漆黒の海姫1

「うわー!キレイなところだね!」

開けた泉を目にするなり、氷華がはしゃぎ出した。

溜まった水は、これ以上ないほどに澄み切っている。面積はかなり広く、雑に見ても直径50メートル程はあるだろうか。水深もかなりの深さで、言わずもがな迂闊に入れば危険である。

しかし何よりもの驚きは、太陽光のはね返りようだった。まともに水面を眺めるのも憚られるばかりの眩さが、周囲を覆う小規模な森にまで届いているのだ。

泉がこうして太陽や月や星の光を派手に反射するゆえ、天候に恵まれる限り昼夜問わず明るい一帯。

そのため湧き水は「白夜の泉」、木々の群れは「沈まずの森」と呼ばれているとティグラーブから聞いたが、言い得て妙だと感じ入るばかりだった。

「カオス=エメラルドの欠片は、こちらにあるとのお話でしたが…。」

「…お。あれじゃねえの~?」

紅炎さんが、右手の人差し指で水底を示した。

つられて見やると、確かに鈍い緑色の光を放つ石ころが沈んでいる。

「あちゃー…思い切り沈んじゃってますね…水の外にあってくれれば、カンタンだったのになぁ…。」

「しょうがねエ、潜るとするか。魄力引き出せば、息も持つだろ。」

「大丈夫だよ、駆君。」

上着を脱ごうとした天城を、兄が止める。

「そんなめんどい事しなくたって、愚弟が風起こして巻き上げれば済むからさ。」

「てめぇでやるって選択肢はねぇのか。」

「めんどいからな。」

「…その内、息するのも面倒臭がってくたばりやがれ。」

「何だと貴様。」

「はい、2人ともストップ!しょうもないケンカしてる場合じゃないでしょ!」

「ヒョウ嬢が言うと、妙な気分だな~…。」

紅炎さんが、苦笑いしながら呟いたところ。






泉の対岸から発砲音と、複数の濁り切った叫びが響いて来た。






「あれ、邪鬼イヴィルオーガの声だよ!」

「ヤロー共、誰か襲ってやがるな!」

「…人間界でも魔界でもふざけた連中だ…すぐに吹っ飛ばしてやる!!」

「こら、風刃!勝手に―」

兄の制止を、耳には入れない。

木刀を握って背中の翼を広げると、水上を一直線に突っ切った。











「…はあっ…はあっ…うっ…。」

6体の邪鬼イヴィルオーガの群れに追われていたのは、非常に長く黒い髪をした若い女性だった。

おぼつかない足取りながらも何とか走っていたが、ふいに力尽き、うつ伏せになってしまう。

そこに、6体の邪鬼イヴィルオーガの群れが追いついた。

肌は桃色、赤色、土気色、黒色、緑色、そして黄色とバラバラだったが、皆一様に血液の如く赤いジャケットと、暗闇の様に真っ黒なパンツを身につけている。

「ねエ、お姉さン。いい加減、素直に話してヨ。大人しく口を割れバ、コっちだっテ別に危害は加えないからサ。」

桃色の邪鬼イヴィルオーガから詰め寄られたものの、黒髪の女性は荒い息を吐き、横たわっているだけだった。

「…何モ言わネえってコとは、オれたちニ話すクラいなら殺サレた方がマシってわケか。」

長身で筋肉質な黄色の邪鬼イヴィルオーガは5秒ほどでそうぼやくと、上着の懐から一丁の拳銃を取り出した。

「だッタら、望ミ通りにしテヤるよ!!」

黄色い邪鬼イヴィルオーガは黒髪の女性の後頭部に狙いを定め、引き金を引いた。

射出された鉛玉は、瞬く間に目標との距離を詰めて行く。











疾風牙しっぷうが!!」






しかし相手は所詮、大した魄力を持たない代物。






俺が軽く木刀を振るって放った風の弾丸1発で、呆気なく粉々になった。






「何…!?」

「誰ダ、オ前!?」

「てめぇらみてぇなクズ共に、名乗ってやる義理はねぇな。」

倒れ込んだ黒髪の女性を背に着地し、木刀の峰を自分の右肩に乗せた格好で嫌味をぶつける。

「てめぇら、何でこの人を追いかけ回してやがる。この人が何かしたのか?それとも、単にいたぶりてぇだけか?」

「ケケ…こいツは、報復っテやつサ。何せこノ女、前にセっかクの人質を―」

「余計なこト喋るナ、ビルク!」

「イてエ!」

黄色い邪鬼イヴィルオーガが、緑色の個体の頭を左手で思い切り小突いた。

「マったく…テメえは口が軽くていけネえ。」

「アだだ…何も叩くコとねえダろ、シクロス…。」

「…人質…てめぇら、誰かさらいやがったのか!」

「フん。名前も名乗ラねえ礼儀知らズのガキに、口を割っテやる義理はネえ。そこノ女と一緒に、地獄に行っテな!!」

黄色い邪鬼イヴィルオーガ―シクロスが、俺の心臓を目掛けて銃を構える。






だが、シクロスは銃撃を実行できなかった。






こちらが至近距離に踏み込み、腹部目掛けて風を宿した木刀を打ち込む方が、遥かに速かったから。






「ガ、っ…グアアアアアーーーーー…!!!!!」






シクロスは紙屑の様に容易く吹き飛び、沈まずの森の外へと消えて行った。






「ゲ…こんなバかナ…!」






「シクロスが、タった一発で…!」






仲間の脱落に、残った5体の邪鬼イヴィルオーガは狼狽するばかり。






「風翔斬!!」






「「「「「ウアアアアアーーーーー…!!!!!」」」」」






