第8話 走りは足にも靴にも現れる

1996年6月16日(日)


部活休みの日曜の午前中。

俺は駅前で遠藤と待ち合わせをしていた。

遠藤が駆け寄ってくる。

これが遠藤では無くて、清水さんだったらなぁと思ってしまう。

しかし野郎同志の集まりというのに遠藤はやけに洒落た姿できやがった。

しっかり運動のできる服装と言っておくべきだったと俺は後悔する。

かくいう俺はジャージ姿だ。


「遠藤。シューズは持ってきたか?」

シューズを持って来いって言ってたから、

運動のできる服装とは言わんでも、してくると思っていたんだよな。

……失敗した。


「うん。持ってきたけど、これ必要なの?」


「必要、必要」

それが無ければ、呼んだ意味が薄れてしまう。


「でも、もうある程度使ってるシューズだよ?」

使い込んでるからこそ意味がある。


「使い込んで、すり減ってるからいいのさ」

遠藤は俺が言っていることが分からないという顔をしている。

今、この場で説明する事も出来るが、……。

これは論より証拠だろう。

ショップに行った方が早いだろう。


「とりあえず。ショップに行こうぜ」


「……。うん」

俺は少し不満げな遠藤を連れて歩いた。




やがて駅前の商店街を抜けて、俺たちはある店に辿り着いた。

古ぼけた看板には"シューズショップ川"と書かれてある。


「ども。こんにちは」

店に入って、靴の森を抜け、少し奥まったところで

在庫の整理をしている白髪頭のおじいさんに声を掛けた。


「あぁ。鬼塚君か。よく来たね。

この前、買ったやつも駄目にしちゃったのかい?」

こちらを振り返りながら

柔和な笑みを見せながら、答えてくれたこの人こそ

店主の川さん、その人である。


「それもあるんですが。今日は連れもいて……」

川さんの笑顔につられて、俺も笑顔で答える。


「トモサカ君かい?」

メガネを少しかけなおしながら川さんが答えた。

そういやここにはトモサカとよく一緒に来たんだったな……。


「あ。いや。トモサカじゃなくて

俺と同じで長距離やってる……」

俺はそこまで話をして、横にいる遠藤に挨拶を促した。


「あ。あの。鬼塚君と同じで長距離の5000mやってる遠藤です」

初対面というのもあるのだろう。

遠藤は少し緊張した面持ちで挨拶をした。


「俺はシューズを買いに来たんですけど。

こいつは足とシューズを見てもらえませんか?」

俺は川さんにそう切り出した。


「いや。こっ。これ。他の店で買ったものだし、悪いよ」

遠藤が慌てる。


「いやいや。確かに自分の店で買っては欲しいですけど、

こうでもしないとお客さんが来てくれないですからね。いいんですよ。

では。まず。足と靴を見てみましょうか」


川さんは営業スマイルを崩さずに

「まず靴と靴下を脱いで頂けますか?」

遠藤に靴と靴下を脱ぐように促した。



そうして、本日のメインイベントが始まった。



「えっ。靴下も?」


「はい」

川さんはニコニコしながら返答する。


少し遠藤は疑問に感じながらも靴下を脱いだ。

俺も『最初、靴下脱がされたなぁ』と思い出しながら

遠藤と川さんを見ていた。


「黒爪は有りませんね。偏平足でも無いようですね」


「黒爪ですか?」


「シューズが合ってないと出来てしまうんですよ。

他に原因がある場合もありますが……」


次に川さんは遠藤を座らせたり、立たせたりしながら足長や足囲、

そして足の長さを丁寧に測りだした。

稀にではあるが、座った状態と立った状態で足長が変わる人もいるそうだ。

また足の長さ自体が左右で違う人もいる。


「今度は座って、リラックスしてもらえますか? 足首の柔らかさを見ますので」

川さんはそう言い、今度は遠藤を座らせ、足首を前後左右に動かした。


「すこし左右に柔らかすぎますね」

川さんがぽつりと呟いた


「では最後に靴下とシューズを履いて貰えますか」


川さんは次に靴と遠藤の足の具合をみていた。

「サイズは合ってますね。踵もピタリと合ってます。

良い靴を選ばれましたね」


他の店で買った商品であっても

問題無いと判断すれば、それを貶す様なことはしない。

川さんのそういった対応が、俺にとっての信用というものに繋がっていた。


「それでは。靴底の減り具合を見てみましょうか」

川さんは次に遠藤に靴を脱ぐように促した。


「靴底の減り具合?」

遠藤が怪訝な表情を浮かべた。


川さんは机の上において靴底を見始める。

「うーん。パッと見で左右差がありますね」


「左右差?」


「えーと。この靴がいいかな」

川さんは他のすり減った靴を取り出す。


「比べたら良く分かると思います」

その靴と遠藤の靴を比べると一目瞭然だった。

遠藤の靴底は左の踵が右よりも減っていた。


「えっ。これって良くないんですか?」


「すり減っている原因にも依りますが、良くないことがあります。

軸足となる左足に負担がかかり過ぎていたり、体が左右に振れていたりと

理由は様々ですが」


「体が左右に振れてる……」

遠藤が顔をしかめる。


「まぁ皆さん利き足、軸足というものがありますし

人間も色々ですから、靴底の減り具合も色々です」


川さんは俺に声を掛けた。

「鬼塚君。すいません。遠藤君の走りをみて気付いたことがありますか?」


「割と疲れると身体が左右に振れだすかな。顎も上がってくるけど」


