漆黒の海姫2

俺達が泉で出会った黒髪の女性についても、ティグラーブは詳しかった。

彼女の名は、水川舞みずかわまいさん。1週間前に行方不明となった弟を発見するべくティグラーブに目撃情報を求めては、方々を巡っているのだという。

ただ、今回は眩暈を押して捜索に向かったせいで、復路で遭遇した6匹の邪鬼イヴィルオーガ―万全の体調なら勝負にもならない格下相手で、危うく殺されるところだったらしい。

「しかし、世間ってのも狭いモンね。おいどんに泉の欠片の情報よこしたの、こいつなのよ。」

「えっ、そうなの!?」

「ええ。弟の目撃情報くれてやる料金代わり、ってことでね。…もっとも、結果は訊くべきじゃねーようだけど。」

「…そう…思うなら…わざわざ…言わないでほしいな…。」

やたらと豪勢な装飾のベッドに腰掛ける舞さんが、傷心を隠さず文句を垂れた。






ティグラーブの屋敷に来てから1時間と少しが経過し、現在の時刻は午後12時10分。

空き部屋での看護役を引き受けた魅月さんから、舞さんが9割方快復したと知らせを受け、全員で押しかけていた。

「それにしても、何で弟くんの捜索願出さねえのよ?やっぱこっちでも、警察って当てにできねえ感じ?」

「…そういう…わけじゃ…なくてね…。」

舞さんがゆっくりと首を横に振る。

「…魔界の…警察って…もう…ほとんど…いないの…昔…ディザーっていう…やつに…潰されたんだって…。」

「…ディザー、か…。」

独り頭の中で考え事をする暇もなく、話は続く。

「そのディザーを封印したら、今度は自警団でもいれば十分ってくらい平和になったし、どうせ資金やら人材やらもろくにねーしってことで、復活した警察ってのはいねーみたいよ。」

「…ラムバルガ…っていう…街は…今でも…警察が…しっかり…動いてる…らしいけど…街中だけで…手一杯…みたい…。」

「なるほど…それじゃ、自分で捜すしかない訳だな。」

「しかし、目まいなんか患ってて捜しに行くなんて、凄いですね…。」

「…そんなの…当たり前…だって…大事な…弟だから…。」

ごく小さな呆れと最大限の驚嘆を吐露すると、舞さんは頬を染めつつも率直に語った。

「へえ~。弟想いのいいおねーさんだな~、舞ちゃんは。」

「…ふふ…それほどでも…あ…ティグラーブさん…弟の…目撃情報…あったら…聞かせて…くれるかな…?…お金は…その…後払いで…お願い…できたら―」

「…マイ、そのことなんだけどね。」

ティグラーブは、俺達との賭けの話をかいつまんで伝えた。

永世中立を放棄したゆえ、もう来る者を拒まぬ情報提供はできないという事も。

「…そんな…。」

「…けど、ランジン達の仲間になるなら、これからも目撃情報探してやって構わねーわよ。料金なしで、ね。」

「…え…?」

この世の終わりと言わんばかりに血の気を失った舞さんに、ティグラーブはすぐさま取引を持ち掛けた。

「おい、ティグラーブ。勝手に話を…。」

「ああ、こいつが役に立つかって心配なら、いらねーわよ。」

ティグラーブは魄測計で舞さんを撮影すると、俺の手に押し付けて来た。

「…っ!?」

声にならない声をこぼしたきり、硬直した。

「どうした、風じ―」

続いて画面を覗いた兄達も、同様に言葉を失ってしまう。






舞さんの魄力値は、26万と表示されていたのだった。






「…信じられねエ…何て腕前してンだ、アンタ…。」

全員揃って10秒ほど黙り込んだ末、ようやく天城がそれだけを呟けた。

「魔界には封殺者ふうさつしゃっていう、敵の命を奪わず行動の自由だけを殺すって戦い方する流派があるんだけどね。マイの親父がその創始者なモンだから、こいつ随分としごかれてんのよ。」

「…父さんの…修行…きついけど…おかげで…そこそこには…なれた…かな…。」

「こうやって謙遜してやがるけど、もうあとちょっとで父親を超えるだろうって言われてるわ。次代最強の封殺者ってことで、割と有名人よ。」

「…世の中って…ほんと…大げさだね…私…まだまだ…未熟なのに…。」

恐縮しきりな舞さんの魄力を、密かに探ってみた。

確かに平時にも拘わらず、かなりの力を秘めていると感じられる。今の俺達では6人全員で掛かっても、1分と持たずに倒されてしまうだろう。そんな彼女を味方に付ければ心強いのは、言うも更なりだ。

だが、出会ったばかりでまだまだ素性を知らないに等しい相手。行きずりの縁で少しばかり助け合うだけならともかく、長い旅路まで共にして良いものだろうか。

そもそも舞さんにしてみれば、俺達を味方に付けても旨味は少ない。何せカオス=エメラルドを巡る戦いとなれば、命に関わるのだ。弟捜しに協力者が付く程度では、まるで利益が釣り合っていない。

