第2話 迷いを振り切って

1996年7月29日(月)


夏休みの部活。

隣りで遠藤がウキウキしてる。

……分かり易い奴だ。


今日の練習は一部だけ

短距離や跳躍種目と合同となっている。

高宮と一緒に練習できるのが嬉しいんだろうね。

あんにゃろう。


たまーに部活でも

激アマ空間作り出すからな。

あの二人は。

「あっタオルの替えないや」

「私の予備使う♡」

何がハートマークじゃ! あいつらめ!!

神聖な部活動でチチクリやがって!!!

俺もしたいわ!!!!

まったくもって、うらやまけしからん!!!!!


そして、俺は知ってるのだ……。

遠藤は予備のタオル忘れてない。

だー。ちくしょう。うらやましい。

俺もカノジョ欲しい―!!


うって変わって、遠くを見る。

ぽつんと一人で丸山先輩が

投擲の練習をしていた。


おっと。まずい。

目が合った。

寂しそうにこっちを見てた。

まるで檻の中のゴリラである。


でもねぇ……。

短距離の連中と

合同で練習(主に筋トレ)することもあるんだから。

そこまで寂しそうにしなくても……とも思う。


しょうがない。

あとで差し入れのバナナ……

では無かった

軽く声を掛けておこう。


気を取り直して。

練習! 練習!

合同で練習するのはハードルを用いた練習と全力の200m。

長距離に要らないんじゃないと

思う方もいるでしょう。


でも必要なんですよ。


さて。俺は俺に出来る事をしよう。

おもいっきり!!

悩んで悩んで、

本を読んで、

人にも聞いて、

自分なりに考えて、

でも辿り着いた結論は結局いつものこれだった。


将来とか進路とか

周りの人達をみて、悩んだ。

思考がぐるぐるして

堂々巡り、

至った結論は

悩んでも仕方ないということといつもと同じもの。


ただ一つだけ決まった事がある。

「やっぱり陸上関係の仕事に就きたい」

俺の中で決まったことはそれだけだった。


選手としての自分を諦めたわけじゃ無い。

けど、オリンピックなんて簡単に出れるわけ無いさ。

そんなことみんな知ってる。

でも少しでも上を目指したい。

あの子のように。


そして

負けたくない。

今まで競ってきた奴らに。

何より

自分に。

やれることをやるんだ!

迷いを振り切って!


気合を入れる為に頬を両の手でピシャリと叩いた。


さて。ハードルの練習する前に

股関節をもう少しストレッチしてと……

そう考え、開脚していたら

遠藤が声を掛けてきた。

「鬼塚。身体、柔らかいよな……」

遠藤は俺の股関節に注目していた。

矢木先輩までこっちを見てた。

遠藤とは違って目の輝きがなんか怪しいんだけどね。あの人……。

でもまぁ。確かに相撲の完全な股割りとまではいかないが、

柔らかい方ではあるからな。


「風呂上がりとかにもストレッチしとけよ。

遠藤も出来る様になるさ。

それとちょうどよかった。後ろから押してくれ」

開脚しながら上半身を前に倒す。


「ゆっくりな」

遠藤にゆっくりと背中から押してもらう。

痛くならない程度に。


「それであのさ。鬼塚。ハードルは分かるんだけど

200mって何でするの?」

背中を押しながら遠藤が質問してきた。

高宮のことばかり考えているわけでは無いようだ。

関心。関心。


しかし。「200m何でするの」か……。

まだ試合やってねーからな……。

分からんのも無理もない。


俺は質問に質問で返した

「ハードルは何でするんだ?」


「そりゃ股関節を柔軟にしてストライドを増やす為じゃないの?」

ハードルと言っても本当にハードル競技をするわけじゃ無い。

これからする練習は

ハードルの横を歩きながら足だけハードルから抜く"抜き足"。

ハードルをまたぎながら前に進む"またぎ足"。

連続した両脚ジャンプでハードルを越していく"ジャンプ"である。

これらは股関節周りの柔軟性をあげる練習だ。

そして股関節が柔らかくなれば自然と歩幅(ストライド)も上がるという訳だ。


「正解!」

遠藤もちゃんと長距離の勉強をしているようだ。

練習を何の為にしているか、分かってない奴らもいるからな。

分かってなくても伸びる奴も確かにいる。

でも知っておいた方が良いと俺は考えていた。


「でもさ200mだったらインターバルでもやってるじゃないか?」

ショートのインターバルだと確かにそのぐらいだ。


「インターバルでは走ってるけど、でもあれは休みながらで

それに全力の8割、9割で走ってるだろ」

インターバルは全力疾走では無い。

というよりしてはいけない。


「まぁそうだけど……」


「あくまで俺の考えになるが

長距離走者もレース終盤は短距離走者と変わらんから……という理由と

速い奴らと走った方が、練習になる……という理由かな」


遠藤は何となく分かったという顔をしていた。


マラソンでも、それより短い中距離を経験していたランナーは

レース終盤に追い上げてくる力がある。

だから走り方にもよるか、終盤に追い上げるタイプのランナーは

短距離や中距離もたまにはしておくべきだと思っている。

遠藤は先行逃げ切りのタイプというより

後から追い上げるタイプだと思う。


ま……。俺もそうなんだけど。


それに練習では自分より速い奴と走った方が良い。

必死に追いかけるからな。

弱小の部活ではあるが

幸いここには短距離専門の男子、足立がいる。

足立はその為に使わせてもらおう。


しかしなぁ。うーむ。遠藤は実際に試合をしたことがないから

レース終盤がどんな形になるか想像出来てないんだろうな。


遠藤の欠点は試合経験が無いこと。

これだけはどうしようもない。


ストレッチを切り上げながら遠藤に告げた。

「長距離でも最後のホームストレートは

短距離を走るつもりで走れっ! てことだ……。

まぁ。それでも最後の最後はハートの勝負だよ」

そう言って遠藤の胸を、その心臓を軽く人刺し指で押した。

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