第36話 高宮が抱えているモノ

1996年6月29日(土)


午前中だけの部活が終わり

コンビニの駐車場でアクエリを飲む。

いつもと違うのは横に遠藤と高宮がいないコト。

そしてアクエリは自腹……。


ごくりと飲んで一息つく。

……。うまくねぇ。

いつものうまさが無かった。


ふと。真上でギラギラ光るお天道様を見る。


真昼間だから待つ必要も送る必要も無いっちゃ無いのだが……。

でもあんなのは二度と御免だった。



しばらくしてコンビニに清水さんとアカリが現れた。

気は乗らないけど、高宮と遠藤の話は……

……しなきゃならない。

言うべきことを言うと決めて

俺は、残っていたアクエリを飲み干した。



帰り道。

俺は重い唇を開きながら

コトのあらましを二人に伝えた。


「遠藤君、怪我したんですか?」

清水さんが若干驚いている。

無理もない。


「けど。アイツ意外とやるわね。

彼女庇って下敷きになったんでしょ?」

アカリの中の遠藤の評価がちょっぴり上がったようだ。

でも毒舌や暴言は止まらんだろうな。コイツの場合。


「ま。そうだな」

彼女を庇う……そんな感じで転倒してた。


「それで遠藤君。大丈夫なんですか?」

清水さんが心配そうに尋ねてくる。


「しばらくしたら普通に歩いてたから大丈夫とは思う。けど…」

二人が転倒した瞬間を思い出す。


「「けど?」」

横で歩いている二人が問う。


「けど高宮の方が重症かもな」


「遠藤が庇ったんでしょ?」

アカリがよく分からないという顔をして質問してきた。


「いや体は大丈夫なんだろうけど

心の方がなぁ……。

まぁ。彼氏に怪我させちまったからっていうのもあるし……」

あの事故の後で、ふさぎ込んでいたのは高宮のほうだ。


「それってさ。

遠藤の補助が未熟だったって可能性は無いの?」

アカリらしく人が聞きづらいコトをストレートに聞いてきた。


「いや。あれはどちらかと言えば高宮の問題だった」


遠藤の補助が未熟というのは確かにある。


しかし高宮の跳び方が練習の時と明らかに違っていた。


身体を補助に預けるタイミングが明らかに早かった。


あれでは補助は身体を支えられない。


……遠藤はあの状況で良くやった方だと思う。


転倒の光景と丸山先輩の言葉が頭の中にチラつく。


『高宮の"イップス"も関係してると思うか?』


うーん。

腕を組んで考えみる……。


どうやら……

高宮は何か抱えている

……ようだ。



いつの間にか腕組みをして、思案に暮れていた俺を

二人が覗き込んでいた。


……そうだな。

二人にも聞いてみよう。


「そう言えば高宮って何か上手く飛べないとか言ってたりするのか?」


「うーん。どうかな? そんなことは言ってなかったと思うけど」

アカリが答える。

その横で清水さんも首を横に振っていた。


「いや。4月ごろとかは?」

飛田先輩曰く、『4月ぐらいが酷かった』って話だからな。


「ごめん。その頃はあんまり仲良くなかったし……」

アカリが答える。

その横で清水さんも首を小さく縦に振った。


そういえばそうなのかもな。

4月と言えば入学して間もないし、

それに"イップス"の話は二人にしていないみたいだな。


「4月は学校はたまに休んでたでしょ。……。ちょっと体が弱いみたいだし」

返答に微妙な間があったが、アカリが付け加えて答えた。

流し目でアカリを見るが、こっちを見ていなかった。



なんかあんのか?



「そういや。あんた。席隣なんだから。あんたの方が分かってんじゃないの?」

アカリが訝し気に聞いてきた。


高宮は俺の隣の席だ。

そういや、

隣の席が空いてることがたまにあったけ。


アカリがため息交じりに付け加えた。

「教室で倒れたこともあったっていうのに……」


「あー。何かそんなものあったな」

確か1限が自習になった日だ。

俺はその日、遅刻気味に学校に来て

既に高宮が保健室に運ばれた後だったはずだ。


「あれって高宮が倒れたから自習になったんだっけ?」

ちょっと記憶に無い。


「違うわよ! 自習の時間に詩織が倒れたの!

それで私達が保健室連れてったの!」

アカリが鼻息を荒くして答えた。

そうだったか……。

どうにもその辺は記憶が無い。

いなかったんだから仕方無いっちゃ無いんだが……。


「そっか。アカリと清水さんが保健室まで連れてったんだ」

そう言いながら清水さんを見る。


アレっ?

清水さんが首を横に振ってる?


「私だけじゃなくて。私と遠藤と猪熊!

クラスが違うんだから、ミサキが対応できるわけないじゃない!」


「あんた。脳みそくっ……」


「くっ?」

たぶん"毒舌美少女"として名高いアカリは

その名言(迷言?)である

『脳みそ腐ってるんじゃないの!』と言おうとしていたはずである

が……。

清水さんが恐ろしい顔でアカリを睨みつけていた。


あの図書室での一件以来

清水さんは基本、穏やかな性格だが

怒らせると怖いことは周知の事実となっている。



まっ。アカリが暴言吐かなきゃ、怖くなることないんですけどね。



「く。く。くっ。クリームパン。限定パンのクリームパン食べたいな」

苦しい誤魔化しだった。

だがそれを聞いて、清水さんの表情が穏やかなものに戻った。


「食い意地張ってんな。太るぞ」

いい気味である。すかさず突っ込みを入れる。


そしてその瞬間、アカリは清水さんから見えないように

俺のみぞおちに肘打ちを入れてきた。


「ぐふっ……てめぇ」

身体がくの字になる。

こ。呼吸が苦しい。


「だれが太ってるですって!?」

アカリはその吊り上がり気味の目をさらに吊り上げていた。


「おめぇだ。おめぇ」

腹を押さえながら指さす。


少し険悪になった俺達の間に

清水さんが「ちょっと。ちょっと。二人とも」と言って割って入った。



あぁ。なんていい子なんでしょう。



「それに太ってるのは猪熊の方でしょ」

アカリが反論してきた。


「誰だよ。その猪熊って?」

誰だっけ?


