第019話 心臓に悪いもう一人の姉
―カタカタカタカタッ
室内にタイピング音のみが響き渡る。僕はひたすらに映像を文字に起こしていた。どれだけの時間が経ったのかは分からないけど、そろそろ区切りがいいところだ。
―カタカタターンッ
「ふぅ……」
最後の文字を書き終えてエンターを押し、僕は息を吐いて椅子の背もたれに背を預けた。
「うわぁ!?」
しかし、すぐ隣に雫姉がいたことに驚く。彼女は僕の隣で画面をのぞき込んでいた。背もたれが僕を支え、気を抜いたところだったので、思わずおかしな声が漏れてしまう。
「本当に気づかなかったね」
驚く僕に雫姉が優しく微笑む。
今日の雫姉は昔に比べて笑うこと多い気がする。あまり感情が表に出ない人って印象だったから、そのギャップで凄くドキドキしてしまう。
僕には夏美姉ちゃんという想い人がいるというのにとても不純だ。
「い、いつからそこに?」
「そうだね、一時間くらい前かな」
僕が狼狽えながら尋ねると、雫姉は時計をチラリと見てから答えた。
「え!?そんなに前から!?」
一時間もじっと見られていたことに困惑が隠せない。
「いや、そんなに前に来たのなら言ってよ雫姉」
「邪魔したくなかったから……。それに見ていて面白かったし」
僕が申し訳ない気持ちになっていると、雫姉が表情を変えないまま答えた。
雫姉の無表情の時の感情を読むのは難しい。
「ただ文字が増えていくだけの画面なんて何も面白くないでしょ」
「んーん。すっごく面白かったよ」
流石にそれは嘘でしょ、と思いながら答える僕に雫姉は首を振る。
「ホントに?」
「拓也が文字を打つ姿はね、まるで世界トップクラスのピアニストが音を奏でるみたいに緻密な指捌きで、そのタイピング音がまるで音楽みたいなの。その音楽は拓也が楽しんで物語を書いてるのが伝わってくるみたいに軽やかで、次々文章が生まれていく光景はダンドリの新しい世界が創造されていく姿がありありと見えた。私、感動して見入っちゃった」
「な、なんか恥ずかしいね」
本当に面白かったらしい雫姉が、僕が書いてる様子を語る。
普段それほど長く話さない彼女が、どこか遠くを見みながら目をキラキラさせて話す姿は、心からそう思ってくれてるんだというのが伝わってきて、もの凄く恥ずかしくなった。
「あんなふうにダンドリが生まれたんだね」
「自分では分からないけどそうなのかな」
雫姉が自分の手を胸の辺りで抱きしめるようにして余韻に浸る。僕は自分が書いてる姿を自分で見ることはできないから苦笑するしかできない。
「拓也、ダンドリを書いてくれてありがとう」
「のわぁ!?」
僕は突然視界を奪われて変な声を上げてしまう。
「ふごふごっ」
気が付けば僕の顔が物凄く柔らかい感触の間に包み込まれ、柑橘系の甘酸っぱい匂いが僕の鼻を突き抜ける。頭を後ろから押さえ込まれ、抜け出すことが出来ない。
こ、これは……、もしかして雫姉のオッパイ!?
どうやら僕は雫姉に頭を抱きしめられているらしい。この感触は男として嬉しい反面、とても苦しい。僕は雫姉の腕をタップしてるんだけど気づく様子がない。
とても困った……。
「あぁ~!!雫ずるい!!何でたっくんを抱きしめてるの!!」
そんな所に天の助け、もとい僕の女神。夏美姉ちゃんが扉を開けて入ってくるなり、僕と雫姉の光景を見えて叫ぶ。
うわ、見られたくない所を見られちゃったな。夏美姉ちゃん以外の女の子に抱きしめられてるなんて。
僕は身動きが取れない中、気分がとても重くなった。
「拓也が凄すぎて感動したの」
「たっくんが凄いのはわかるけど、そろそろ離しなさい。たっくんが苦しそう」
雫姉は僕を抱きしめている姿を夏美姉ちゃんに見られても、特に動揺することも無く、素直な気持ちを伝える。
しかし、夏美姉ちゃんも特に焦ることも無く、声色に浮かんでいるのはおそらく呆れ。
僕が雫姉に抱きしめられても特に何も感じていないのだろうか。それならやっぱり少し悲しいかも。
「あ、うん」
夏美姉ちゃんに指摘された雫姉はようやく僕の頭を放してくれる。
「ぷはぁ!!」
「拓也、ごめんね?」
思いきり空気を吸い込む僕に雫姉が頭を下げ、上目遣いで僕を見つめる。
小さい時からマイペースな所があったから、それが顔を出してしまったのかもしれない。
「はぁ……はぁ……もう少しだけ手加減してくれると嬉しいかも」
「うん、分かった」
僕が息を切らしながら笑みを浮かべると、雫姉は真面目な表情で頷いた。
これからも抱きしめることは否定しないんだ……。
「それよりもほら、これでも飲んでそろそろ休憩しなさい」
僕の前に緑茶が差し出される。
「あ、ありがとう夏美姉ちゃん」
「ほら、雫も」
「うん、なつありがと」
僕が夏美姉ちゃんに礼を言った後、夏美姉ちゃんは雫姉にお茶を差し出す。僕はそのまま机の前で、二人は床に腰を下ろし、お茶を飲み始めた。
ここにもソファーやテーブルが必要かな。それにしても、僕がコーヒーじゃなくて緑茶が好きなのを覚えてくれるのも嬉しいな。
僕はそんなほんのちょっとのことにニコリと頬を緩めてお茶を口に含んだ。
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