潰えぬ光明

「ひどい…。」

「…ここまで派手にやられてたなんてな…。」

氷華君のみならず、陽気な紅炎までもが表情を暗くした。

芝生をナイフで切り裂かれた挙句、土を金棒で捲り上げられており、さながら焦土の如き色味。

自然豊かであった樹王山が斯くも変わり果てたと思うと、耐え難いものがある。

「確かそいつら…探し物のついで、とかで登山客を痛めつけたんだよな?」

「ああ。流石に頭来たから、痛い目見せてやったんだよ。」

「ほとんど見物してやがっただけのくせに、貴様は…。」

「まあまあ、おさえておさえて…いちおう、最後は動いてくれたんでしょ?」

拳を握り締めて身を震わせる風刃を、氷華君がなだめる。

「…とりあえず、何か変わった物がねえか、ざっと見てみようかね。」

「ああ。」

各自散開し、捜索に励んだ。

赤鬼の金棒で刻まれた窪み。

周囲を取り囲む、木々の群れの中。

「…特に、何もねぇな。」

「じゃ、次だ。」

5分程の調査が空振りに終わると登山を再開し、その道中でも全員が目を光らせる。

それでも目ぼしい収穫は無いまま、残すは山頂のみとなった。











「…それにしてもよく考えたら、願い事が叶う物が何処かにあるかもって、滅茶苦茶頼りねぇ話だったな…。」

「今更だな、おい。」

「だって、本でもガセネタだっただろ?まして、得体も知れねぇ鬼がほざいてた科白じゃ…。」

「逆だろ。何処の誰かも、普通の人間か変異種かも分からない奴の書いた本がガセネタだったから、目の前に出て来た鬼の科白を気に掛けたんだろうが。」

頂上を前にして表出された弟の不安に、呆れ混じりで説法をする。

「駄目で元々、何か見つかったら儲け物って、お前が言った通りさ。ブツクサごねてる余裕があるなら、しっかり周りを見とけよ。」

「…はいよ。」

辟易の溜息と達観の苦笑いを相半ばさせ、風刃は了承を示した。






「…あらま~…。」

「紅さん?どうかしました?」

「いや…今見たニュースが、ね…。」

「…え?…あ…!」

スマートフォンの画面を占拠する報道に紅炎と氷華君が硬直したのを、幾分前方を行っていた僕と風刃は、気付かずにいた。
















「おわ~…壮観だな、こりゃ~。」

山の象徴を見上げた紅炎の第一声はやはり、端的ながら感嘆に満ちていた。

「…やっぱインパクトあるんだな、樹王って。」

「あたりまえだよ…それに、ここまで近くで見ることもそうそうないし…。」

規格外の巨体に、氷華君も目を丸くした。

「残りは、ここだけだ。さて、何か変わった物は…。」

率先して屈み込んだ僕に、風刃や紅炎や氷華君も続く。






「…駄目…か…。」

しかしここでも、特に目を引く物体とは巡り合えなかった。

「…やっぱり最初から、お願いごとが叶うものなんてなかったのかな。それとも、あるにはあったけど、もう拾われちゃったのかな…?」

正座した氷華君が、精一杯落胆を抑えるように、冷静に独り言ちる。

「…せめて、そいつがどういう物かが分かれば、少しは探すアテもありそうなんだけどね。昨日暴れたって連中も、その手のことは喋ってねえらしいし…。」

一縷の望みを胸に携帯電話でニュースと睨み合いをしていた紅炎も、ついにはそれを懐にしまった。

「…仕方ない。下りよう。」

小さく嘆息し、仲間達に告げた。

これ以上留まっていても、時間の無駄にしかならない。

「…そうだな…ん!?」

真っ先に帰路に着こうとした風刃が、ふいに樹王の後方の雑木林を睨み付ける。

「何だ、てめぇは!!」

次いで素早く右腕を伸ばし、掌から風の弾丸を射出した。











「…チェっ。不意打ちで、アっさりカタヅけてあげよウと思ってタのにな。ケっこう、カンがいいミたいダね。」






奇襲を逃れた標的が、濁った声で底意地悪く笑いつつ、木陰から姿を現した。






「…何…こいつ…!?」

愕然とする氷華君の瞳に映ったのは、成人男性2人分の背丈の男。

地味な茶色のシャツとパンツを身に着けているだけで、靴や装飾品は見受けられない。

肌は全身隈なく青色で、頭頂部には1本の黄色い角。

そして右手には、小さな銀色のナイフが握られていた。

「…もしかして、昨日いた赤鬼ってのも、こんな感じの…?」

「昨日イた赤鬼?…マさかキミたち、ウちの伯父さんを…。」

青い鬼の姿の変異種が、刃物に劣らず鋭利な双眸を見開く。

「…成程、あいつの甥っ子か。道理で、そっくりだと思ったよ。」

「ソう…伯父サンをボロボロにして警察ナんかに突き出してクレたのは、キミたちダッタんだ…なラ、単なる邪魔者ってだけジゃないね。」

「邪魔者?僕達がか?」

「ソうさ。キミたちの話、聞かセてもらッタよ。願いを叶えてクレるモノがあるッテ、知っちゃってるみタイじゃない?」

「それがどうした!こっちが何知ってようが、てめぇには関係ねぇだろ!」

「関係あルから、邪魔者っテ言ってるノさ。カオス=エメラルドを狙うヤツは、ごまんとイるんだ。少しでモ消しテいかナきゃいケないのニ、これ以上増えてもラッチャ、大迷惑なんダよ。」

