第7話 蜜柑のドリア?

1996年6月14日(金)


「蜜柑のドリアなんて旨いのか?」

昼休みにみんなで集まって生物の勉強をしているときに俺はみんなに聞いてみた。

オレンジ色に染まった焦げ付きご飯。

きっと不味いんだろうなと思う。


「ミ・ト・コ・ン・ド・リ・ア!!

カズ。あんた。

耳腐ってんじゃないの!?」

アカリが椅子から腰を上げながら文句を言い放ってきた。


「ちょっと言い方間違えただけじゃねーか!」

俺もアカリに応戦する。


「ちょっとどころじゃないのよ。アンタの言い間違いは!」

アカリが引き下がらずにまくし立ててくる。

そのやり取りがおかしかったのか清水さんや高宮が少し笑っていた。

遠藤は若干引いているようだが……。


「日頃、使う言葉じゃねーから仕方ねーだろ……」

アカリの剣幕の前に俺は少しだけ折れた。


「んでさ。ミカトンドリアって細胞にあるみたいだけど、コイツ結局、何なの?」

そう。何なんだ?

このちっさい楕円形の中にうねうねしたものが入った奴は?


「だからミトコンドリア!」

アカリの勢いが止まらない。

そして俺の間違い? も止まらない。


俺達の言い争いにたまりかねたのだろう。

高宮が苦笑しながら割って入って説明を始めた。

「あのね。鬼塚君。ミトコンドリアというのは植物と動物の細胞のどちらにもあって、最終的には私たちが活動する為のエネルギーを作り出す働きをしてるの。

もう少し細かく言うと

このミトコンドリアが酸素を使って糖を分解して、

エネルギーの元であるATPを生産するの。

そしてこのATPがADPに分解される時にエネルギーが放出されて、

このエネルギーによって私たちは身体を動かす為の筋肉だったり、

熱を発生させたりしている。そういうものなの」

高宮は生物が得意なようだ。

ノートにこんな絵を描いてくれた。

確か先生も授業で描いてた気がする。



糖 → "ミトコンドリア" → 水

酸素     ↓       二酸化炭素  

     → ATP →

     ↑   ↓ 

     ↑   ↓→→エネルギー(筋肉を動かす、熱を発生させる)

     ← ADP ←



「へー。じゃ。このミトコンドリアが無かったら俺達は体を動かす為のエネルギーが作れないんだ」

俺は高宮の説明に素直に感心した。


「うん。そうなっちゃう。そういう病気もあるし」

ふーん。体の中のエネルギーを作るか……。


「あれ? 物理だとさ。エネルギーが変化して、

位置エネルギーが運動エネルギーになったりするだろ。

じゃ生物はミトコンドリアを介して

糖とかをエネルギーに変化させてるってこと?」

この前、ジ○リの物理でやったとこだ。

落下することでエネルギーの質が変わり、

位置エネルギーが運動エネルギーに変わったりする。


「そうです。分類としては化学エネルギーになります」

高宮が答える。

……。そうなんだ。

俺は割と物理の方が得意な方だから

物理と関連付けると覚えやすい。


……。これは高宮に感謝だな。


「でも確か。ミトコンドリアって人間とは別の生き物なんじゃ?」

遠藤が尋ねてきた。

確か生物の授業でもそんなこと聞いたような……。

身体の中に別の生き物いるのかよ、と思い

少々気持ち悪くなったこともあって

そこは何となく覚えてる。


「はい。共生説という説があって、

元は別の生き物だったんじゃって言われています」

今度は清水さんが説明する


「ある時を境に、人間と共生するようになったという説です。

この説には三つの根拠がありまして……」

元々は別の生き物だったのね。


「一つ目はミトコンドリアは二重の膜をもっていて、その性質が違うんです」

ほぅほぅ。


「それで内側の膜は人間というより細菌に近い性質なんです」

ふーん。人間より細菌に近いのか……。となるとやっぱり元は別の生き物ってことに……。


「それで二つ目は……」


「ミトコンドリアは人間の細胞の核にあるDNAとは

異なったDNAを持っていることです」

DNAって確か、生き物の設計図だったよな。

それが違うんだから別の生き物なんだろうな。


「最後に三つめは……」


「ミトコンドリアの細胞は独自に分裂し増殖するんです」


「共生説とさっきの三つの根拠はテストに出るわよ」

清水さんが説明を終えたところで

すかさずアカリがフォローを入れた。


「でも"共生"では無くて、"

寄生"だったとしたらと仮定した面白い小説もありますよ」

珍しく高宮が乗り出してきた。

うん? 寄生って何それ?


