決断の日2

野次馬の視界に入らぬよう、グラウンドを取り囲むフェンスから幾分離れた箇所に着地した。

「おい、何だよアイツ!」

「知らない…けど、キモチ悪い…。」

男女も学年も問わず密集し、ざわめく集団。それらが見据える砂煙の舞う運動場には、鬼の姿の変異種。

霞が言うところの、邪鬼イヴィルオーガがいた。

体色は全身紫色で、頭頂部には短くも鋭い漆黒の角が生えている。

薄汚い焦げ茶色のジーンズと、黒一色のコンフォートサンダルを履いているのみで、上半身は裸だった。

そんな紫色の邪鬼イヴィルオーガの左手には、首を締め上げられている坊主頭の男子生徒。

滅多な相手なら強引な力押しだけでも沈められそうな位に、体格は良い。

しかし、現実にはそんな男子生徒の方が顔中に痣を刻まれており、肉付きの悪い邪鬼イヴィルオーガは全くの無傷であった。






「おイ、オマえ。本当に緑色の石、見てナイのカ?」

「…そんなもん、見たことない…。」

濁り切った声で問いかける紫色の邪鬼イヴィルオーガに、男子生徒は苦しげに答えた。

「チっ。どいつモコイつも同じことシか言ワネーな。ここにあルのは間違いネーのにヨ。」

「…なんで…その石が…ここにあるとか、わかるんだよ…。」

「フん。お前に言ったっテ、意味ねーヨ。ドうせ、見つけラれヤしネーダろ。」

紫色の邪鬼イヴィルオーガは、右手をジーンズのポケットに突っ込むと、鈍い緑色に輝く石を取り出した。






(カオス=エメラルド…!)