隙だらけのところに風の斬撃を見舞うと、あっさりと片は付いた。






「…ふん。霞の奴との修行も、無駄じゃなかったってことか。」

「―それはそれとして、何か反省する事は?」

些少面白くない気分で独り言ち、木刀を腰に差した時、兄が現れた。

余分な言葉がなくとも、腕組みした姿と鋭利な眼光から、俺の単独行動に怒っているのがありありと見て取れる。

「か~、ダメだ~!やっぱ空飛んで行かれたら、間に合いやしねえわ~!」

「あーあ、急いで走って来たのにな…。」

幾らか遅れて、紅炎さんや氷華達も到着した。

「コラ、蒼空よ!仲間ツレを放ったらかしとは、随分なマネしやがるじゃねエか!」

「…悪かったよ。」

拳を鳴らす天城に、すぐさま頭を下げて謝罪した。

良かれと思っての行動だったが、独断専行で仲間達を振り回したのは非難を免れようがなく、また赦されるべきでもない。

邪鬼イヴィルオーガなんかのために二度と死人を出したくねぇって思ったら、また…勝手な事やって、済まなかったな…。」

「風くん…。」

「…まあ…今回は、お前にしちゃよくやったって言っとくよ。」

「…どうも。」

無傷の俺と黒髪の女性を一瞥してから、憤りと安堵が混ざった様な面持ちで視線を外す兄に、ごく短く応じた。






「さて、そこのお姉さん。ちょっと、話聞かせてもらえねえかな?」

寝込んだままの黒髪の女性に、紅炎さんが呼び掛ける。

「待てよ、ダンナ。銃でやられてるかもしれねエし、月アネゴに診てもらおうや。」

「…だい…じょうぶ…どこも…撃たれて…ないよ…。」

黒髪の女性が、緩慢な語り口で告げる。

「…私…めまいが…してて…倒れた…だけだから…。」

体勢を仰向けに変えると、またも息が乱れる。

その顔はさぞや苦悶に歪んでいることだろうが、統率感のあるロングヘアで両目が隠されているため、表情の全貌は分かり辛かった。

後ろ髪もかなりの量で、先端が腰まで届いている。一目で扱いの面倒臭さが窺い知れるが、陽光を受けての艶やかな煌きを見るに、日頃から丁寧に手入れをしているようだ。

身体を包むのは、黒一色のドレス。生地は上等で高級感があるが、無地な上に露出度が低く、一見すると喪服と見紛う。ドレスとの対比で一層美しく思える色白の肌も、顔と首元と両手しか陽の目を浴びていない。

ただしそんな地味な衣装でも、彼女の胸の存在感ばかりは隠しようもなかった。

(…でかい…。)

人の頭を易々と包み込めるまでの大きさに、男女問わず視線を吸い寄せられてしまう。

特に紅炎さんは堂々と楽しむように、氷華に至っては嫉妬や羨望や憎悪や絶望が混在した面持ちで、グラビアアイドルと比較しても何ら遜色ない造形美を凝視していた。

「…あの…木刀…持ってる子…邪鬼イヴィルオーガ…やっつけて…くれて…ありがとう…。」

「あ、いや…お気になさらず。大した事はしてないですから…。」

眩暈に苛まれながらも微笑んだ女性の謝辞に、ひたすら謙遜する。

「…何か…お礼…できれば…いいんだけど…。」

「いえ、本当に結構です。俺達、カオス=エメラルド探しで偶然近くに来てただけなんで。」

「…カオス=エメラルド…?…あなたたち…そこの…欠片…拾いに来たの…?」

「ん、まあな。」

「…なら…ちょうど…よかった…あの欠片…私が…出すね…。」

黒髪の女性が右手を正面へ伸ばし、魄力を解放する。






直後、泉に波紋が立ち、次いで巨大な水柱が上がった。






「どわ~!すげえな~!」

「…お前、水使いなのか。」

黒髪の女性が無言で頷いた頃合で、カオス=エメラルドの欠片が水底から引き摺り出され、俺の足元へ転がって来た。

それを確認した女性が手を下ろすと、水柱もたちまち崩れ、泉へと還って行く。

これまで集めたカオス=エメラルドの欠片を近づけたところ、2つの石は共鳴するように光を増した。

互いを接触させ、合体を完了させる。

「よし、これでまた一歩前進だな。どうも、わざわざありがとうございま―」

「…う…っ…。」

俺が礼を述べ切る前に、黒髪の女性が苦し気に喘いだ。

「わっ!大丈夫ですか、お姉さん!?」

「…ちょっ…と…いや…けっこう…きつい…かも…。」

「魄力を使った反動で、眩暈が悪化してしまったようですね…。」

「全く、もう…自分の体調位、ちゃんと考えろよな…。」

「…ごめん…なさい…。」

勢いで非難を垂れた兄が、ばつが悪そうに右頬を掻いた。

「…なあ、お姉さん。俺ら、ファラームって街に戻らなきゃなんだけど、良かったら送って行こうか?」

「…え…?…すごい…助かる…でも…いいの…?」

「…まあ、しょうがないわな。こんな状況でさよならっていうのも、寝覚め悪いし。」

「こうしてお目に掛かったのも、きっと何かの御縁です。短い道中ですが、御一緒致しますよ。…氷華さん、御協力頂けますか。」

「はい!」

魅月さんと氷華が黒髪の女性の両隣に付き、彼女の身体を支える。

「…何から…何まで…本当に…ありがとう…!」

女性は大人しくも感激が明白な声で、感謝を語った。

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