第5話 テニスコート脇にて

1996年5月12日(日)


今日は知り合いのテニス部男子、丹波の頼みで

日曜ながら学校に来ていた。


「悪いな。カズ。休みに呼び出しちまって」

丹波とは中学が同じだ。

仲もそこそこ良かった。

だから丹波は俺をカズと呼ぶ。


「終わったら"アクエリ"奢れよ」

しっかり報酬を要求しておく。


遠藤の時と同じだ。

遠藤からの依頼は頭を使うからメンドクサイ。


丹波から頼まれた仕事の方が性に合っていた。

身体動かす方が向いてんだよな。俺は。


「それぐらいで済むなら安いもんよ」


「とりあえず。ま。始めようか」


依頼された仕事は、テニスコート脇の側溝に網を取り付ける仕事、その手伝い。


6月には周辺の田んぼに水を引き入れる。それで側溝の水量は格段に上がる。

そうすると側溝に落ちてしまったテニスボールは、

人の手の届かない大きな川まで、直ぐに流され、拾えなくなってしまう。

それを防ぐ網をこれから取り付けるのだ。


最初、協力を頼まれた時に俺は

「他のテニス部の1年男子とやればいんじゃね」

と丹波に当たり前のように答えた。


「駄目だ。あいつら。泥で汚れんのが嫌なんだろう。

側溝に落ちたボールは拾いもしねぇから」


「そんなことしたら。部費が足りなくならねぇか?」

テニスボールが側溝に落ちたぐらいで捨ててしまうことを選べば

ボールを買い増ししなければならない。


「そうだろうな。けどやらねぇんだよ。俺にばっかさせやがる。

それで2,3年も1年全員に網付けるように言ってはいるけど

俺にばっかり言うんだよ」


一応去年までは網が取り付けてあったらしい。

ただし当時の1年、要するに今の3年生がお手製で付けたもので

どうも壊れてしまったようだ。


しかしまぁ。丹波一人に任せるとは……

「いじめじゃねーか。それ」


「まぁこれ付ける代わりに次の練習試合、出させてもらうけど」

何やら裏取引があったようだ。


「テニス部女子へのアピールにもなるし。可愛い子いるからな」

遠藤と似たような奴もいたものだ。

まぁ。俺も大して変わらんか。


「そら。軍手。まぁ割れたガラスなんて無いと思うけど、

手切っちゃうとまずいからな」


「サンキュ」

丹波から軍手を受け取り、手にはめる。


「まずは取り付けるところを掃除しようか」

網を取り付けるところは側溝の升付近と決まっている。

ただし側溝内に泥がたまっており、しっかり取り付けれそうにない。

まずは泥を取り除くところからだ。


「了解」

小さめのスコップで升近くの側溝の泥だかゴミだかをすくい上げて、

升から遠くの側溝に戻す。


作業を進めながら、丹波に尋ねる。

「そういや。なんでまた俺を誘ったんだ」


「お前なら手伝ってくれるそうだったからな」


「テニスボール拾ってくれる奴は他にもまぁまぁいるんだよ。

でも側溝に落ちてるのを拾ろうのはお前ぐらいだからよ」


なるほど、と思う。


「そういや。そんなこともしたな」

確かに俺は側溝に落ちたボールも拾っていた。

見つければ.……だけど。

泥が付いたままのボールを投げ入れるのは

気が引けて、軽く払ってから入れてたっけ。


確かあのとき受け取った中に

あのミサキちゃんもいて、頭を下げていた気がする。


思えばこの仕事、引き受けたのも

あの子の為にもなるよな。



そんな想いもあったからだ。



「あらかた掃除できたな。網のサイズ合わせて切るか」

俺は網を取り、側溝に合わせ、マジックで切るところをマーキングする。


「それで、テニス部の可愛い子って誰だよ」

網を側溝に合わせるよう固定しながら、丹波に聞いてみる。


「1年だとアカリとミサキかな。っとこんなもんかな。

いやこれだとちょっと切り過ぎか」

網にマーキングしながら丹波が答える。

しかし別の意味でマークされちゃってるな。ミサキちゃん。

丹波やテニス部男子に狙われて欲しくは無かったんだけどな……。


「後からサイズ合わせられるように。ある程度残した方がいいぞ。

ていうかアカリはまずいだろ」

アカリは俺達と同じ中学出身だ。だからよく知っている。


「そうだな。でも口の悪さと性格を除けば一番だぞ。あれ」

その口の悪さと性格が大問題なんだよ。あれは。


マーキングを終えた網を側溝から外し、マークに合わせて切っていく。

「性格きつめだけどさ。何かMの気持ちわかるわ。

あれは。罵られたいと思っちまう」

「男子で引っ叩かれた奴もいるけどな」

俺も中学の時、引っ叩かれたな。そういや。

けどあいつは理由が無きゃ引っ叩かない奴でもある。

何かやったんじゃないか?

