蒼空の双刃と紅の炎

「あらま。そりゃ災難だったな~。」

「まったくだよ。せっかく苦労して採って来たのにさ。」

「ん?いや、どっちかっつーと、フウ坊の方が災難だったんでねえの?鬼みてえな変異種とやらには因縁売られ、失敗料理で体調崩して、挙句にマズイばっかの役立たずな木の実でブッ倒れて…。」

「…それはまあ、日頃の行いだろ。」

「こらこら…本人聞いたら、絶対キレるぜ~。」

「はは、だろうね。」

4月16日の日曜日、13時30分。

昔馴染みにして大の親友でもある陽神紅炎ひのかみこうえんと、昼食を取ったついでに我が家で駄弁っていた。






その最も大きな話題はやはり、風刃について。

樹王の実を食して異形とおさらばできるかと期待されたが、結局深夜1時頃まで観察していても、然したる変化は起こらなかった。

寝込んでから半日以上経つが無事に起き上がって来るのかと危ぶまれる半面、復活すれば深い失望を拭えまいと思うと、それもそれで気が重い。

「それにしても、残念なもんだな~。」

「ああ。樹王の実こそ、当たりだと思ったんだけどな…。」

紅炎の両手に焦点を当てながら、相槌を打った。

派手な真紅の長髪と端正な顔立ちが目を引く紅炎は、冬を過ぎても耐火性の手袋をしている。






何せ彼には、炎を操る力が備わっているから。






しかもその能力は高校生時代に暴走し、周囲の人間を火傷させた前科がある。






再発防止の為に不可避とは言え水の近くでなければ安心して素手を出せず難儀だとこぼす紅炎にとっても、樹王の実の話が虚偽だったのは無念であろう。






「いや、それもそうだけど…久々にお邪魔したことだし、フウ坊の顔も拝んどきたかったんだわ。」

そんな僕の推測は、全くの的外れでもないが文句無しの的中とはならなかった。

「ああ。そう言えばお前、最近風刃とあんまり会ってないっけ。」

「そうそう。いい加減挨拶の一つくらいしとかねえと、忘れられんじゃねえかと不安でね~。」

僕を縁として繋がった紅炎と風刃は、良好な関係にある。

特に紅炎の方は、実妹よりも風刃が家族に欲しかったとまでこぼした程だ。

「それはないだろ。小さい頃から顔つき合わせて来てるんだしさ。」

「でもさ~。前に本人が言ってたんだけど、クラスの女子の顔と名前が一致しねえらしくてね~。」

「…は?」

「例の、えっと…氷華ちゃんだっけ?その娘くらいしか分かんなくて、他の女子はよく知らねえんだって。」

思わぬ報告に絶句し、右手で頭を押さえた。

「…ゲームばっかりやってるから、その内おかしなことになるんじゃないかとは思ってたけど…何で当たってほしくない予感に限って、当たるんだろうな。」

「あっはっは!まあまあ、人生なんかそういうもんだって~!」

僕の左肩を叩きながら、紅炎は笑っていた。

「それにしても、あのフウ坊が仲良くやってる女子って、何気に凄えよな~。その氷華ちゃんって、相当良い娘なんでねえの?」

「ああ、素直で飾り気ないし、凄い良い娘だよ。あんな弟と仲良くしてくれてるもんだから、感謝しかないわ。」

「はは。もしかしたら将来、本人が絶対ねえって言ってた展開も起きたりしてな~。」

「そこは…どうだろう。仲は本当にすごく良いけど、そういうつもりかどうかは、はっきりしないんだよな。2人とも、相手をどう思ってるとか話して来ないし。」

「話して来ねえって、何でお前から訊かねえのよ?」

「めんどいもん。」

「…あんまり似てねえなとか思ってたけど、ある種似た者兄弟だったな、お前ら。」






「…誰と誰が、似た者兄弟なんですか?」






苦笑いを浮かべた紅炎に、不服そうな問いかけが響く。

「ありゃ、フウ坊!」

「風刃!」

声のした台所を振り向くと、黒一色の寝間着に身を包んだ風刃がいた。

「紅炎さん、お久し振りです。お変わりないですか?」

「おうよ~。この通り、めちゃくちゃ元気でやってるぜ~!」

風刃から少し弱弱しく語り掛けられ、紅炎が嬉しそうに反応した。

「お前、起き上がって大丈夫なのか?」

「まあ、一応な。少しだけ頭は痛むけど。」

「なら寝てろよ!何でわざわざ起きて来るんだ!」

「目が覚めたもんはしょうがねぇだろ。大体、こんな賑やかなとこで呑気にグースカ寝られるのなんか、どっかの天才兄上様くらいのもんだぜ。」