「……。"パラサイト・イヴ"」

高宮の視線に耐えかねたように

遠藤が呟いた。


「はい。そうです。その小説はミトコンドリアが重要な役割をしてるんです」

高宮が遠藤に対してにこやかな笑顔で答える。

しかし、遠藤は何故か苦笑いといった表情だ。


「その……役割って何なの?」

俺は高宮に聞いてみた。


「共生ではなくて、人間に寄生していたとして、

ミトコンドリアが逆に人間を支配しはじめようとする

というのが役割です。あくまでこのお話の中での……ですが」

うげ。何だと。支配してくるの。

このうねうねが人間を。


「あーなるほど。そうなんですね。だからparasite(パラサイト)なんですね」

清水さんがノートに"parasite"という英単語と"寄生"という日本語を書く。

パラサイトって英語なんだ。

そりゃそうか。

しかし清水さん。よくこんな難しい単語知ってるな……。


「このうねうねが寄生してて支配してくるのかよ……」

俺は思いついたことをそのまま口に出した。


「面白いですけど、あくまで小説上の話ですよ」

高宮が笑いながら答えた。


「でも共生じゃなくて本当に寄生かもしれないだろ……」

遠藤が青ざめた表情で皆に話しかけた。

遠藤が言ってたことが本当だとすると

俺達の体はこのうねうねしたものに身体を支配されて……。

ウゲ……。

考えただけで気持ちわりぃ。


「そんなワケないでしょ!! バッカじゃない」

アカリが切り替えてきた。


「それよりタイトルにあるイヴはどういう意味なのかしら?」

今度はアカリが話題を変える。

何か意図して変えた気はする。


「イヴは"eve"で、アダムとイヴの"イヴ"ですね。

これはちょっと話のネタバレになっちゃうんであまり言えないんです

けど、少しだけヒントを言うと

ミトコンドリアは母親からしか遺伝しないんです。

だからアダムじゃなくてイヴって言葉を使ってるんです」

そういって今度は高宮がノートに"eve"とかいた。


「えーと。アダムとイヴの"イヴ"なのこれ?」


「そうです。授業では出ませんけどね。こういう部分は……」

高宮は少し寂しそうだった。

どうも生物の授業は眠くなってて聞いてない部分があるんだが。

ミトコンドリアが母親からしか遺伝しないっていうのは

テストとかではどうでもいいことなんだろうな……。

手元の生物の教科書にも載ってないことを確認する。


「そういえばカズ。DNAぐらいは知ってるでしょ?」

アカリが俺に問い詰めてきた。


「それぐらい知ってるよ。確か生き物の設計図で……。

4つの塩基の組み合わせだっけ?

えーと。A(アデニン)、T(チミン)、G(グアニン)、C(シトシン)

それと何だっけ。それで恐竜を蘇らせたりするやつ」

さっき読んだ教科書で軽く頭に入っていた内容と

DNAを題材にした有名な映画を口にする。


「"ジェラシック・パーク"だね」

遠藤が喜々として付け加えた。


「……。アンタ達ねー。知識が偏ってるのよ」

俺と遠藤のやり取りを見て

アカリがため息混じりに答えた。


「そろそろ昼休みも終わるし、教室へ戻りましょうか」

アカリが時計を見ながら勉強会を切り上げるように促した。



教室へ戻る廊下で遠藤が話しかけてきた。


「鬼塚さ……」


「何だ?」


「その。高宮さん。"パラサイト・イヴ"の映画楽しみにしてて

いっしょに行こうって言われてて……」

その言葉が映画館でイチャイチャしている

遠藤と高宮を頭に思い浮かばせた。


「ふーん。いいんじゃないの?」

ちょっと。いや。かなり。うらやましくて腹が立つ。


「鬼塚さ。あれ。"パラサイト・イヴ"って……。

SFっていうか……。

あの……。

"ホラー映画"なんだよ……」

遠藤が少し遠慮気味に言葉を紡ぐ。

俺の不機嫌を遠藤は察したのかもしれない。


「ふーん。二人で行って見てくりゃいんじゃね」

映画館でイチャコラしてろ!

俺はそっけなく答えて遠藤から離れた。


「いや。その出来れば……」

何か遠藤は言いかけていた

……が俺は無視した。

しかし俺は確認していなかった。

遠藤が青白い顔をしてうつむいていたことを……。


///////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////

パラサイト・イブ…瀬奈秀明原作のSFホラー小説又はそれを元にした映画(1997年公開)人類に対するミトコンドリアの反乱を描く

ジェラシック・パーク…マイクル・クライトン原作の小説又はそれを元にした映画(1993年公開)琥珀に閉じ込められた蚊が吸った恐竜の血からDNAを抽出し、現代に恐竜を蘇らせる

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る