09 後夜祭(2)
たっぷり一曲分ぼうっとして、アルカが早足で駆け戻ってくる頃になってようやく落ち着いた。いや返事は決められなかったけど。
息を切らせて戻ってきたアルカがあたしを見上げてくる。
「シルヴィア様、一人で大丈夫でした? 変なやつに声かけられたりしてませんよね!?」
「え、ええ、わざわざわたくしに声をかけてくる方などおられませんわ」
そう返事をしてから、そういえばぼうっとしている間に誰かに話しかけられた気もしてきた。何を言われたか覚えていないし、考え事をしているうちにいなくなってたけど。
アルカはほっと息をつくと、テーブルのグラスに残っていた飲み物を一気に喉に流し込んだ。
「そんな飲み方、およしなさい。はしたない」
一応咎めておく。口を尖らせたアルカは、ふてくされた顔をあたしに向けてきた。なんだ荒れてるな。
「殿下と何かございまして?」
「冷静に考えれば、これ以上は望めないくらい、すごくいいご提案を頂いたんですけど」
けど?
待ってみたけれど、アルカは不満げな顔を地面に向けるだけで口を閉じてしまった。
殿下の提案って何だろう。さっきあたしが言われた話と関連した何かかな?
アルカに声をかけるべきか迷っていたら、アルカが急にあたしの腰に抱きついてきた。
「ちょ、何ですの。離れなさいな」
「……悔しい。なんで私、貴族でも男でもないんだろう」
王子に何を言われてきたんだろう。
シルヴィアらしく優雅に引っぺがそうと思っていたのに、アルカらしくない絞り出すような声に驚いて、つい体から力を抜いてしまった。
「殿下は何と?」
「制度として認められていても、妻が愛人を持つことに否定的な貴族も少なくないって。誰がシルヴィア様の夫になるかわからないよりは、シルヴィア様と一緒に僕のところに来ないかって。あ、もちろんシルヴィア様が嫌だと言ったら無しって話でしたけど」
アルカにまで話すなんて、やっぱりさっきの話、王子は本気なのかな。いや、王子は冗談でそんなことを言う人ではないのだけど。
「それと、同性の愛人に対しては偏見もあるから、対外的にはあたしを殿下の愛人ってことにするのはどうかって。殿下との子供を作ることは考えなくていいし、ただシルヴィア様のお側にいればいいからって」
「それは――」
ただ魔力が高いだけの平民が次期王の愛人に。
ゲームではさらに上の正妃というウルトラCもあるけれど、この世界の常識で考えれば、平民が王族の愛人になるってだけで奇跡だ。
「私が貴族で、男だったら、シルヴィア様の旦那様になれたかもしれないのに」
あたしの胸に顔をうずめたまま、アルカがため息をついた。
どうかな。貴族同士の婚姻もなかなか自由意志でできるものじゃない。平民のアルカの感覚とはきっと違う。
「あなたには、他の殿方と幸せになる道もあるのよ?」
なにせ乙女ゲームのヒロインだ。攻略対象だって七人もいる。アルカなら騎士でも隣国の貴族でも選べる。
ゲームの時間は半分終わってしまったけれど、現実はゲームとは違うのだから、もしかしたら今からだってチャンスはあるかもしれない。
そう思ったけれど、アルカは首を横に振った。
「殿下にも、殿下の話を受けたら他の男性との未来は選べなくなるけどいいかって聞かれました。でも、私は他の方なんて嫌です。私が好きなのはシルヴィア様です」
「アルカ……」
楽しそうな周囲のざわめきの中で、あたしとアルカの間にだけ沈黙が落ちる。
でも三曲目が聞こえてきたかと思うと、アルカがぱっと顔を上げた。
「そうだ、シルヴィア様、踊りましょうっ!」
「は? 女同士で?」
今までの落ち込んだ空気、どこ行ったよ?
アルカは急に笑顔になると、背筋を伸ばしてあたしの手を取った。
「大丈夫です! 私、暇さえあれば本を見ながら男性パートのダンスの練習をしていましたからっ」
男性パートの前に、女性パートの練習をしろ!
さっきの王子とのダンスは見ていなかったからわからないけれど、授業でのアルカのダンスは酷かった。
足の出す順は間違うし、本来男性に手を引いてもらうところで自分が腕を引くし――あれ? まさかアルカのダンスが酷かったのは、男性パートの練習をしていたせいでごっちゃになっていたから?
っていうか、待てよ、暇さえあれば男性パートの練習をしていたっていうことは、勉強してないってことじゃない?
「あなたまさか、テストで赤点ばっかりだったのは……!」
目を見開いてアルカを見下ろすと、アルカはてへっと舌を出した。
ヒロインの成績が悪いなんておかしいと思ったらそういうこと!?
「さ、いきますよ!」
「ちょっ、まっ」
ぐいと手を引かれ、前につんのめる。転ぶギリギリで耐えたけれど危なかった。
一、二、三、一、二、三、音楽はゆったりしたワルツなのに、アルカのリードが激しくて踊りにくい。
軽く手を引いて合図してくれればいいところでぐいっと強く手を引っ張られる。
歩幅も大きいし、皆の中でこんな踊り方をしたら大迷惑だ。皆は中央で踊っているから、あたしたちのいる端っこは空いていて、誰にもぶつからずにすんでいるけれど。
「あなた、本を見ただけで一度も実践していませんわね!?」
「はいっ、最初に踊るなら絶対シルヴィア様とだって決めてました!」
無茶苦茶なアルカのリードに必死でついていく。全然優雅じゃない。たぶん他の人から見れば無様なダンスに見えるだろう。
こんな踊り方、シルヴィアらしくない。
シルヴィアらしくないのに。
「楽しいですね! シルヴィア様っ」
無邪気に笑うアルカにつられて、つい口元をゆるめてしまった。
まったく、この子はいつも楽しそうだなあ。
この天真爛漫な笑顔に、ゲームの攻略対象たちは惹かれたのかな。自分に向けられる心からの笑みを可愛いと思う気持ちは、わからなくは、ない。
王子があたしたちにしてくれた提案は、たぶん、王子が自分にできることの中で最良だと思った選択肢を出してくれたんだろう。
でも、王子の提案を受け入れるのはどうなんだろう。アルカと一緒にいるために王子の好意に甘えるのは、王子に対して不誠実じゃない?
あたしがどうにか公爵家を継ぐというのは――駄目だな、家を継ぐってことは後継者を作らなきゃいけない。養子を迎える手はあるけど、兄も弟もいるあたしにはそんな無茶を通せる気がしない。
アルカをどこかの貴族の養女にしてもらった上で、あたしの侍女に迎えるっていうのはどう? ノイラとアルカは仲良くなれそうだし、うまくやっていけそうだ。でも、それだと主人と召使いって関係だし、アルカがどう思うかなあ。
アルカをうちの養女にしてもらって、あたしの妹に――いや、
あたしが
うーん。
そこまで考えて、ふと気付く。
自分が〝どうすればアルカと一緒にいられるか〟を模索していることに。
――君は、そのうち承諾すると思うよ。
さっきの王子の言葉を思い出す。
ああ、そうだな。そうかもしれない。
アルカの向けてくれる〝好き〟と、あたしの気持ちが同じものなのか、自信はないけれど。
「シルヴィア様、どうかされました?」
「何でもありませんわ」
ただ少なくとも、この先もこの子と一緒にいたいとは思ってるみたいだ。
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