「てめえ。減らず口だけは上等だな、本当に…。」

起床早々に流暢な嫌味を連発するのには立腹したが、一方では安堵もあった。これだけの口が叩けるのは、十分に元気な証だ。

後は青あざを刻まれた左腕が治れば、完全に―






「…ん?」





一通り弟を観察して、引っ掛かった。






左腕に着けていた包帯や絆創膏が、取り払われている。






だが、晒された素肌には、何の傷痕も残っていない。






「…お前…左腕、治ったのか?」

「…ああ。そうらしい。」

信じ難い想いで訊ねた僕に、弟は淡々と返す。

「え、フウ坊?治ったのって、いつ頃なん?」

「いや、起きた時にはもう、触っても痛まなくなってたもんで…厳密にいつ頃治ったかは、分からないですね。」

「あらま。…もしかして、樹王の実のお陰かね?」

紅炎に答えず、黙考していた。

風刃の怪我は、なかなか酷い有様だった。絆創膏を貼り付けて一晩寝込んだだけで消え失せるなど、『普通』の回復速度ではない。

それが現実となった以上は紅炎と同じ仮説が浮かぶが、にわかには信じ難かった。






「…けど、普通の人間には戻れなかったな。」

「…悪い。兄ちゃんのせいだ。」

言葉少なに失態を認め、詫びを入れる。

茶菓子を横取りしたといった話なら誤魔化して終わらせても良かったが、変異種にとって最も重要な問題で失敗を犯したのでは、弁解などする訳にはいかない。

「ん?何であんたのせいになるんだ?」

ところが風刃は、僕を糾弾しなかった。

翼さえ隠せば凡庸な人間を装えるこちらとは勝手が違うゆえ、念願が叶わなかった怒りをより強く抱えているはずなのに。

「いや、そりゃ…あのガセネタに騙された訳だし…。」

「だったら、悪いのはそのガセネタ書いた奴じゃねぇか。あんたが謝る話じゃねぇだろ。」

あっけらかんとした手短な一言に、救われる心地がした。

「…お前、本当に良い弟貰ったな~。」

所感について言及しないまま、立ち上がる。






「ありゃ?どうした?」

「情報探しに行く。」

「え!?昨日の今日で、もう!?」

「昨日の今日だからだよ。ガセネタのせいで無駄な山登りしたし、訳分からん連中には絡まれたし、弟なんか怪我までさせられたしな。」

右手の拳を左手の掌に衝突させ、思いの丈をぶちまける。

「これで『普通の人間には戻れませんでした』で終わったら、何から何まで負けたみたいで気分が悪いんだよ。」

望みに向かって手を伸ばす気持ちは、一度酷い結果に行き着けばこそ、却って強固になる場合もある。

自分の落ち度で弟に不利益を及ぼした贖いのためにも、次こそは絶対に本懐を遂げてやると、一層燃え上がった。

「ん~。相変わらず、意外とアツいね~。ま、そういうことなら俺様も手伝うぜ~。」

「え、いいのか?」

「ああ。お前の報告聞いてばっかで、こっちはサボりまくってたしな~。いい加減に手伝わねえと、ズルいもんね~。」

「いやー、1人でも手が増えるなら助かるわ。他の変異種なんか、諦め切ってる奴ばっかりだもんな。」

「…そうなのか?」

「ああ。うちらみたく必死な奴なんて、見た事ない位さ。」

意外だと目を丸くする風刃に、自分達の異色ぶりを語った。






変異種に冷ややかなのは、ただの人間ばかりではない。






平凡な存在に戻ろうと足掻く僕達を、呆れた目で見つめる同類も、時にいるのだ。






今更昔の格好になんて戻れる訳ないだろう。






どうせもう一生このままなんだ。






何なら自分達は元々こういう生き物だったのかもな。






変わり種の中でも、諦念にまみれた連中は、そんな弱音を垂れ流すのみ。






「…けど、こっちはそこまで物分かり良くないからな。まだまだやってやるぞ。」

大望を胸に微笑んでみせると、風刃が浅く、しかし力強く首肯した。

「はは、盛り上がって来たね~!こうなるとなおのこと、力になってやらねえとだな~!」

「そういうことだ。得意のお喋りで、女から色々聞き出してくれ!」

「任せなさ~い!もう、あれこれほじくり出しちまうぜ~!勤め先のグチやら裏話やら、おススメの観光スポットとか宿泊先とか、何ならもうちょっとばかし濃い話も…。」

「すみません、そういう情報はどうでもいいです。」

貼り付けたような笑顔の風刃に両断されると、紅炎は咳払いをして、真剣な面持ちになった。

