第6話 強くなれ!

1996年8月25日(日)


休日の夜。

親父がビール片手にテレビに噛り付いていた。


「そこだ! 真田。良いぞ!」

テレビを見ながら親父は空いている手を振り回していた。

パンチか何かのつもりだろう。

親父が見るテレビはスポーツ観戦が定番だが、

今日はボクシングのようだ。


テレビを覗き見ると

どうやら一方的な展開。

真田というボクサーが

素人目にも明らかに優位な状況だった。


「何? この人強いの?」


「強いさ。高校2冠でプロ入りだ」

ふーん。そうなんだ。


「なんだ? やっぱこういうの興味ないのか? カズ」


「無いってわけじゃないけど……」

ボクシングに興味が無いわけじゃない……。


「強くなりたくないのか?」

そう言う興味とは違う。


「……。体重で分けられてていいなぁとは思うよ」

ボクシングは体重別に階級が分けられている。

確か……一番軽ければミニマム級

重ければヘビー級。

できればそれと同じように他のスポーツでも身長で分けて欲しい。

俺は常々そう思っていた。

スポーツは身長が高い方が優位な事が多い。

それはバスケでもバレーでも

サッカーでも。



そして陸上でも……。



「身長か……」

親父の声のトーンが下がる。

俺が身長を気にしている事は親父も知ってる。

中学の時に牛乳買ってくれと必死にせがんだからな……。


「別に。しょうがないさ。

無いなら無いなりに自分に向く競技をするまでだよ」


親父がグビりとビールを飲んで続けた。

「そうだな!」


「そういや。カズ。成績上がったらしいじゃないか!?」


「やっぱ。お前は母さんに似て頭いいんだから

大学行けよ」

親父の酔いが回ってきたらしい。

"耳たこ"の話だ。

いつものフレーズになってきた。


「大学ってさ。そんなにいいもんなの?」


「何だ。行きたく無いなのか?」


「親父いつも言ってるじゃないか?

上司に大卒の奴で、碌でもない奴がいるって」

稲刈りのバイトをしていた時の大学生達を思い出す。


「ま……。確かにな。会社に自分の学歴を鼻に掛ける割に

何にもしやがらない……いや。

厄介事ばかり作り出して、命令してくる大卒の奴等はいるよ」

そう言って親父は天井を仰ぎ見た。


「でも。そうじゃ無い奴らもいる。

必死に勉強したんだろうな……。

俺にもよく分からない、まぁこ難しい知識を使って、

助けてくれる奴等もいるんだよ」

天井をみたまま、目を細めて親父は続けた。


「だから。カズ。

お前はそんな大学生にならなきゃいいのさ。

まぁ……大学は国公立にして欲しいがな」

親父は俺に目線を移しながら、ニヤリと笑った。


テレビから歓声が上がる。

K.O勝利のようだ。


「それと強くなれよ。カズ!」

いつものフレーズその2が飛んで来た。


「男にゃな。無理とか無茶とかしなきゃならない時が来るんだ」

酔うと大概この話か、"大学へ行けって話"か

……"お袋との馴れ初めの話"だ。


「ボクシングやれって?」

答えが分かっていながら俺は質問した。


「違うんだよ!」


「何でもいい。勉強でも、陸上でも……。

何でもいいんだ。強くなれば無理とか無茶が出来る。

自分の身を守る事が出来る。

もっと強くなれば、他の奴を助けることだって出来る

自分すら守れないような奴は、家族だって守れないからな……」

鼻息を荒くして親父は続けた。


「女だって無理しなきゃいけない時があるわよ!」

お袋が親父の話に割り込んできた。


「もうほんと。今月厳しいのよ」

おそらく。家計のやりくりが……である。


「あぁ。そうか。そりゃ済まない」

そう言って蓋を開けようとしたビールを親父は飲まずに冷蔵庫にしまい込んだ。

これでも控えている方だということを俺は知っている。

親父は大好きなビールを日曜しか飲まない。


「明日は仕事なんですから。お水飲んで酔いを少しは冷ましてから、寝て下さい」

そう言ってお袋は水の入ったコップを親父に差し出した。


「わかってる。ありがとう」

そう言って親父は水を飲んで寝室へ向かった。




「無理とか無茶をしなきゃならない時が来る……か……」

仰向けになり天井を見上げ、俺は親父が言っていたことを呟いた。

"その時"は俺とトモサカには中学のあの時に来ていた……と思う。




でもその結果として……今があった。

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