刃と炎と雪の華

紅炎愛用の赤い車に揺られ、樹王山に辿り着いたのは、14時15分だった。

やはり昨日の事件の影響は色濃い。日頃は賑わう縁日紛いの出店や登山客はおろか、人の気配そのものが感じられず、不気味さすらある。

「ああ、良かった。まだ登れそうだぞ。」

一方、土木作業員の類も全く見当たらなければ、登山口の封鎖もされていなかった。

通り魔騒ぎのあった現場としては呑気に映る状況だが、山内の物色が目当ての身としては有難い。

「…今んとこ、これから山をどうこうする的な話題も出てねえな。」

スマートフォンを取り出し、ニュースサイトや白砂町のホームページを一通り閲覧した紅炎が報告する。

「けど、この先は分かんねえからね。ボヤボヤしてたらやべえぜ~。」

「だな。早いとこ登ろう。」

「ああ…ん?」

ふいに風刃が、何かに気付く。

「どうした?…あっ。」

その視線を追うと、登山口の間近に至り、ただ1人だけ人間が佇んでいるのを認めた。

「ん~?あれは…野朗かお嬢さんか、ちょっと分かんねえな~…けど、なかなか美形じゃねえのよ~。」

紅炎が性別の判断に迷う通り、中性的ではあるが、顔立ちは綺麗な部類に入る。

身長は風刃と同程度で、ショートヘアにしている毛髪の色は、僕や弟よりも些少濃い水色。

紺色のパーカーとショートパンツを着用しており、靴はごく淡い桃色のランニングシューズと、非常に動きやすい服装をしていた。






「氷華!」






「あっ、風くん!嵐兄さんも!」






風刃が呼びかけると、氷華君は僕達に振り向いた。






「え?氷華、って…もしかして?」

「ああ。弟の友達の、氷華君だ。」

「へえ~、この娘か~。」

「風くん、何で外に出てるのさ!寝てなきゃダメじゃない!…ボクのせいで体調悪くしたんだし…。」

紅炎からの注目に構わず、遊び惚けた子供を前にした様に、風刃へ小言をぶつける。

ただ、相手の体調不良の原因が自らにあると心得ているだけに、弱気も垣間見えた。

「もう治ったんだ。これ以上寝る必要もねぇだろ。」

「へぇ、そうなんだ…ん?…あれ!?」

氷華君は目を丸くした。

「…風くん…左腕も、治ってない…?」

「治ったぞ。」

即答した風刃は、つい昨晩まで青あざのあった箇所を、右手で幾度も叩く。

「樹王の実が効いたのかどうか、知らねぇけど…とにかく、もう全然痛まねぇんだ。」

表情は至って平然としており、完治していると信じるには十二分だ。

「…ウソでしょ…?そんなことって…。」

だが、氷華君は素直に受け入れられず、両手をかつての患部に触れさせると、圧迫するように握り締めた。

「わー、触んじゃねぇ!くすぐってぇだろうが!」

「うわっ!」

風刃が反射的に大きく腕を振ると、氷華君はよろめき、尻餅を突く。

「いたた…もう!危ないじゃんか!」

「お前がベタベタくっ付いて来るのが悪いんだろ!」

「何さ、人を害虫みたいにあつかって!…いしてたのに…。」

憤慨しながら立ち上がると、氷華君は臀部に付着した砂埃を払いつつ、ぼやいた。

「…何か言ったか?」

「別に、何も…。」

聴き取れなかった風刃は繰り返しを求めたが、機嫌を損ねた氷華君はそっぽを向いて黙秘する。

「…あ。ところで、どうしてみんなここに来たの?何か、探し物でもするのかな?」

しかし3秒もしない内に再び視線をこちらに合わせ、問うた。

「まあ、そんなとこだ。」

「氷華君。ここで暴れた連中の話は、弟から聞いただろ?」

「ああ、はい。」

「そいつらが探してた物っていうのが、段々気になって来たんでね。」

全て仮定の域を出ないが、願い事を叶えてくれる何かが樹王山にあるかもしれないため、空振りを覚悟の上で訪問したのだと、解説した。






「なるほど…あ。ところで、そっちのお兄さんは?」

「ああ、僕の友達だよ。小学校の頃から付き合いあってね。」

「そう言えばお前、会った事なかったな。この人、何度か話した、先輩の紅炎さん。」

「ああ、この人が!」

「あらま。氷華ちゃんも俺様のこと、聞いてたんだ?」

「…もしかして、紅炎さんも?」

お互いに自分の噂が相手に届いていたと知り、どちらも照れ臭そうになる。

「何か…気まずいな~。初対面なのに、色々聞いてる者同士ってのも…。」

