第11話 "身長という才能"と"己との闘い"

1996年6月19(水)


体育の授業、男子達にわずかなどよめきが響いた。


"背面飛び"で俺がそこそこ飛んだからだ。

1m83cmという高さ。

普段であれば"背面飛び"で飛んだりしないだろう。


昨日のことで、

少し落ち込んでいて、

それをなんとかしたくて、

あの"背面飛び"独特の「浮遊感」を味わいたくて、

飛んでしまった。


俺はバーを確認してからマットから降りる。


「すごいじゃないか。鬼塚!」

遠藤が声を掛けてきた。


「そうでも無いさ。最低でも1m90cmはオリンピックに必要だからな……」

憮然として答えた。


「じゃあと7cmでオリンピックじゃないか?」

説明が悪かった。

遠藤は勘違いしたようだ。


「違うよ。遠藤。身長が最低1m90cmいるって話だ。

そいつらが最低でも2m30cmは飛ぶんだよ。オリンピックでは」


そんな話をしていたら、先ほどよりも大きな歓声が上がった。

バーの高さを上げて、1m84cmを飛んだ奴が表れたようだ。



しかも"ハサミ飛び"で……。



「おーい。鬼塚。お前の言う通り、踏切位置変えたらイケたぜ!」

声を掛けてきたのは

バスケ部1年生エース。立田。

1m90cmの長身だ。


俺はクラス内では遠藤以外の男子と話す機会は少なかったのだが……。

クラス内でも遠藤や高宮と話していたおかげだろう。

他の男子の中にも少し応対が変わってきた奴が出てきた。

立田もその中の一人だ。


「最高到達点がずれてたからな。しかし半歩を良く調整できたな」

立田は最高到達点とバーの位置が約10cm程ずれていた。

10cm……。

足の長さに換算して半分。だから半歩。

こいつはそれを調整してきた。


「立田。お前さ。高跳びやれば、多分いいとこ行くぞ」

決して、お世辞では無かった。


「まぁそうかもしれないが、俺バスケが好きだしな」

立田が答えた。


「そうか……」

別に無理に誘おうとしている訳じゃない。

ただこいつには"才能"が有るんだ。

使わなければ勿体ないと思って言ったまでだった。


「それより鬼塚さ。"背面飛び"教えてくれない?」

陸上をやる気は無い。

でも"背面飛び"はしてみたい。

その態度に苦笑してしまう。

これまでの経験上、こういう物怖じせずに聞いてくる奴は伸びやすい。

だがある程度伸びたら、行き詰り易くもある。そういうタイプだ。

それを俺は知っていた。


「体育の授業中ではちょっと難しいな。

まずはお尻を使った、座り飛びから初めて……」

短い時間だが丁寧に説明した。


「うわっ。結構色々と手順があるんだな……」

立田はそう答え、どうやら直ぐに諦めてしまったようだった。


「一度、飛んだらしばらく病みつきになるんだがな……」

俺はポツリと呟いた。




俺も1m84cmに挑戦した。

だがあえなくバーは落下した。




中学時代、三種競技(短距離、走り高跳び、砲丸投げ)

にも取り組んでいて、"背面飛び"もそれで覚えた。

長距離に完全に移るまで1年半ぐらいは練習も続けていたと思う。


その1年半を僅か一言のアドバイスで

俺は超えられてしまった。


スパイクを専門のものにして、

マーカーを入れたりすれば、

俺の記録も多少は伸びるとは思う……。


だがそれでも身長という"才能"……。

それは168cmという身長の俺には無かった。




『鬼塚。ハイジャンプは他人との戦いだけじゃないよ。むしろ自分との戦いだよ』

不意に俺は、高跳びを教えてくれた先輩の言葉を思い出した。




あの人は俺より低い身長で、俺より高く飛んだ。

あの人は今も飛んでるんだと思う。

自分の記録を超える為に、

俺より低い身長で、俺より高く飛んだあの人は……。


あの浮遊感を味わえたこと、

そして先輩を思い出したことで、

多少、沈んていた心が少しだけ晴れた。

ただ、目の前に広がる北陸の空のように

ところどころに厚い雲が覆いかぶさってはいた……。

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