嫌な予感が、的中してしまった。

あの邪鬼イヴィルオーガは、こちらが持つ破片の存在に気づき、接近していたのだ。

「ちっ…!」

「―何するつもり?」

走り出そうとした時、背後から声を掛けられる。

氷華と天城が、追い付いて来ていた。

「使い所は考えろッて、嵐刃サンに散々言われてンだろ?」

釘を刺さなければ、損得勘定さえ忘れて飛び出してしまう。

2人とも、そう予測していた。

「天くんはどうか知らないけど、風くんやボクならあいつをやっつけるくらいどうってことない。…でも、それをやったって変異種がほめてもらえるわけじゃないんだよ。」

「間違いなく、出るだけ損するゼ。…なのに、やるのか?」

声を出して答えはしなかった。

行動を見せれば、それが言葉より勝るから。






「くそ…確かに、光は強くナってルのに…。」

「光が…強く…?」

「ン?…ああ、マだ生きてタんだッけな。」

紫色の邪鬼イヴィルオーガは煩わしそうに呟くと、宝石の破片をポケットに収める。

「モう用はねーンだ。トっとと死にナ。」

淡々と突き出された右手の拳が、男子生徒の鼻先に触れた。

あとは小数点以下の所要時間で、無残な骸が出来上がる。











「ギャアアアアアアアアアアアア!?」






だが、次に絶叫しながら倒れたのは、紫色の邪鬼イヴィルオーガだった。






「グ…!イきなり割って入りヤがッテ!何者ダ、お前!?」

「見て分からねぇか?ここの生徒だよ。」

衆人環視の中でグラウンドに駆け込み、右手から放った風の弾丸が、邪鬼イヴィルオーガの腹部を撃っていた。

「ケっ…ナるホド。コいつを助けに来たってワけだナ。」

身体に付着した砂を払い落としつつ立ち上がった邪鬼イヴィルオーガが、忌まわしそうにぼやく。

「違う。てめぇが目障りだから、追い払いに来ただけだ。不審者に暴れられちゃ、のんびり考え事もできねぇんでな。」

「こノおれヲ、追い払うダと!ナめた口をキきヤがッ…テ!?」

俺の右手に出現したカオス=エメラルドの欠片を視認するや、邪鬼イヴィルオーガの口は回らなくなった。

「こいつが欲しくて、出て来やがったんだろ?…俺を殺せたら、くれてやってもいいぜ。」

「ク…ククク…!ソうか、てメえが持ってタのカ!!」

紫色の邪鬼イヴィルオーガは喜びに打ち震え、幾度も両手で拳を繰り出して来た。






威力の危険な乱れ打ちではあるが、速度が鈍い。






かすられる前に避けるのは、実に容易かった。






「グ、ちクしょう…!」






こちらが一撃も貰わない内に、邪鬼イヴィルオーガの呼吸が乱れ出す。






「…そんなザマじゃ、てめぇに勝ち目はねぇぞ。カオス=エメラルドの欠片をよこして、自首しろ。聞き入れれば、この辺で見逃してやる。」






「…断ル。せッカく手に入れた欠片を手放セるか!」






紫色の邪鬼イヴィルオーガはなおも戦闘を続けようと構えたが、その瞬間に風をまとった右手で心臓部を打つと、動きが止まる。






「…ガ…ッ…。」






小さく呻いたと思うと、すぐさまうつ伏せに沈んだ。






「風くん!」

「蒼空!」

勝利に一息吐いたところ、氷華と天城が現れた。

「何だ、わざわざ追いかけて来たのか?さっさと教室戻らねぇと、遅刻するぞ。」

「そんなことより、魄能…!」

「あンだけ言ったのに…!」

咎めに、思う所はある。

それでも、自分の選択を悔いはしなかった。

「…どうせ、こうするしかなかったさ。こっちの欠片に気付いて、寄って来たんだから。」

「だからって…。」

「まあ、今から何日かサボってりゃマシになるだろ。…お、そうだ。」

失神している紫色の邪鬼イヴィルオーガのポケットを探り、緑色の石を没収した。

「…カオス=エメラルド…。」

「回収するッてことは、決心が付いたのか?」

「いや、そいつはまだ…けど、見つけた分は拾っとく。またこんな騒ぎになられても、たまらねぇしな。」

自分の所有する欠片を取り出して接触させると、2つあった緑色の石は1つに合体し、少し大きくなった。

「さて、後はこいつを警察に突き出して…ぐあっ!」

「風くん!」

喋っている最中に、痛みを覚える。






後ろから小石が飛び掛かり、背に噛み付いたのだった。











「…気持ち悪い…なんなんだよ、お前ら…!」











弱弱しい声に振り返ると、邪鬼イヴィルオーガに掴み上げられていた男子生徒がいた。

双眸には怯えの色が宿っており、身体も小刻みに震えている。

「オイ、コラ!!テメエのために身体張ったヤツに向かって礼も言わねエで石なンざ投げやがるとは、どういう了見だ!!!」

「…なにがオレのためだ…気持ち悪いバケモノ同士で勝手にケンカしてただけだろ…別に助けられちゃいないし…大体、頼んだ覚えもない…。」

「ふざけたこと言ってないで、さっさとあやまりなよ!!」

「…なんで謝らなきゃいけないんだよ…そんな気持ち悪いヤツがいたら、迷惑だろ…。」

天城と氷華が猛然と食って掛かるが、男子生徒は主張を曲げない。

「それにあのバケモノ、そこの水色髪をねらってたんだろ…ならオレがこんな目にあったのも、そいつのせいってこ―」






俯き加減に呟いている最中、天城に顔面を殴りつけられ、男子生徒は後方へ吹き飛んだ。






「いい加減にしやがれ、このボケが!!!その化物にテメエが殺されねエで済んだのは、蒼空が来たからだろうが!!!コイツのおかげで命拾いしといて、よくも―」

男子生徒の首を締め上げて怒号を発する天城の右肩に、そっと手を置いた。

「ン?どうした、蒼空?」

「…もう、いい…。」

力なく首を振り、ただそれだけを告げた。

「あア…?」

「もういい、って…?」

呆気に取られる天城と氷華を尻目に、男子生徒へ呼び掛ける。

「おい、ハゲ頭…。」

「…っ…なんだよ…。」

仰向けになっていた男子生徒は急いで身を起こし、左頬を押さえたままで少しずつ後退りを始めた。

「確かに、お前がそんな目に遭ったのは俺のせいだよ…あいつは、俺を狙って来たんだからな…。」

男子生徒は、一言も発さない。

「それに俺、単に気に障ったからあいつを吹っ飛ばしただけで、お前を助けるつもりなんか毛頭なかったからな…お前の言う通り、気持ち悪い化物同士で勝手に喧嘩しただけだ…。」

「…わかってるなら、さっさと―」

「だけどな…。」

消えろと言おうとしていた男子生徒に、乱暴な音を立てて詰め寄る。

「俺のせいで襲われたにしても、お前に投げつけられた石は痛かったからな…その分はきっちり返させてもらうぞ…!」

男子生徒はほんの一瞬硬直したかと思うと、次の瞬間には弾かれたように背を向け、逃げ出した。






もっとも、こちらは風使い。






相手の眼前へ瞬時に移動し、その腹部に蹴りを入れるのは、造作も無かった。






「が…ああ…!!!」






風を付与した蹴りを直撃で受けた男子生徒は、患部を押さえて倒れ込む。






「…お前には重すぎたかもしれねぇが、さっきの石の分だ…文句があるなら、いつか返しに来な…。」






苦しみ悶える男子生徒を視界に入れぬまま、言い残す。






「…行く所ができちまったから、いつか、な…。」






運動場を後にすると、氷華と天城も付いて来た。











「うわっ、バケモノ!!」

「近寄るんじゃねーよ!こっちまでバケモノになっちまうだろうが!」

「あんた、あの鬼みたいなヤツの仲間でしょ!」

「どっかに消えろ! マジで気持ち悪いんだよ!!」

邪鬼イヴィルオーガを打ちのめした我が身を迎えるのは、群衆からの雑言の嵐。

「樹王山の死人も、あんたがやったんでしょ!」

「この人殺し!」

「こいつら…何が人殺しだよ!!風くんは―」

言い返そうとした氷華を、無言で制した。

持論を強固に信じる連中には、如何なる反証も効果を成さない。

何よりも魄能を披露してしまった以上、樹王山の通り魔事件に関しては潔白と伝わったところで、全て手遅れだ。

「蒼空…さッき、行くところができたッて言ったな…。」

「…ああ…考えが甘かった…何日か雲隠れした位で、収まる騒ぎじゃねぇな…。」

野次馬達を無視して話しかけてきた天城に、半ば独り言のような返事をした。

「…それじゃ…。」

「…当分サボる。こうなったらもう、迷う理由はねぇ…。」






その場で勢いよく地を蹴り、翼を広げる。






「風くん!」






「蒼空!」






「うわっ、羽が!?」






「あいつ、空まで飛べんのかよ…!?」






「やっぱ、変異種ってバケモノなんだな…。」






「本当に、人間じゃないんだ…。」











氷華と天城の叫びにも、野次馬の嫌悪や恐怖の悲鳴にも構わず堂々と空を飛び、学び舎を後にした。

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