張った船が何隻も停泊していた。グウィディオンは眉をしかめた。
「ルヴァインの船か」
「それ以外にも。ここには、あらゆる国からの船が着きます。港を管理するのは、兄のヘッフドゥン。長兄のヘドゥンは、狩りに出ていなければ、館にいるでしょう。」
通りには賑やかな売り子の声が響き、人々がせわしなく行き交っている。
グウィディオンの擦り切れた旅の装束は、人々の好奇の目を惹いた。案内するのが館の若君、男の後に従うのが見たことも無い美しい少年であることも、不思議な光景に見えた。
だが、彼らは、そ知らぬふりをして通り過ぎた。
グウィディオンは、始終、黙したままだった。
白い館は、町はずれの森に面した場所に、ひっそりと、質素な佇まいを見せていた。
よく手入れされた生垣が二重に館の周りを取り囲み、庭には、緑の首輪をつけた、毛並みのよいマスチフ犬たちが放たれている。
入り口には、白い馬が止められ、ちょうど馬具を外されているところだった。従者たちが、獲物を台所へ運ぶよう指示し、狩りで使われた弓矢を片付けている。
「どうやら、ヘドゥンは狩りから戻ったところらしい。」
ブレイドゥンは、グウィディオンの側を離れると、入り口に向かって軽快な足取りで駆け出した。
狩りの後始末をしていた従者たちに、客人の来訪を告げ、館の主に出迎えるように言い、自分は、その足で広間へと入っていった。グウィディオンは振り返って、スェウに、馬を下りてついてくるように促す。
少年が馬を下りると、館のあるじとともに戻ってきていた猟犬たちが、物珍しそうに、くんくんと鼻を鳴らして近づいてきた。
見知らぬ人間には懐かない、厳しく訓練された犬のはずだったが、スェウが手を伸ばすと、おとなしく、その手に撫でられたのだった。
間もなく、ブレイドゥンが戻ってきた。
「ヘドゥンが待っています。どうぞ、奥へ」
彼は、スェウが犬たちを手なづけているのを見て、驚いたように肩をすくめた。
「なんだ。オレにはそんな愛想のいい顔は見せないのに。」
「
グウィディオンは言い、その場にいた人々を笑わせた。
館に何十年も仕えている者たちの中には、かつて館の主だったグウィディオンを覚えている者もおり、悪い噂はあれど、彼の帰還を、心から喜んでいたのだった。
そして現在の館の主、ヘドゥンは、若いが背の高い、逞しい若者だった。
グウィディオンが広間に入ってきたのを見ると、席を立ち、両手を広げて歓迎の意を表した。
「ようこそ、伯父上。生きて再びお目にかかれるとは、嬉しい限りです。」
「大きくなったな、ヘドゥン。最後に見たとき、お前はまだ二つかそこらだったが」
ヘドゥンの背は、グウィディオンと同じくらいだったが、がっちりとした肩幅は、まだ及ばない。
すぐに席が設けられ、客人たちの前には、海の珍味や飲み物が並べられた。そこには、ヘドゥンとブレイドゥン、グウィディオンとスェウしかいなかった。
使用人たちもみな、退けられていた。久しぶりに再会した一族の会合としては、ずいぶんひっそりとしたものだった。
だが、彼らには、それだけの理由があったのである。
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