少年編6 -盾
まずはヘドゥンが口火を切った。館の主として、当主として当然というように。
「改めて、ご挨拶と歓迎を申し上げる。伯父上、よくお戻りになられた。我らとしても、喜ばしいことだ。とはいえ、なにゆえに、十五年も経った今になって。それをお伺いしたい」
グウィディオンは、若者の探るような目つきの意味を知りながら、答えた。
「そなたたちの父が、死んだと聞いたのでな。」
そして、杯を取る。
「――つい最近まで、知らなんだ。人の噂にも上らなんだ。もう、七年も前だと?」
ヘドゥンは、静かにうなづいた。
「何故死んだ。病か」
「殺されたのです。」
グウィディオンの手が止まる。ヘドゥンは繰り返す。
「父は、イオナからの帰還中に殺されました。諸侯たちの会議の席で、あなたの追放を解き、この地の税を軽くするか、自治権を認めるようにと要求した、その帰りでした」
「それが、マース公の息子、グウェルンを殺した理由か。」
「…グウェルン殿が、どうした、ですって?」
驚いたように若者は眉をはねあげた。その、大きく見開かれた目の輝きが、彼に偽りの無いことを物語っていた。
グウィディオンはそれを見て、深いため息をついた。
「そうか、知らなんだか。…ならば良い。グウェルン殿は殺された。よりにもよって、リドランからの帰路の途中で。」
若者は沈黙ののち、やがて言う。
「血で血を贖えば、どちらかが完全に潰れるまで戦い続ける事になります。互いの後継者を殺し合い、しまいには女ばかりが残って、誰も王座を継ぐ者のいなくなった、偉大なる二つの王家のように。」
「それは、そなたたちの祖父、我が父上の教訓でもある。――だが、多くの者は、グウェルン殿を殺めたのはリドランの仕業と信じておる。少なくとも、マース公は」
「お会いになられたのですか。」
じろり、とブレイドゥンが睨んだ。
「追放が解けたんですか。それとも王は、いまさら恐れを成して、伯父上を交渉に寄越したというわけですか?」
「慎め、ブレイドゥン。失礼だぞ」
「いや。」
グウィディオンは、杯を傾け、悠々と飲み干した。年若い甥たちの心の動きは、彼には手に取るように分かった。老獪な者たちのように、感情を覆い隠すことを知らぬ。また、それだけに、素直だった。
杯を置き、彼は二人を交互に見比べて、言った。
「グウェルンの死体を見つけたのは、他ならぬ俺自身なのだ。旅に倒れた者の遺品を遺族に届け、最期を告げるのは人としての義務。マース公は、かつての追放を解いてもよい、と言ってくれた。ブランウェン殿は決して許してはくれなかったがな。それで兵に追われ、冬の間は、靴職人に身をやつして隠れて来た。」
「そして、ここへ。…まさか、ただ王妃の手から逃げて来たわけでは、ありますまい?」
「お前たちの言いたいことは、分かる。色々と話しておきたいこともあるが、今はまだ、三人が揃ったわけでは、ないからな。」
彼らは、それで会話を打ち切った。
「まずはギルヴァエスウィの墓に詣でたい。それから、町を一巡りさせてくれんか。俺自身が懐かしむためというよりは、息子に、この町を見せてやりたいのだ。」
ヘドゥンは承知した。墓地への案内には、ブレイドゥンをつけた。
スェウは、彼らが話しあっている間、一言も発せず、じっと会話を聞いているだけだった。行儀はよいが、大人しく、男らしくはないように思われた。
墓は、館の裏にある芝生の丘にあった。先祖代々の石積みの端に、ひとつ、新しい小さな塚が、出来ていた。
グウィディオンは、膝を折り、大地に触れた。
「祖先と同じ大地に、お前も帰ったか。…俺が会いに行くのは、まだ先になりそうだが、ひとつ、宜しく頼む」
風が吹き、答えるように、さわさわと草が揺れた。スェウは、じっと、グウィディオンの指先を見つめていた。
スェウが一言も発さないので、ブレイドゥンは思わず問うた。
「伯父上。この子は、まさか聾か唖ではないでしょうね」
「何故、そう思う。」