「…どうする?僕達と、手組むか?」

期待や無理強いはしないがと遠慮がちな表情や声音で示唆する兄に、舞さんはすぐさま土下座した。

「…みんなの…カオス=エメラルド探し…手伝います…!…だから…私の弟を…一緒に…捜してください…!!」

「そっかそっか~。いや~、美人に頼まれちゃ、イエスとしか言いようがねえな~。」

「私達の賭けのせいで、御迷惑をお掛けしてしまいましたね…お詫びも込めて、弟君の捜索をお手伝い致します。」

「旅は道連れ世は情け、ッて言うしな。よろしく頼むゼ。」

紅炎さん、魅月さん、そして天城に相次いで快諾され、舞さんは弾かれたように顔を上げた。

口元が緩んでおり、喜んでいるのが如実に窺える。

「…じーっ…。」

ちなみに約一名、言葉で表すのも憚られる面持ちで舞さんの巨大な胸を凝視する女子がいたが、特に誰も触れなかった。

「…本当に、良いんですか?カオス=エメラルド探しになんか、首突っ込んで…。」

災厄の刃クラディースのディザーとかいう奴ともやり合う事になるぞ。最低でも魄力250万はあるらしいけど、それでも一緒に来るか?」

「…大丈夫…ディザーより…強く…なっちゃえば…いいんだもん…元々…封殺者として…ディザーを…ずっと…野放しには…できないって…思ってたし…。」

どこかで聞いたような勇ましい決意を語りながら、舞さんが徐に立ち上がる。

こうして見てみると身長もかなりのもので、年少者や同性はおろか、兄や紅炎さんよりも僅かに背が高かった。

「…それに…助けてもらった…お礼…もっと…ちゃんと…したいしね…。」

いくら長く艶やかな黒髪で両目が隠されていても、話の中身と顔の向きで、自分が真っ直ぐ見詰められているのが嫌でもよく分かってしまう。

邪気を感じさせない微笑みまでおまけされ、思わず視線を外した。

「…やっぱり…会った…ばっかりだから…信用…できない…?」

「あ、いえ、そんな事は…難儀な戦いなんで、手を貸して貰えるなら凄く助かります。」

悲しさや寂しさを伴った声で図星を指され、咄嗟に場を取り繕う。

勿論、兄より上を行く使い手に牙を剥かれたらとの懸念は大きいが、それこそ舞さんより強くなっておけば問題ないと結論付け、彼女を迎え入れる事にした。

「…じゃ、話は決まりか。」

「みたいね。それじゃ、マイ。テメーもしっかり活躍しやがりなさいよ。」

「…もちろん…!…みんな…ありがとう…!」

仲間入りを認められ、舞さんは深々とお辞儀をして来た。

「…改めて…水川舞です…これから…よろしくね…!」

「おっ、ご丁寧にどうも。俺様、陽神紅炎ってんだ~。良かったら、下の名前で気安く呼んでね~。」

「魅月麗奈と申します。宜しくお願い致しますね、舞さん。」

「天城駆ッてモンだ。よろしくな。」

「ボク、雪原氷華っていいます。…みずさんみたいなやらしいカラダじゃないけど、一応女同士だし、仲良くしてくださいね。」

「…え…?…私…そんなに…えっちぃ…身体かな…?」






首を傾げた舞さんはつと、自分で自分の胸を揉み始めた。






頭では脂肪の塊に過ぎないと思っても、量感たっぷりの球体が瑞々しく変形する様は大迫力。






幾人もの男の目がある中で何の気なしに危うい仕草を披露してのける無防備ぶりへの仰天も手伝い、またもや誰もが釘付けにされていた。






「…うーん…胸…大きい…だけだし…別に…えっちく…ないと…思うけど…。」

「…ぐ…っ…!!!!!」

自ら打ち明けたコンプレックスを気遣われるどころか刺激された氷華は、歯を食いしばり、右手を握り締めて、身を震わせる。

それは、舞さんに悪意など露とないゆえぶつけ所のない怒りを自分の内側に封じ込めんとする、孤独な戦いであった。

「…あの。こいつ色々と気にしてるんで、あんまり煽らないでやってください…。」

「…え…?…あ…!ご、ごめんなさい!!その、煽ろうとしたわけじゃなかったんだけど…。」

勢い良く頭を下げ、動転を露わに釈明しようとする舞さんを、兄が無言で制止した。

悪気がなかったにせよ、事実として氷華の精神を痛めつけた張本人が何を言おうと、火に油を注ぐ結果にしかならないとの判断だろう。

「…こっちも名乗っとくぞ。僕は、蒼空嵐刃。こいつは、弟の…。」

「蒼空風刃です。改めてよろしくお願いします、舞さん。」

兄と俺が名を告げると、舞さんは壊れた機械の如く固まった。

「…おい、どうかしたのか?」

「…あ…いや…みんな…変わった…名前で…覚えやすいな…って…。」

「ああ、それか…昨夜、ティグラーブにも同じこと言われたな。」

慎重に言葉を選んだ舞さんの返答に、兄が苦笑した。

「はは。実際このメンツ、おかしな苗字ばっかりだもんな~。」

「蒼空、雪原、陽神ッてのが特にな。…あア、月アネゴのとこもあのややこしい魅ッて字で『魅月』ッてンだから、変わッてるには変わッてるか。」

「あはは、ややこしいですか…自分では他の御宅と重複しない字なので、気に入っているんですけどね…。」

珍名話に花を咲かせる仲間達も、それを間近で傍観していた俺と氷華も。






「…マイ。一応念を押しとくけど、余計な事喋るんじゃねーわよ。」

「…うん…分かってる…。」

すぐ後ろの、まるで声を潜めていなかったティグラーブと舞さんの会話に、気付きはしなかった。

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