「ですね…ところで紅炎さんは、ボクのこと、どういう風に聞いてます?」

「ああ。顔も可愛いし性格も良い娘だって、しょっちゅう聞いたわ~。」

「…2人して、お世辞でも言ってました?」

耳まで真っ赤となり、丁寧語で疑念をぶつける氷華君に、僕も風刃も涼しい顔で首を横に振っておいた。

「ちなみに氷華ちゃんは、俺様のこと、どういう風に…?」

「えっと…軽そうにしてるけど、本当はすごく頭が回る人だって。」

「おやおや~。嬉しいこと言ってくれるじゃねえのよ~!」

後輩とは真逆に、紅炎は喜色満面ではしゃいでいる。

他人からの称賛に恐縮や謙遜をしないばかりか、全面的に浮かれるのも、陽気で剽軽な彼には似合いの反応だった。






「せっかく直接顔合わせたことだし、きっちり名乗っとこうか。俺様、嵐刃の昔馴染みで、陽神紅炎ってんだ。さっきみたく、下の名前で気安く呼んでくれていいからね~。」

「ああ、どうも。ボク、雪原氷華といいます。風くん…風刃くんと、昔から仲良くさせてもらってます。よろしくお願いしますね、紅炎さん!」

「おうよ~!こっちこそ、よろしくな~!」

明朗快活と、元気溌剌。

性質の近い者同士にして、僕達兄弟の親友同士が、今ここに、直接繋がった。

「…それにしてもフウ坊、『風くん』なんて呼ばれてたんだな~。」

「…最初に名乗ってから、ずっとね。親しみがあって、呼びやすいらしいんです。」

「ほう。そりゃ初耳だ。」

特に由縁らしいものもないと踏んでいたが、存外妙味のある愛称であったのだと、感心する。

「…風くん。今、『フウ坊』って呼ばれてた?」

「…ああ。」

「はは。紅炎が男にあだ名付けると、大体こういうネーミングになるんだよ。」

「女子だったら、また変わるんだけどね~。例えば、氷華ちゃんなら…ヒョウ嬢、かな。」

「ヒョウ嬢…何か、顔の表情みたいですね。」

「ありゃ、御不満かな?だったら止めとくけど。」

「あはは。別に、全然イヤじゃないですよ。」

屈託なく笑う氷華君に、なら良かったわと紅炎も安堵した。

「そうだ、ヒョウ嬢。何なら、俺様のこともあだ名で呼んじまってよ。」

「あ、いいんですか?じゃ…紅さん、とか!」

「はは、いいぜ~。名前の一文字取って敬称付けてあだ名ってのが、自分に来るとは思わなかったけど…。」

「2人とも、ネーミングセンスは同レベルなんだな。」

「ぐはっ。」

「う…なんか、芸がないって言われたみたいで、ショック…。」

紅炎と氷華君を見詰める風刃は一切口を開かないが、白けた目付きからはその通りだと思うがと聴こえて来るようだった。
















「そう言えばお前こそ、何でこんな所に来たんだ?」

「いや、昨日あんな話聞いたから、山がどうなってるかなって気になってさ。…まあ、見に来たからって、何かできたわけじゃないけど…。」

登山口を通過してすぐ、氷華君が明かす。

「え、見に来たって…もしかして、歩きで?」

「ああ、はい。」

「あらま~。車もなしにこんな山まで来たのか~。もしかしてヒョウ嬢って、この近くに住んでんの?」

「あ、いえ。住んでるのは、海園中学校の近くです。」

「うおお…じゃ思い切り、ここから離れまくりじゃねえのよ…よくもまあ、歩いて来たもんだな~。」

「そうすれば運動になるかなって思ったんで…えへへ。でもホントなら、ここまで走ってきたほうが、もっとよかったんでしょうけどね。」

快活で運動好きな氷華君だが、体格は筋肉質ではなく、むしろ華奢。ゆえに持久力の程も、平均的な部類に入っている。

相当の物好きでなければ最低でも自転車は使用すると言われる距離を我が身一つで走り抜けるのは、流石に無理があると判断したようだ。

「は~。運動熱心だね~。」

「いやぁ…熱心ってほどでもないとは思いますけどね。単に、カラダ動かすのが楽しいってだけですから!」

「はは、頼もしいね。どこぞの根性無しみたく、この山くらいでへばったりしなさそうだ。」






何時の間にか先頭を行っていた弟から烈風が送られて来たが、身体を左側に傾け、無傷を維持した。

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