「カオス=エメラルド…?」

「オっと。ウっかり口を滑らせちャった。…まあ、そウいうことだかラさ。」






青鬼は巨体に似合わず軽やかに跳び、ナイフでの切り落としを仕掛けに来た。






「伯父さんノ敵討ちも込めて、トリあえずキミたちには死んで貰いたイな!」






だが、風刃の伸ばした左手が青鬼の腕を捕らえ、無力化する。






「いきなり湧いて出て来た野郎に、『とりあえず』で殺されてたまるか!」






「グアっ…!」






風刃が右足での蹴りを腹部に入れると、青鬼は後方に短く押し流された。






「…フふフ。ドうやら、油断はデきないお子様ミたいだネ?」






埃を払う様に、左手で胸をぱんぱんと叩く。






「…けド、今度はコうはいかナいよ!!」






「こっちの台詞だ!まだやる気なら、容赦加減は一切しねぇぞ!」






風刃が総身から風を立ち上らせて脅しをかけるが、青鬼は動じない。






真っ直ぐ走り込んで来たかと思うと、風刃の頭を目掛けて、ナイフでの唐竹割りを繰り出した。






「風くん!!」






氷華君が叫んだが、時既に遅し。






刀身が接触し、風刃の脳髄を切り裂く―











―ことは、なかった。






「エ…!?」






「どこ狙ってんだ?」






風刃はナイフが接近するよりずっと速く、青鬼の背後を取っていた。






「あれ、いつの間に…?」






「グ…!」






忌々しげに歯を食いしばった青鬼は、振り向きざまにナイフを横一文字に閃かせる。






ところが、左手に風を宿した風刃には素手で受け流され、突風を帯びた右手の拳まで、心臓部におまけされた。






悲鳴さえ上げられないまま青鬼は吹き飛び、樹王の幹に激突して、ずり落ちる。






「ふん。昨日の連中といいこいつといい、見掛け倒しもいいところだな。」

「油断するなよ。お前、昨日も余裕かまして左腕やられただろ。」

両手の埃を叩き落とし、腕組みをして勝ち誇る風刃に、苦言を呈した。

「効いてないはずはないけど、昨日の奴みたいに立ち上がって来るかもしれないから、まだ構えとけ。…またダサい目に遭いたいなら、話は別だけどな。」

「…ちっ。」

風刃は不快感を露わにしつつ、再び戦闘に備える。






果然かぜん青鬼は立ち上がり、怒りを露わにナイフを強く握り直した。






「コの…よクもやってくレたネ!今度はキミに痛い目を見てもらウよ!」






「まったく、しつこい野郎だぜ…往生際の悪さも伯父譲りか?」






「ほザいてロ!!」






うんざりした相好そうこうでぼやく風刃に、青鬼は荒々しく叫ぶ。






「仇討ちとか何とか言ってるが…どうせてめぇも、人間斬りてぇだけなんだろうが!!」






対して、風刃の右手から飛び出したのは、烈風。






「…ヘヘヘ。結構、分かっテるジャん!!」






ところが、青鬼は素早く身をかわして風刃の背中を取ると、そこにナイフの一撃を叩き込んだ。






「ぐっ!!」






のけぞりながらも風刃は反射的に振り向き、右足で蹴りを放ったが、青鬼の顔面はすんでのところで離れてしまう。






「…ちっ。昨日の野朗よりは、少しだけマシだったらしいな…。」






痛覚から前傾姿勢になりながらも、嫌味は欠かさない。






「アッハっは!キミってば、チョっと異能が使えるカらって、得意にナっちゃッテるミタいだね!そんなザマじゃ、異能持ちノ変異種を4人も切り刻んデきたボくの相手には―」






自慢話を遮って開かれた風刃の右手から、突風が吹き荒ぶ。






得意気に弁舌を振るっていた青鬼は全く反応できず、左頬からだらりと濁った赤色の血を流していた。






「黙れ、馬鹿が!!たかが1発まぐれ当たりした位で、付け上がってんじゃねぇ!!」






「…キみもずいぶン、口が減らなイね。そノ心臓抉り取っテ、静かにサセてヤるよ!!!」






激昂した青鬼がナイフを高く掲げると、風刃も両の手を拳に固める。






「くたばレ―」






だが次の瞬間、青鬼の肉体は前へ進めなくなった。






「ナ…!?」






春先には不釣り合いな冷たい氷の檻に、下半身を覆われたのだ。






無論それは、季節外れの雪も降っていない現下、自然に発生する現象ではない。











氷華君が、開いた右手から極寒の波動を放出したためだった。






「氷華…。」






「ムぐぐ、このアマ…よくモ邪魔を…!!!」