振り返って、グウィディオンは若い甥を見た。
「分別のある者は、むやみに口を開かない。発する必要のない言葉は悪しきものだ。そして追われて荒野をさすらう者に、家系を名乗ることは許されない」
彼は、子供の頭に手をやった。
「…とはいえ、確かに少し無口すぎるかもしれん。今まで、あまり人と話す機会は無かったのでな。良ければ相手をしてやってくれないか。スェウには、もっと多くの友人が必要だ。」
年の最も近いブレイドゥンに、親しい友人になってくれ、と言ったのだ。
彼は、すぐにその意を理解した。
「心得ました。」
「では、町の案内を、頼む。俺は、ヘドゥンにもう少し話したいことがある。」
グウィディオンは、ぽんと甥の肩を叩いて、黒い外套をなびかせ、大股に丘を降りていった。
その大きな後姿が館に消えてしまうと、ブレイドゥンは腰に手をあて、スェウのほうを振り返った。
「さて。どうするかな。お前、行きたいところはあるか?」
「あの、大きな白いもの…」
子供は、丘から見える港を指差した。突然口を開いたことと、その声の響きに、少年は驚いて、スェウの顔をまじまじと見つめた。
「おかしな奴だな、急に喋り出したりして。あの大きなのは、帆だ。船の帆だ。お前、船を見たことがないのか」
「ありません」
「そうか」
ブレイドゥンは、納得したようだった。
「では案内しよう。ついて来いよ」
彼は、軽い野生の足取りで丘を降り、町へと入っていく。スェウはその後に、少しも遅れずに続いた。脚が丈夫なのだな、とブレイドゥンは思った。そして、見た目の年より、ずっと賢いことにも気がついた。
賑やかな町並みの喧騒に臆することなく、風景に目移りすることもない。それでいて、無関心というわけではないようだった。
町の人々は皆、館に住む若者を見知っていて、気さくに声をかけてくる。彼が、見慣れない子供を連れて歩いているのを見て、人々はあれこれと質問したがった。それでブレイドゥンは、いちいち、スェウを紹介し、伯父のグウィディオンが戻ったのだと言わねばならなかった。
口止めはされていなかったし、彼が言わずとも、館からすぐに噂は広まっただろう。
人々は、かつて館の主だったその人が戻ってきたと知って、さっそく、その知らせを知らせに走った。
先代の領主の長男だったその人は、追放され、どこかで野たれ死んだと思われていた。生きていたとしても、とっくに、この国を出てしまったと思われていたのだ。
スェウは注意深く、聞こえてくる噂話に耳を傾けていた。
そして、どこからともなく聞こえた、「でも、あの人は呪われたお人だから、帰ってきたということは、ここも、イオナのように滅びてしまうのではないのでしょうか」と、いう、運命の囁きを聞いたのだった。
町を通り抜け、港の前へと着いた。
帆船は、隊を成して停泊していた。荒っぽい船乗りたちが荷を担いで行き交い、そこかしこで異国語での会話が飛び交う。商人たちが荷揚げした品をさだめ、交渉する。遠く離れた崖の上で嗅いだ潮の匂いが、近い。
「商人たちは、もう一人の兄、ヘッフドゥンが相手をしている。船の中が見たいか?」
スェウがうなづくと、ブレイドゥンは笑って、一隻の船に近づいた。船乗りとは顔見知りらしかった。
「来いよ。乗せてくれるってさ」
白い帆は畳まれ、船乗りたちは、陸へ上がって休んでいるようだった。甲板には丁寧に巻かれた荒縄と、積み込まれたばかりの食料の樽が並んでいる。
「この船は、大型船だ。遠い海へも行ける。そして何ヶ月も、船乗りたちはこの船の上で暮らす。一度も陸に降りずにだ。つまり、ここは船乗りの家だ」
「雨の時は?」
「もちろん、雨よけをするのさ。そして甲板で眠る。嵐の中でもな。」
スェウは舳先に立って、広がる海を眺めた。それから、振り返って港に並ぶ何隻もの船を見た。
それらの中には、色鮮やかな旗を掲げているものも少なくなかった。彼がそれを見つめていると、ブレイドゥンは言った。