ちょっといぶかしんだ。


「お前らなんかやったんじゃねぇの?」


「……。なんもしてねぇよ」

丹波はそう言いながら、俺の視線を外す。

……。何かやった気がする。


しかし。丹波君。君。Mだったの?

この作業もあなたMだからしてんじゃない?

……。俺は違うからな。

"アクエリ"と"ミサキちゃん"の為だからな。


「とりあえずアカリは止めとけ。罵られるだけで済まないぞ。

精神つぶされるぞ。あれは」


切り終わった網と側溝を合わせてみる。

すこしだけ網が大きい。もう少し切り落とした方がいい。

再度マーキングする。


「分かってるけど。イイ女なんだよな」

懲りん奴だ。

心底Mで、踏みつけられたいのかもしれん。


「ミサキって子はどうなのよ」

丹波からミサキちゃんの情報をを聞き出したい。

そういう意図を含めた質問。

もう付き合っている人とかいるんだろうか?


「おう。アカリとは違った感じのおとなしめな子だな」

アカリと比べれば誰でもそうだと思う。


「間違いなく処女だな」

なんか丹波のやつがうっとりとしてる。

うーん。

中学の時も流行ってたけど。

女の子が処女であるかどうかを男だけで話し合う会議。


『あの子は間違いなく処女だろ』

『いや。やってんだろ。遊んでんだろ』

そんな言葉が行き交う会話。


そんな会話しょーもない気するから

始まったら適当に退散してたけど。

何でか知らんが、流行るんだよなー。

処女であるかどうかってそんなに大事なのかね。


「別に処女とかどうでもよくねーか?」

網を切りながら、率直に聞いてみた。


「おいおい。嫌だろう。他の男のあれが入ってたんだぜ」

そういうもんかね?

処女にこだわる奴らって一定数いるにはいるけど。

なんだか処女じゃなくなることを、

他の男にマーキングされるって意味で捉えてそうだ。

犬猫が電信柱にするあれと変わらん認識じゃねーの?


「なんだよ。カズは"ヤリマン"好きか?」

そういうわけでも無い。

ところ構わず、誰とでもセックスすることには流石に嫌悪感がある。

それにいろいろリスキーだと思う。

妊娠だとか……。

もしそれがバレたら、停学とか退学とか。


「流石に、誰とでもやるのは嫌だな」


「そうだろ。だったら処女だろ」

うーん。なんか話が飛躍し過ぎてる。

”処女”か”ヤリマン”だけしかいない世界でも無かろうにここは。

丹波の女性観はどうにも歪んでるとしか思えなかった。

部の為に日曜出勤するぐらいだから決して、悪い奴では無いのだが……。


「そういやミサキはこの側溝に落ちたボールまで取りに来てたな」

再度、丹波は側溝に網を合わせて取り付けにかかる。


彼女だったらそういこともしそうだ。

アカリはしなさそうだけど。


「へー」


「アカリは怒ってたけど。"こういうのは男の仕事でしょっ"て」

……。やっばりだった。


「あいつなら言い出しかねんな」

男女平等どこいったって話だな。


「ミサキって子の苗字って分かるか?」

”清水”だったらいいなと期待している。


「いやー。苗字なんだったっけ?」

オイ。同じ部活の人間だぞ。


「テニス部人多いしなぁ。ちょっと分かんねーな」

ま。確かに多い。テニスの強豪校なんだよな。ここって。

けど。こいつ。女子の顔とか、身体つきだけしか見てねーんじゃ……。

俺も人の事は言えんのだが。


「コートも違うし。別メニューだし。遠くで眺めてるだけのことが多いからな」

作業を続けながら丹波のイイワケが続く。

でも確かに男女別に練習してたな。

テニス部内でもそこまで接点無いのかもな。


「意外と部活内で接点無いんだな」

俺は感想を漏らす。


「よっぽど陸上の方が女子と接点あるんじゃねーか?」

丹波が問いかけてきた。


「無いわけじゃねーけど。女子も短距離とか跳躍が多いし、そこまで接点ねーよ」

同じ種目であれば接点も多くあるだろうけど。

長距離やってる女子が今年はいない。

テニス部と違って強豪校でも無いし。

人がそもそも少ない。


「そっか。お前。外周よく走ってけど。横に女いたことないもんな」

丹波が側溝に網がピシャリと嵌めながら、イタイことを言う。

……。手伝ってやってるというのに結構な言い草だ。

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