横槍に腹を立てた青鬼は、氷華君の首元から臍までを縦一文字に切り裂こうとした。






しかしそれより先に、氷華君の平手打ちが決まる。






「ガ…!」






「…ジャマっていうのは、キミみたいなヤツのことだよ!!!」






冷気を帯びた右手でのビンタが、青鬼の両頬を往復する。






「うッ、グっ、ガハッ…!!」






「キミみたいなヤツがいると、ゆっくり探し物もできやしないんだから!!!」






止めに鼻を殴打されると、青鬼はナイフや氷の足枷諸共吹き飛び、仰向けに倒れた。






「ふう…。」






「はは、やるね。お疲れ様、氷華君。」






「あ、いや…このくらいはどうってこと―」











「ガアアアアアアアアアアアアア!!!!!」






「わっ!?」






氷華君が謙遜を述べ切る暇も無く、青鬼はまたしても復帰した。






「まだ動けるのか!」






「とことんしつこい野郎だ…!」






「コのアマ…モう許さンぞオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!!!!」






怒り狂った青鬼は、手元から去ったナイフに構わず、猛然と氷華君に襲い掛かる。






「お~っと。そこまでだぜ~。」






だが、その手が華奢な少女の頭部を捕らえるより速く、紅炎の援護射撃が入った。






銃の如くに構えた右手から小さな炎の弾丸を5発撃つと、煙草の火を押し付けたような焦げ跡が、青鬼の胸に出来上がる。






「ガ…アあ…!!」






「嵐刃、止めは譲るわ~。ご自由にどうぞ~。」






「サンキュー、紅炎!…吹っ飛べ、馬鹿野郎!!!」






その場で立ち尽くしていた青鬼の腹部へ、風を付与した右足での蹴り上げを浴びせる。






空高く吹き飛んだ標的は、山の木々の枝という枝を折りながら墜落し、二度と這い上がっては来なかった。











「ふう。しぶとい奴だったな。…しかし2日連続で通り魔が出るなんて、地元民の気付かない間に樹王山も物騒になったもんだね。」

「だな~…。」

「…ぐっ!」

「風くん!」

面倒事が片付いたと安堵する時間も、治安の悪化を嘆く暇も、僕等にはなかった。

風刃が苦悶の面持ちで、膝を付いてしまったのだ。

「ありゃ、そこそこパックリ斬られてんな…早いとこ傷口塞がねえと、やばいんでねえの?」

青鬼の斬撃は、絆創膏等ではとても覆えない、深々とした裂傷を刻んでいた。

「紅さん、車で来たんですよね!風くんを病院まで―」

「あ、ちょっと待った。」

氷華君を右手で制し、提案する。

「もしかしたら、また樹王の実で治るかもしれないし、確かめてみないか?」

「ふざけんな馬鹿野朗!俺を人体実験に使うんじゃねぇ!!」

衝撃的な味に倒れて半日超も目覚めなかったゆえ当然だが、拒絶反応は著しかった。

「そう言ったって、怪我したのお前だけなんだから、他に適任いないだろ。」

「あんなもんまた食う位なら、治るまで大人しく待ってた方がマシだ!…いてててて。」

患部に左手の甲を当て、叫びで悪化した痛みに耐える。

「まったく…油断するなって言ったのに。」

「うるせぇな…!こんなの、ただのまぐれだって―」






「何がまぐれだ、馬鹿野郎!!!」






反射的な叱責は、紅炎や氷華君を些少驚かせる声量となった。

「そのまぐれで心臓突き刺されてたら、今頃御陀仏だったんだぞ!!!そうなってても、あの世で同じ事言えたのか!!!」

「何だと、この…!うっ、痛っ。」

風刃は尚も言い返そうとしたが、騒ぎ立てる痛覚神経に阻まれ、沈んだ。

「ほら見ろ…。」

「まあまあ。お説教は後回しにして、樹王の実を使うか病院に運ぶかソッコーで決めねえと。」

「樹王の実。」

「よし来た。」

「よし来た、じゃないですよ!!紅炎さんまで俺を…あだだだだ。」

「氷華君。そいつの傷口、凍らせてやって。痛むだろうけど、空気に触れさせるよりはマシだろうし。」

「あ、はい。分かりました。」

「いや分かるなよ!おい、あんな物要らねぇって言って…!」

不平に満ちた抗議に構わず、翼を広げて全速力で上空へと飛翔する。

「さ、風くん。じっとしててね…。」

「できる訳あるか、ド阿呆!こら、止め―」






氷華君が両手をかざすと、風刃の背中の傷が、氷の中に閉じ込められる。











直後、山頂を遥かに見下ろす高度まで至っても、微かに耳に届く程の絶叫がした。

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