「旗は、その船がどこの国のものなのか表している。あの、橙と黄色の大きな旗は、ルヴァインのものだ。青と白はイオナの。」
「もう一つの、あの、緑色のは?」
「ダヴェドの船だ。イオナの北東にある、浅瀬を挟んだ小さな島だ。滅多に人の行き来は無いが」
旗は、大きな船には必ず掲げられていた。小さな船はこの町の猟師たちのものだろうか、港の端に集まっている。今は夏真っ盛り、航海には適した季節だ。異国から来た者はここにとどまり、異国へ向かう者はここから出て行く。
「ブレイドゥン!」
船の下から、大きな声が呼ばわった。鳶色の髪をした、身なりのいい少年が港の端に立っている。
「そこにいたのか。伯父上が戻られたと聞いたが」
「そうだ。今、そっちに行く」
ブレイドゥンは、スェウを促して、ともに船を降りた。
「紹介しよう。もう一人の兄、ヘッフドゥンだ。」
「初めまして。君が、…伯父上のご子息か」
ヘッフドゥンは慇懃に片手を差し出し、スェウもそれに応じた。
とは言っても、ヘッフドゥンは見たところ十五かそこらで、スェウよりは遥かに年上だったのだが。
「港を案内して回っていた。船は、初めて見るというので」
「そうか。なら、積荷も見ていくといい。たった今、ルヴァインから着いたばかりの船がある。」
年長の少年は、船乗りたちがガチャガチャ音を鳴らしながら運んでいる、重たそうな木箱を指した。ブレイドゥンは眉を寄せた。
「また戦の道具か。兄上は好きだな」
「売れるものは何でも仕入れるさ。ルヴァインの鍛冶屋は、腕がいい。」
それは、きらきらと輝く剣や槍や盾だった。戦斧もあった。みな、研ぎ澄まされて、すぐにも戦に持っていけるようなものばかり。
「よければ、一振り進呈しよう。」
ヘッフドゥンは笑って言った。
「冗談はよせ、兄上。子供には、まだ早い」
「そうかな。伯父上はイオナで最強と呼ばれた戦士だった。どんな戦にも負けることはなかった人だ。その息子とあれば、もしかすると、年相応では無いかもしれんぞ。」
少年たちが話している間、スェウは、目の前に並べられた武器を、じっと見つめていた。新しく作られたばかりの武器には、グウィディオンの大剣が持つ、使い込まれた黒びた凄みは、無い。どれも脆く見え、手の中で折れてしまいそうだった。
「これなど、どうだ」
戯れにヘッフドゥンは一本の短剣を取って、スェウの手に握らせた。それは、一瞬のことだった。
あっ、と声を上げる暇もあらばこそ、その剣は、子供の手の中で、跡形もなく溶けてしまったのである。
「なんだこれは。どうしたことだ」
スェウは、自分から手を伸ばし、壁に立てかけてあった大きな槍に触れた。その途端、槍は、大きな音をたてて折れた。
さらに、剣にも触れてみた。それは、彼が持ち上げようとどんなに頑張っても、石になってしまったように、そこから持ち上がらなかった。
あらゆる種類の武器が、持てなかった。喘ぐような声を何度か上げたあと、ようやく、ヘッフドゥンは声を出すことに成功した。
「それは、何かの呪い、か?」
「そのようです」
スェウの声は凛として、たった今、目の当たりにした恐るべき事実にも、びくともしないようだった。
「かつて、運命を告げる方が言いました。僕は、この世のあらゆる武器を手にすることは出来ないのだと。今まで確かめる機会がありませんでしたが、それは、本当だったようです」
「そいつはまた、酷い宣告だな。武器を持てないのでは男にはなれまい。いや、その手が武器を持てないのであれば、祝福の杖を持って聖職者になるか、ペンを持って学者にでもなるしかない」
そこへ、皮を張った立派な盾が幾つも運ばれてきた。スェウはそれを見て、盾のひとつに手を伸ばした。
盾は、軽く持ち上げられた。周りに白い鋲を打った、子供の体ならば、すっぽりと覆い隠せるほどの大きなものだったが。
「武器で無いものならば持てそうです。」
ブレイドゥンは、ようやく、にんまりと笑った。
「なるほど。では、盾を貰えばいい。兄上、よいだろう?」