「柔道部で身体の大きい。って。アンタねぇ。

クラスメートの名前ぐらい覚えなさいよ」

アカリが呆れている。

清水さんも苦笑している。


うーん。


クラスメートの名前全部覚えなきゃならないのかなー。

記憶力悪いんだけど、俺。


ああっ。

そういえばあいつか。

高宮狙いだったあの柔道男か……。

猪熊って名前だったのか。

つーか。あれは太っているというよりガタイがイイって奴じゃねーか。


「あの二人が担架で運んだの。私は付き添い」

そうか。遠藤とあの柔道男が担架で高宮を運んだのか。



分かっていたことだけど……。

高宮は体が若干弱いようだな。

そういうところも遠藤とお似合いってとこだろうか?


これ以上は高宮の事を聞いても何も分からんだろうな……。

ちょっと話題を変えよう。

「そういやさ。テニスでもイップスってあるの?」


「ありますよ」

清水さんがすかさず答えた。

あ。やっぱりあるんだ。


「どんなの。教えてもらってもいい」


「いいですけど」

そう言って清水さんはチラッとアカリを見た。

何かアカリは憮然とした表情をしてる。


「サーブの時にホームランとか……」


「何だそれ」

ホームランって野球じゃねーか?


「コートの狙ったところに全く入らないんです」

少し困り気味の顔をしながら清水さんが答えた。


「何かその。傾向とかあるの? そうなり易い人とかって……」

あるもんかね……。


「傾向っていうとレシーブとかボレーとかは問題ないんだけど、

サーブの場合が多くて……。

それとわりと上級者の人に多いというか……」

少し間をおいて

清水さんがさらに困った顔をしながら答えた。

アカリの方を気にしてる。


「今日の私は調子が悪かっただけ!」

アカリが隣で吠えた。

なんだ。今日サーブが入らなかったのかよ。こいつ……


「ホームランが好きなら野球やれよ。お前

バット……じゃ無かった。

釘バットの方が似合ってるぞ」

釘バットを持って暴れるアカリ。

鬼に金棒ならぬ

アカリに釘バット

最悪の組み合わせである。


そんな妄想をしていたら……


ごす。


アカリが問答無用で俺の腹にボディブローを決めた。

このくそアマ。的確にみぞおち狙ってきやがる。


「ぐはっ」

身体が再度くの字に折れる。


「ちょっと。アカリちゃん。暴力はダメ。

鬼塚君も言い過ぎです」

慌てて清水さんが仲裁に入った。

本当に良い子です。


「今のはコイツが悪い」

アカリが憤然と答えた。


まぁ。俺も鍛えている方ではある。

即座に腹筋を締めたからそんなにダメージは無い。

しかしこのくそアマ。

覚えてろよ。

次の期末テストで吠え面かかせてやる。

……数学だけだけど。


「口で言えよ」


「バカは言っても治らない」

アカリが即答する。


「へぇへぇ。悪うござんした」


「もう二人とも止めて下さい!」


結局、イップスは他のスポーツでもあるってことぐらいしか分からなかった。

得られたのはアカリからのひじ打ちとボディぐらいだ。


その後は他愛もない雑談になって俺達は帰路に着いた。



「ただいま」

誰もいない家に俺の帰宅の声が響く。

今日はお袋もパートに出ているはずだ。



そういえば今日午後から遠藤と約束があったけど

あの様子だと"無し"だな。


断りなしに遠藤との約束を反故にし、

部屋でおもむろに長距離のビデオを見ようとしてた。


瀬古さんを見ようか、イカンガ―も捨てがたい。

最近だと花田さんもいいな。


うーむ。悩みどこだ。

ビデオテープのラベルとにらめっこしながら、

「1986年 ロンドンプジョータルボットゲーム 男子5000m」という

ラベルが貼られたテープを手にとった。


瀬古選手が5000mで日本新を出したレースだった。



俺がホームストレートであんな歓声を浴びることは無いんだろうがな……。



そんな思いを抱えながらデッキにテープを入れる寸前、

狙いすましたように黒電話が鳴った。



「おい。鬼塚。駅で待ってるんだぞ。いつまで待たせるんだ!!」

電話の主は遠藤だった。



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瀬古利彦……元陸上競技・マラソン選手、陸上競技指導者。

「モスクワオリンピックに出れてさえいれば……」と陸上関係者は誰しもが思うこと。

作中に述べた「1986年 ロンドンプジョータルボットゲーム 男子5000m」で日本新記録を出している。

その他にも当時の日本新記録を多数塗り替えている。


ジュマ・イカンガー……タンザニアのマラソン選手。

瀬古選手を含めた日本人選手と様々な大会で争った。別名「アフリカの星」

他の選手より前を走っていないと気が済まない性格の選手。

レースの最後で相手を抜き去る瀬古選手とは対照的。

「1983年 福岡国際マラソン」で二人の走りの違いが如実に現れている。


花田勝彦……陸上競技(長距離走・マラソン)元選手、現指導者。

「1994年 陸上日本選手権 男子5000m」で優勝している。

現在(2023年)は早稲田大の監督を務められている。

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