第28話 支えてやれよ。彼氏なら……

1996年6月25日(火)


丸山先輩と飛田先輩が

勧誘してくる理由も分からない訳では無い。


少人数や一人で……。

要するに仲間がいない状態で

練習をする辛さを俺は知っている。


特に丸山先輩は

3年の先輩が引退して

ひとりで投擲だ。

フォームの確認なんてしてもらえない。


俺としてもその境遇は可愛そうだとは思っている。


それともっと現実的な話もある。

人が多くなれば部費、

つまり金ももらい易くなる。


高跳びで使うバー、スタンド、マットも年代物だ。

補修が入っている。

新品を買いたいという要望もあったと思う。


砲丸投げで使う球も錆びてるのがあったはずだ。

やすりで磨いて、錆止め塗るくらいは手伝ってあげよう。



競技として砲丸はしないが……。



どんな競技でも金は掛かる。

お金のかからない競技なんて無い。

球技と比べればかかる金は少ないとは思う。

でもかかるものはかかる。

それは陸上も同じだ。


助けられるものなら助けてあげたい。

ただ俺はどこにでもいる普通の高校生だ。

俺はスーパーマンじゃない。

何でもかんでもできるような人間じゃないんだ。

誰も彼もを救うことのできるような人間じゃない。



……。そして俺は長距離がしたい。


俺は勝ちたいんだ。


自分が少しでも勝てる競技をしたい。


身長が有利に働く競技など


身長が高くならない限りしたくはなかった。



外周へ向かい、遠藤と合流する。

不意に視線に気づき、視線の方向を見る。


そこには残る2年先輩。短距離女子の

矢木先輩がいた。


うーん。また見られてたか。

6月ぐらいからだろうか?

この先輩から何というかねっとりした視線を浴びることが多くなったと思う。

それまではこんなに見られることは無かったと思うんだがな……。


矢木先輩は俺の視線に気づいたのか

緩くウェーブのかかった髪を翻して、短距離の練習に戻っていった。



「高宮さんと練習出来るなんて良いなぁ……」

遠藤が呟く。


その言葉に俺はため息を吐く。

……。イイコトなんてない。

部内の権力抗争に巻き込まれたような形だ。

それに後で勧誘については正式に断っておかないと揉めると思う。

頭が痛い。

正直、メンドクサイ。

たまに飛んでみたくなる高跳びだが

やらない方がよかったなぁとしみじみ痛感している。


そして遠藤は先ほどの俺と先輩方のやり取りも

その表面しか見えていないんだと思う。

そういや遠藤は中学の時は部活に入っていなかったとか言ってたしな。

こういうのは分からんのかもしれん。

もう少し人付き合いにおける駆け引きも憶えた方が良いとは思う。

俺もそういうのは苦手なタチではあるのだが……。


「たまに補強とかハードル、一緒にやってるだろうが……」

ハードルを使った練習を短距離、長距離、跳躍は合同でする事がある。

投擲の丸山先輩が寂しそうにしていたが……。

それでも全体のアップは一緒にしてるんだけどね。


「うん。それはそうなんだけど……。

彼女、他の人のアドバイスも欲しいってよく言ってたから……」

今回の一件、お前も噛んでたのかよ。


「陸上だけは鬼塚は信頼できるし……」

全く失礼なことをいう奴だ。


「"陸上だけはっ"ていうのは余計だ」


「まぁ。気になった事は言った。

けど。俺ももう専門でやってるわけじゃないしな……」


「そうか。それでも有難う。

僕は高跳びでは、なにもしてあげられないから……」

寂しそうに遠藤は呟いた。

遠藤には軽い嫉妬もあったのかもしれない。

だが……。

遠藤はどうやら高宮に何も出来ない事を悔やんでもいるようだ。

俺も清水さんに何かしてあげたい気持ちはある。

好きな人の為に何かしてあげたい……。

それは当り前の感情だ。

コイツも俺と同じものを抱えているのかもしれない……。


「そうでもない。高跳びは心理的要素が大きい競技だ」

そう言って俺は遠藤に近づく。


「支えてやれよ。ここを。彼氏ならな」

その言葉と共に、俺は遠藤の胸の中心、

心臓に右手人差し指を当てた。


「いや。その。支えるって言ってもさ……」

遠藤はよく分からないという顔をしている。

走り高跳びは心理的要因が大きい競技と言われている。

こいつが彼氏としてしっかりすることが

高宮の高跳びの記録にも多少なりとも影響はする。と思う。



口頭で、高跳びは心理的影響が大きい競技だと伝える事も出来るが……。

俺一人が言ったところで納得できるもんではないかもしれない。



……。しょうがない。

川さんのところにも連れて行ったんだ。

あそこにも連れていくとするか……。

他にも色々と伝えたいこともあるし。

「遠藤。土日のどっちか空いてるか?」


「土曜の午後なら……空いてるけど。

また勉強会の予行?」

と遠藤は答えた。


「それだけじゃ無いんだが……」

俺一人の意見を聞かせるより、

他の人の意見も聞かせた方が良いだろう。

俺は、そう考えていた。

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