「ああ。盾だけで戦えるとも思わんが」
既に、驚きと、これから始まる商取引とで頭が一杯になっていたヘッフドゥンは、あまりよく考えもせず、生返事を返した。
こうして、スェウは盾をひとつ、手に入れた。
帰り道、ブレイドゥンはスェウに代わって、貰い受けた盾を持っていた。スェウがそれを持ってしまうと、前が見えなくなるからだ。
「兄上はあれで間が抜けてるから気づかないだろうが、お前はやっぱり、グウィディオン伯父の息子だと思う」
少年は、優しくスェウに話しかけた。
「こいつは、中に鉄板を仕込んだ盾だ。オレでも片手で持つのは辛い。だが、お前は先程、やすやすと持って見せただろう。」
「父さんにあげても、いいですか」
スェウは、俯いたまま小さな声で、そう答えた。
「父さんは、盾を持っていないのです」
「そうだな。伯父上は喜んでくれるだろう」
今や、ブレイドゥンはスェウの良き理解者だった。そして、呪われた運命を知る者のひとりだった。
彼は、無口であるその子供が見た目の年よりもずっと賢く、どんな男の子にもひけを取らない力の強さを持っているのだと知った。
館に戻ると、晩餐の準備が始まっていた。ヘッフドゥンが狩ってきた獣たちが、客人を迎える食卓に並べられるのだ。
盾を貰ったことを知ると、グウィディオンは何も言わず、スェウを優しく抱いて、その贈り物を受け取った。ブレイドゥンはまだ其処にいたが、スェウは構わず父に告げた。
「噂はもう広まっています。町には武装した人はいませんでしたが、船乗りたちは武器を持っているようです。ルヴァインの船が五隻、ダヴェドの緑色の旗をつけた船が三隻、イオナの船は一隻だけです。でもイオナの船は既に帆を張って、港を出ようとしていました。ダヴェドの船のうち二隻もそうです。ルヴァインの船の一隻はたった今、武器を積んで到着しました」
「そうか。よく見てきたな。他には何を見た?」
「それから…父さんが、どうやってルヴァインに行ったのか、分かりました。船の上で雨も風も避けて眠るのだと。ブレイドゥンが教えてくれたのです」
グウィディオンは髭の下で唇を和らげ、振り返って、甥を見た。若者は、スェウの口から語られる恐るべき報告を、すべて聞いていた。
「驚きましたね」
聞き終わった彼は、素直に言った。
「つまりオレは、その子に、この町の交易状況をすべて教え、町の状況まで見せてしまったというわけですか。」
「用心しなければならんぞ。スェウはとても賢い。だが、俺は決して、この子に命じたわけではない。」
スェウは、続けて言った。
「興味を持ったものを、ぜんぶ見てきました。ヘドゥンが武器を仕入れて、売っているのも知りました」
「なるほどな。」
「やれやれ、知らないほうが良かったな。オレは小さな監視官を案内して回ったというわけだ。そう、伯父上はもうお察しだろうが、武器商人は兄上だ。イオナの敵であろうと、イオナの王その人であろうと、武器は売る。もちろん、どの領主にいちばん沢山の武器が流れたかは、兄上なら知っているだろう。」
「しかし、このリドランの地そのものが、戦に参加するわけではあるまい?」
ブレイドゥンは、苦々しい笑みを浮かべ、奇妙な沈黙を守った。
「――答えられぬか。さもあろうな。俺はまだ戻って間もなく、マース公の密偵であるかもしれんという疑いは晴れていないだろう。」
彼は気にかけた様子もなく、それきり、会話を止めた。鋭い聴覚が、人の近づく足音を耳にしたからだ。
間もなく召使いが、晩餐の支度が整ったと告げに来た。ブレイドゥンは広間へ、と短く言い残し、先に出て行く。
二人だけになったとき、グウィディオンは、スェウに問うた。
「彼は、良き友となれそうか」
「はい」
少年は答えた。
「そうか。ならば、友を決して裏切るな。誓ったことは、必ず守るのだ。」
スェウは頷き、その言葉を、胸に刻んだのだった。
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