第38話 人として強くあるということ

1996年6月29日(土)


ようやく図書館に入れる。

さてと。カウンターで色々と聞いときますか。

受付のお姉さんに声を掛けてイップス関係の本を調べてもらった。

遠藤はそんなが本あるのか?と疑っていたが

3冊あり、全て借りる事にした。


「結構あるもんだね」

遠藤は少し疑っていたようだ。

この図書館にイップスの本があることを。


「200万冊あるからな」

これだけの本があれば2,3冊ぐらいは……。

俺としてはそう思っていた。


「んじゃ。次はスポーツ関係の棚に行くぞ」

遠藤を次の場所に促す。


「えっ。未だ借りるの?」

遠藤が小さな驚きの声をあげる。



コイツ……。当初の目的を忘れてやがる。



「長距離の勉強しに来たんだろ!」

声のボリュームは落としたが、少し怒気を込めた。


「あっ。そうだった」

思い詰めると一直線な奴だからなー。

まぁ。分からなくはないんだが……。


スポーツ関係の棚から

お目当ての長距離種目の本を取り出した。

後は体験談の本とかもチョイス。

ついでに跳躍種目の本も加えた。

そんなこんなで十冊と結構な量になった。


「これ一日で……」

遠藤が本の山に閉口している。


「まずは興味あるとこだけ拾い読みでもいいぞ」

無理に読んでも仕方がない。頭に残らん。


「自分なりに疑問に思ってることを調べるのでもいいし」


「そっか。そうだね」


「ただ。最終的には全部読むのをお勧めするけどな」


「うっ」

遠藤の小さな悲鳴が聞こえた。


「自分に合ってると思えば、買ってもいいしな。

ただ……。古い本は売ってないこともあるがな」

借りた本の中には装丁が痛んでいる本もある。

こういった本は既に販売してないこともある。


本を借りて図書館の入口を出て少し歩き、

テラスのベンチを陣取る。

ここでならば私語も可能だ。


「俺のお勧めはこれとこれ。

でも強制はしない。

自分なりに合う本を見つけるのが大事だ」


「なんで?」

遠藤が不思議そうに俺を見つめた。


「……本によって書いてる内容が違うからな」


「えー! 違うの?」

声が大きい。

外のテラスだから良いんだが……。


「そりゃ。別の人間が書いてるんだから違うさ」

さも当然と言う顔をして答えた。


「困るんだけど……」


「前も言っただろ。自分の体に耳を傾けろとか、

それと……練習の時の記録とか感想とかをノートに残せって言っただろ。

そういうのと照らし合わせて、

どの本のどの意見が

自分に合ってるかってところをみなきゃしょうがねぇんだよ」

そういうもんである。

監督連中だって人が違えば言う事が違うんだから。


「む……。難しい」

そう言いながら、遠藤は俺が勧めた本から読み始めた。


俺はイップスの本を読んでみた。

俺自身イップスについては興味がある。

しかし3冊の本を一日で読めるとは思わない。

必要な部分を拾い読みする。


気になるのは

1.イップスの原因

2.イップスを治す為の対応

3.実例

だった。


とりあえず、それが分かる部分のみ拾い読みしていく。

目次を見るとパッと見る。


……。うーん。

野球選手とゴルフ選手の例が多い。

高跳びは無さげだ。

使えるだろうか?


気になるところだけ読んで、頭を整理しよう。

付せんを張りつつ読み始めた。

重要なトコロは赤、気になるところは黄色の付せんだ。


しばらく読み進めてまとめてみた。


1.原因は様々

①精神的プレッシャー(ミスできない状況等)

②フォームの選択ミス(自分に合ってない)

③技術的要因


2.対応も様々

①精神的プレッシャーの解消(痛みを気にしながら試合をしてたら解消してた)

②フォームの変更(野球であればオーバースローからサイドスローへ)

