全国を目指して

第1話 タータンを踏みしめて

1996年8月11日(日)


タータンを踏みしめて思う。

……戻ってきたんだなぁって……。

俺は……2年ぶりに陸上競技場のトラックに立っていた。


今日は夏休みを利用して

近くの陸上競技場で練習だ。

ただし近くの高校と合同である。

競技場借りるにもお金がかかるからね。


新人戦が近くなってきたので

土のグラウンドでは無く、

競技場のタータンとスパイクに慣れておかなくてはならない。

その為の配慮だった。


改めてスパイクで

軽くタータンを踏みしめる。

久々の感触は……悪くない。


ふと周りを見ると

部活の他の面々も同様に競技場の雰囲気を楽しんでいるようだった。


丸山先輩は他校の生徒達といえど一緒に

砲丸が出来るメンバーがいて嬉しそうである。


あ。なんか他校の奴等の前でポージングしてる。


あれ。なんてやつだっけ?

ボディビルの人がよくやってるやつ。

サイドチェストとかだっけ?

あー。……引いちゃってるよ。

あれが無きゃいい先輩なのだが……。


逆に元気が無いのが

高宮だった。

あのお祭り以来、口数が少ない。

何かあったのか遠藤にも聞いてみたが

はぐらかされた。

うーん……。

清水さんもちょっと元気無いんだよな。

お祭り途中で切り上げちゃったからかな……。


あ。そうそう。

残念なことに

アカリはお祭りの後も普段と変わらなかった。

自意識過剰な毒舌美少女のままだった。

一番しおらしくなって欲しい人が

傍若無人なままだった。

お酒飲んだ一件で、

しばらく大人しくなるかな……と

期待してたのになぁ……。


昨日も遠藤が部活帰りのコンビニで

「愛川さんが暴れ始めたら、

アルコール入りのチョコレート食べさせるようにしようか?」

と切り出した。

食い意地の張っているアカリには良いトラップである。

「良い案だな。遠藤!」

と同意を示したら……。

「ダレに何、食べさせるっですって!!」

地獄耳の誰かさんに聞かれていて、

まとめて怒られた……。



で……。走りながら横に来た遠藤はというと

いわゆるおのぼりさん状態。

「速く走れてる気がする!」

興奮した犬のように走り回っている。


タータンは反発が強い。

土のグラウンドよりも実際に速く走れる。

確かに速く走れるのは嬉しい……。

遠藤がそこらで走り回ってる。

しかし、遠藤……。

お前は、はしゃぎすぎだっつーの!


「おい。タイム測る時以外は内側のレーン走るなよ!」

ちょっと注意する。


「え。何で?」


「下見ろよ。下! 内側のレーンだけ酷いだろ」


「うん?」

内側のレーンには無数の穴が開いたタータンがあった。

トラックの内側を走った方が走行距離が短くなる。

だからみんな出来るだけ内側を走るのだが……。


「あー。削れるから?」

そう。スパイクで削れる。


「そう」

補修するにもお金が掛かるからだろう。

タイムを測るとき以外はタータンを傷めないよう

内側のレーンは走らないようにと俺は習っていた。


「そうか……。

あ。そうだ。鬼塚さ。あそこ凹んでるけど何か入れるの?」

遠藤がトラックの外周部の凹みを指さす。


「水入れるんだよ。あれは3000m障害用の水壕だ」


「3000m障害……」

3000m障害は文字通り3000mを走るレースだ。

ただし、障害としてハードルを28回も越え、

そして、水の入った水壕を7回も超えていかねばならない。


「へー。そうなんだ」

かなりしんどい競技なのだが、

聞いてきた遠藤はちっとも分かって無さそうだ。


「初めて競技場にくるから、

いろいろと物珍しいのは分かるが

やるべきことはやったのか?」


「あ。スパイクの感触はいいよ

特に靴づれとかも無さそうだし」

遠藤はそう言いながら、

スパイクを履いた足でとんとんと軽くタータンを踏んだ。

……覚えてはいたようだ。

遠藤にはまずスパイクの感触を確かめて

違和感が無いか確認するようにと伝えていた。

シューズショップの川さんのとこで選んでるし大丈夫とは思うけどね。


さて……。

俺の目的も遠藤と同じだ。

まずはスパイクの調子を確かめなきゃな。

土のグランウンドと比べて30秒前後は早くなるはずだ。

速くならなかったらなんかおかしいはず。

スパイクか、走り方かなんかだな。


ストレッチも終わった。

軽く流しをした後に、集団で走ってみよう。

他校の人達を含めても、人数は少ないが

それでも試合経験の無い遠藤にはいい練習になるはずだ。



……ふふっ。

ペースを狂わせる走りをしてやろう。



一応他校の人達と話は出来ている。

……ただし遠藤抜きでた。

折角、競技場を借りれるから

実戦形式の練習にしたいという話だ。

俺としてもそれは願ったり、叶ったりの話だった。


団子状態で走るスロースペースのレース……

序盤から単独で抜け出してハイペースになるレース……

どちらも再現することになっている。


どちらの場合でも

正解は自分のペースを出来る限り守る事に尽きる。

それは集団で走った経験の無い遠藤にも伝えてはいる。



だがしかし、これがなかなか難しいのである。



未経験者は結局、他の人間につられてペースを乱してしまうことが多い。



さて。遠藤は自分のペースをキープできるかな?


///////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////

タータン……作中、鬼塚からの説明にもある通り

陸上競技場の地面に使用されている合成ゴムのこと。

一般的に赤茶色や青色をしている。

水はけがよく、雨の日でも競技が行なえる全天候型で、

現代の陸上競技場のトラックにおけるスタンダード。


陸上競技場……公認陸上競技場は,第1種~第4種までの4種類があり、

それぞれ要件が定められている。

大きな違いは走路の仕様や障害物競走設備及び補助競技場の有無。

1種・2種の走路の直走路は8レーン又は9レーン・長さ115m以上、曲走路は8レーン又は9レーン。

3種の走路の直走路は8レーン・長さ114m以上、曲走路は6レーン以上。

障害物競走設備は1種・2種は必要なのに対し、3種は無くても可。


3000m障害(3000mSC)……作中、鬼塚からの説明にもある通り

競技場のトラックを7周走り、1周(400m)ごとに設置された

ハードルのような4つの障害と1台の水濠を跳び越えて走る陸上競技。

合計すると大障害を28回、大水濠を7回飛び越える計算。

障害を飛び越える回数が多いので、

当然の如く、競技している選手の転倒が非常に多い。

特にヨーロッパでは競技人口も多く人気種目。

またSCとは「Steeple Chase」の略称。

Steepleとは教会などの建物の尖塔(上部構造)を意味し、

Chaseは獲物などを追うことの意味。

かつてヨーロッパで教会をゴールとした村から村へのレースがあり、

その道中にいろいろな障害物があったことに由来すると言われている。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る