「…けどマジな話、どうやって情報集めようか?本がガセネタだったとなると、きついんでねえの?」

「…まあな。」

変異種が目立って来たのは、ここ数年での出来事である。当然、その生態の解明など大して進んではいない。

誹謗中傷が飛び交っているだけのインターネットは最初から論外としていたが、頼みとしていた書物でさえ今回のような結末になると、いよいよ当てに困って来た。

「…兄ちゃん。あの鬼共、『探し物』とか言ってたよな?」

「ああ、言ってたけどそれが…あっ!」

弟の一言に、樹王山で暴れた赤鬼を思い出す。






手下を片付けてやったと伝えた時、奴は「願う権利を横取りされる心配は減った」と言っていた。






「願い事の叶う道具か何かがあって、連中がそれを探してたんだとしたら…でもって、そんな奴等が樹王山に来たなら…。」

「…もしかしたら、もしかするかもな。」

明らかに願望から来ている仮定で、説得力は決して強くない。

ただ、それを否定するに足る物もまた、持ち合わせてはいなかった。

「ん~…けど、そんなもんが本当にあるとして、どういう形かも分かんねえんだぜ?おまけに、まだ山にあるかどうかだって…って、フウ坊?」

懐疑的な紅炎に構わず、風刃は玄関に移動し、愛用の白いスニーカーを履きにかかる。

「ダメ元で、行くだけ行ってみます。もし何か見つかったら、大儲けですから。」

「ふっ。お前にしちゃ、なかなか前向きな台詞じゃないか!」

「おい、嵐刃もか!」

「じっとしてても始まらないしな!憂さ晴らしにふらっと出て来るのも、悪くないだろ!」

どうせ気分転換ついでの探索だと位置付けると、茶色の革靴に手を伸ばすのも速かった。

「…しょうがねえな。じゃ、さっさと行っちまうとしようか。」

胡坐をかき続けていた紅炎も、立ち上がる。

「世間にモテない変異種が面倒起こしたんじゃ、立ち入り禁止ぐらいじゃ済まねえかも…最悪、山の切り崩しだってあり得るしな~。」

それは、先日のとある報道を念頭に置いた危惧だった。






突然シカの様な角が生えたかどで職場を追われて以来、食うに困って盗みを重ねた男の住んでいたマンションが、早々に解体されたというのだ。






他にも犯罪者になる変異種がいるかもしれない、との理屈で。






犯人が窃盗罪でありながら終身刑を言い渡された裁判と併せて物議を醸したが、煩わしい異端者の排除ついでに有言実行の姿勢で支持層へのアピールもできると目論んだ行政は、聞く耳を持たない。






言わずもがな、とばっちりを喰らった人間達は変異種への嫌悪をより強め、変わり種達は余計に行き場を減らされる結果となった。






泥棒になった変異種の住まいに対してそれだけの強硬措置が取られた以上、通り魔などが起こった樹王山は、何をされるか分かったものではない。






悠長に構えていては、微かな望みも奪われかねなかった。






「じゃ、紅炎。車出してくれるか?」

「おいおい。俺等が風起こして紅炎さんを運べば済むだろ。」

「おお~!ありがたい心遣いだな~、フウ坊!うちのバカ妹とは、訳が違うわ~!」

「はあ…そうですか?」

「そうそう!そいつ、カタブツでクソ真面目なくせに自己中心的な奴でさ!この間なんか、思い切り快晴だったのに、学校まで車で送れとか言い出しやがったんだぜ!ああ、もちろん無視したけどね。ともかくお前さんの爪のアカ、燃やして飲ませてやりてえくらいよ~。」

「いや、爪の垢は煎じましょうよ。燃やしたらただの灰になりますよ。」

「ははは!良いツッコミ、サンキュ~!」

「…紅炎に面倒掛けるのは、悪いけどな。」

親友と弟の茶番劇に割り込み、話を本筋に戻す。

「でも、昨日の今日でお前や兄ちゃんが空飛んだりしたら、見つかった時どうなるか…。」

「…それは言えてるか。」

真っ暗闇しか見えない未来予想図に、風刃が苦笑した。

「遠慮しねえで良いんだぜ、フウ坊~。俺様運転好きだし、ここから樹王山なんか、車なら大した距離でもねえしさ~。」

「はは…それじゃ紅炎さん、お願いできますか。」

「おうよ~。」

愛車の鍵を握り締めて意気揚々と玄関の戸を開いた紅炎に、僕と風刃も続いた。

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