③身に付けているものや使用している道具(ボールサイズ)を変更した練習

④イップスの症状がでたら、その練習はやめる。間違えた動きを覚えてしまうから


3.実例としては

①色んな人が色んなことを言い混乱することもある


4.その他傾向としては

①上級者に多い

②完璧主義者に多い


うーん。やっぱり中途半端なアドバイスはしない方が良いのかもな。

付せんを張ったトコロをもう一度見返す。


そして遠藤にまとめを告げた。


「お。鬼塚。読むの速いんだな……」

遠藤が驚きの声をあげた。


「全部読んでねぇよ。目次見て気になったトコロだけ読んだ」


「うーん。それでも速いと思うけど」


「けど聞いてて、下手にアドバイス送るの怖くなってきたよ」

イップス対応としてやってることは

どの事例も似てるんだけど、違ってるものもある。

今の高宮にどれが良いのかよく分からない。


「だな……」

遠藤の意見に同意を示す。

何となく予想していた結果の一つではあった。

これだと高宮に何をアドバイスとして送ったらよいか分からない状態だ。



そんな中、遠藤から一つの案が出た。



「あのさ。鬼塚。

でも僕はこれが良いんじゃないかと思って……」

そう言って遠藤は走り高跳びのとある練習方法の写真を示した。



……ほう。面白いのを見つけたじゃねーか。



「……お。これ。いいかもな」

ちょっとした道具を使った高跳びの練習だった。

俺もやったことがある。


「これ。たしか学校にあったよね」


「あったと思うぞ」


「で。ど。どうかな」

だんだんと遠藤の声が弾んできた。


「いいんじゃねーか」

フォームの変更みたいにリスクが大きくは無い。

良い練習方法だと思う。


……あくまで、あれが借りられればではあるが。

ま。取り敢えず高宮にはこれを勧めてみるか。


「それじゃ次は長距離だな」

そう言って、俺は暗に自分の競技もしっかり勉強しろと

暗に示した。





しばらくして……。

ふと横を見るとまたしても遠藤は跳躍の本を読んでいた。

ちょっと前はイップスの本を読んでいたと思う。


長距離の本は最初しか読んでないんじゃ……。


その気持ちは分からんでもないんだが……。


気にしちゃいたんだが、どうやら

当初の目的を完全に見失っちまったようだ。


仕方ない。言うべきことは言おう。




「おい。何跳躍の本ばっかり読んでんだ」

もう。口に出して言わなきゃしょうがない。


「え。いや。だって……」


「高宮が心配なのは分かる。

だけど高宮を心配をし過ぎて、

お前が長距離で結果を残せなければ

悲しむのは誰だ?」

暗に高宮だと俺は言っている。


「……」

遠藤の無言が回答だった。

遠藤もその事に気づいてはいるようだ。


「高宮だろう? 違うか?」


俺はなおも続けた。

「お前が惚れた高宮って子は

学校休んだり、熱が出て倒れたお前を

ほっとくような子なのか?

それとも自分にだけに尽くしてくれれば

お前の事なんかどうでもいいとか考える

そんなバカ女なのか?」

遠藤が高宮の何に惹かれたのかは分からない。

だけど、自分の事だけがかわいい自己中女だったら

遠藤は高宮に惹かれなかったと思う。


「違う!

高宮さんはそんな人じゃない。

でも。

でもさ。どうしても

気になっちゃうんだよ……」

最初の"違う"は大声だった。

だけど後になればなるほど

遠藤の声はか細いものになっていった。


俺は少し笑って答えた。

「お前が高宮の為を想って何かするのを俺は否定してるわけじゃない。

そういうものは人として必要な優しさだ……と確かに思う。

でもな。自分自身の面倒を見れない奴が

他人の面倒なんか見れると思うか?」


その言葉に遠藤は苦虫を噛み潰したような表情を見せた。



中学の時の俺は弱かった。

頭も身体も人と人との繋がりも……何もなかった。

だから色んなものを守れなかった。

アカリも、トモサカも、先輩も……。

あんなのはみんなもう御免だ。



「鬼塚は……。分かんないの?