「……。足首の左右の緩さにも原因があるかもしれませんね。

ではこちらでやれることをしましょう」

川さんが切り出した。


「やれること?」


「テーピングです。足首を固めましょう」


「これで少しは良くなるはずです」

川さんは遠藤の足首にテーピングをし、やり方を丁寧にレクチャーし始めた。

川さんとしても、そして俺としても、

店にあるトレッドミルで走って感触を掴んでもらった方が良かったのだが、遠藤の服装が服装なだけに、それは諦めてもらった。


「後はそうですね……。練習ではいつも同じコースを同じ周りで走られてます?」

川さんから追加の質問が来た。

陸上部顧問の指示で逆回りでも俺達は走っていた。


「練習では交互に。あっ。でも。家では……」

どうやら遠藤は家で自主練しているようだ。


「自主練してるんだったら、そのコースも逆回りで走るようにもした方がいいぞ」

俺は自分なりのアドバイスを遠藤に送る。


「短距離とか中距離の子だと、トラックを同じ方向にしか回らなくて、

一方の足に負荷がかかって故障するという子もいますから……。

長距離だとそこまでは無いかもしれませんが、回る方向が同じだと

一方の足だけに負荷がかかってしまうというのはあるかもしれませんね」

川さんがそう付け加えた。




「すいません。川さん。次は俺の足と靴底見てもらっていいですか」


「いいですよ」


俺の今までの靴底の写真と渡された靴を川さんは見比べる。

そして笑顔で答えてくれた。

「変わってきましたね。減り方が。

靴底だけでは何とも言えないですが、

鬼塚君の理想の走りに近づいてきたんじゃないですか?」


「鬼塚の理想の走り?」

遠藤が声にだす。


「遠藤君も見てみるといいですよ」

川さんが遠藤に俺の靴底をみるように促した。


「あっ」

見た瞬間。

遠藤が驚いて声を上げた。

そこには遠藤のシューズの減り方とは全く違った俺のシューズがあった。




俺は練習用のシューズを、遠藤はテーピングを買って店を出ようとした。


「市民マラソンの案内が来てますが、鬼塚君達参加しますか?」

川さんがパンフレットを手に尋ねてきた。


日取りやコースを一瞥する。

「いや。せっかくですけど新人戦が近いのでやめておきます」


「そうですか……」

川さんはやや残念そうに答えた。


「そうか。9月ですよね。新人戦。期待していますから」

笑顔になった事で皺が増えてきた川さんの顔の皺がさらに増える。


「うーん。ブランクがあるんで今回は様子見かなって思ってますけどね」

俺は中学3年になる前に陸上部を辞めている。

本格的にトラックで試合をするのは約1年ぶりになる。


「それでも……。応援してますから」

川さんは笑顔のまま答えてくれた。


「いやあの。有難うございます」

俺はその気持ちに素直にお礼を述べた。


「そうだ。トモサカ君にもマラソンのこと一応連絡しておいてもらえますか」


トモサカも中学3年の前にサッカー部を辞めている。

それで俺たちはこういったマラソン大会に参加していた。


「一応連絡はしておきます。けどあいつも高校ではサッカーをまた始めたんで」


「知っています。けどトモサカ君もお得意様ですから」

皺が増えた顔にさらに皺を寄せて川さんは答えた。


そして川さんの笑顔に見送られながら俺達は店を出た。




「あの靴底! 鬼塚いつから走りを変えたんだ?」

遠藤が店を出た瞬間に食い掛かってきた。


「いつからって、高校入るちょっと前かな? 走りを変えてみたのは」


「僕にも教えてくれよ!」

遠藤が懇願する。


「……。未だ完成してねーんだよ。

それにタイムもそれほど、縮まっちゃいない。

そんなもの、人に勧められんだろう」

俺は遠藤の頼みを断った。

上手くいくかどうかは分からない。

失敗して今までよりタイムが悪くなるかもしれない。


でも俺は自分の走りを変えた。

変えなきゃ他の奴らに追いつけないと考えていた。


そんなことを遠藤と話していたら駅前に辿り着いた。

だが遠藤は駅に入ろうとしない。


「帰らねーのか? 遠藤」


「あ。いや。僕。

これから高宮さんと駅前で待ち合わせだから……」

だからか。こいつ!?

やけに気合入ったカッコしやがって。


「ふーん。そう。じゃ。高宮に宜しく……。

あっ。そうだ。さっきの川さんの店、他の競技の靴も売ってるし

走り高跳び用の靴も売ってるぞ」


「走り高跳びって専用の靴なの?」

遠藤が聞き返してきた。


「全然違うんだよ。高跳びの靴は。

"傾斜スパイク"って言って中のソールが傾いてるんだけど、

右も左も同じ向きに傾いてるだよ」


「そうだったんだ」


「ま。デートで時間余ったら行ってみな。それと今度は運動できるカッコでな」


「それは鬼塚が言わないから悪いんだろ。ま。川さんいい人だし、行ってみるよ」


そう言って俺たちは別れた。


……。あー。うらやましい。

俺は遠藤と妬みを駅前に置いて改札口に向かった。


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参考文献

三村仁司著 『一流はなぜ「シューズ」にこだわるのか』 青春出版社

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