好きな人の為に何かしてあげたいって気持ちが……さ」

遠藤は恨むような顔で俺を見上げた。



いや。分からねぇ訳じゃねぇ。

むしろ痛いほど分かっていた。




俺なんざに深々と頭を下げて

「有難うございます」と言ってくれたあの子が脳裏に浮かんだ。


そしてテニスボールを拾い上げコートに……

あの子に返す自分が今の遠藤と重なっていた。




しかし……なのだ。


「きつい言い方をするが

弱い奴が弱い奴の手助けをしても共倒れになるだけだぜ」

その言葉に遠藤がうなだれた。


人として弱けりゃ

他人を助けるなんて出来はしない。

そしてそれは余計なお節介ですらない。



むしろ害悪だ。



遠藤は押し黙って俺の次の言葉を待っていた。


一呼吸おいて俺は話す。


「強くなれよ。遠藤。

弱いままでいいなんて事は無い。

誰かを守れるぐらいに強くなれ」

『強くなれ』は酔った親父がよく言う言葉だった。


それと何か一つ人に自慢できるものを作ることが

自己評価を下げがちな

遠藤に必要なものだと俺は考えていた。


「格闘技でもやれってこと?」

遠藤はちょっと違う受け取り方をしたようだ。


「そうじゃねーよ」

遠藤の言葉に苦笑する。


「人の強さなんて色々だろ。

頭のいい奴。

運動のできる奴。

話の旨い奴。……。

そういうのを磨けってことだよ

何もかもでも出来る奴なんざ、ごく僅かさ。

だから……さ。

自分が本当に強いところそれを気付いて伸ばさなきゃ

駄目なんだと俺は思ってる」


俺は高跳びを捨てた。

憧れはあった

あの人のように跳びたいと思っていた。

けど……駄目だった。

高跳びをやる上で必要な才能の一つ



身長がどうしても伸びなかった……。



「長距離が速くなれば、

人として強くなれるのかよ

ちょっと違くないか!?」

遠藤が反論してきた。


俺は真正面から遠藤の目を見据えて、

そして切り出した。

「じゃー。聞くがな。

己を磨かず、何の努力しなかった人間が

強いと言えるのか?

そんな人間が

何か困難な事態に対面しちまったときに

立ち向かえると

お前は思うのか?」



「い。いや。それは……」

予想外の反論だったのだろう。

遠藤がうろたえだした。



「俺は別に長距離をやれって言ってるわけじゃ無い。

勉強だって他のスポーツだって何だっていい。

何だっていいのさ……。

自分が取り組みたいと思うコトに

しっかり向き合って、工夫して、人から教えをこうて、

頭を使って、最大限に努力して

そういった経験が人を強くするんじゃねーのか?

困難にも打ち勝てるようにするんじゃねーのか?

違うか?

俺は何か間違ったことを言っているか?

お前はどう思う?

なぁ。遠藤?」



「……違わない。違わないと思う……」

どうやら納得してもらえたようだ。

表情は虚ろだが。


言い過ぎたかな……。、

俺は遠藤から視線を外して切り出した。

敢えて遠藤の顔を見なかった。

「今、話した内容は……。

ま。

……親父からの受け売りだ」

少し恥ずかし気に頭を掻く。

未だ自分の言葉になってない。

親父程、言葉が身体に染み込んでいないと思う。


「鬼塚のお父さんの……」


「そ。飲んだくれの親父の受け売り。

お袋に尻敷かれてるんだよなぁ。

でも俺も……。

その親父の言葉は間違ってないと思う」

そう言って遠藤の顔をみて俺は少し笑った。

虚ろだった遠藤の顔には多少、生気が戻っていた。


そこまで話して

俺は遠藤の背中をパンッと叩いた。


それにビックリしたのか

遠藤の身体がビクッとはねた。


「遠藤。お前さ。長距離の才能ある。

伸ばさなきゃ勿体ないぜ」

最後に俺は今まで思っていながら

口にしていなかったことを遠藤に告げた。

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参考文献


澤宮 優著

『イップス 魔病を乗り越えたアスリートたち』株式会社KADOKAWA



内田 直監修 石原 心著

『イップス スポーツ選手を悩ます謎の症状に挑む』大修館書店



コーチング・クリニック2019年7月号4~23ページ ベースボール・マガジン社

「イップス大解剖」


以前にもお伝えしましたが

作者である私自身は陸上競技をした経験がありません。

あくまで資料や映像を参考に物語を作っている次第です。

ですが、もし何か気になる部分や間違えている箇所などありましたら

ご指摘のコメントを頂けると幸いです。宜しくお願い致します。

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