2-2. 青の郵便配達員
身支度を整えて部屋から出てみると、隣の部屋のドアと短い廊下の先に下りの階段があった。上に続く階段は無い。この家は二階建てらしい。一階に降りて、いくつかあるドアのうちの一つを開ければ、不自然なくらいがらんどうのキッチンにあの男が立っていた。
「よお」
「おはようございます」
コローは昨日とは違う格好だ。街で見かける郵便配達員、よくいる無個性な詰襟の制服。しかし、彼はきっと数多の郵便配達員の中にあっても目を惹くだろう。コローの見目の良さだけが理由ではない。
「その服、どうしたんですか?」
「どうって?」
「そんな真っ青なのは初めて見ました」
コローはその言葉に満足したらしい。シンクに置いたコーヒーカップをアルノに差し出した。中に入った真っ黒なコーヒーから、白く薄い湯気が上る。
「これが青く見えるなら、お前は立派な死神だ」
「はあ……。そうですか」
随分と濃いコーヒーを飲みながら、アルノはキッチンを見渡す。シンクは清潔に保たれているし、水道も壊れている様子はない。しかし調理器具はほとんど見当たらず、広さの割に小型の貯蔵庫やテーブルセットも置かれていない。
「普段は、どこで食事を?」
「俺らは食わなくても死なない」
ならばキッチン自体がいらないのでは? アルノは言葉を飲み込んで、床に敷かれた薄い桃色のタイルを眺めた。年季が入っているのか、所々修繕の跡が見られる。その暖かさとコローの様子が、どうにもちぐはぐだ。
「……あの、ここに住んでるのはどなたですか?」
「俺だけだ」
「じゃあ、昔、貴方以外の人が暮らしてたんですね」
端正な顔立ちが、紙をぐしゃぐしゃに丸めたように歪み切ってこちらを見る。妙なことを言うなと叱られるかと思いきや、コローの返事はこうだった。
「どうしてわかった?」
「いえ、別に、なんとなく……」
「お前、それでも元医者か? “なんとなく具合が悪そうだから腹を開きますね”なんて言って、人間が腹を出すか?」
出会って数時間、会話するのはまだ二回目だ。そんな男の心情は、アルノにはさっぱりわからない。彼と話していると、中身の見えない箱に手を入れるような気分になる。何が起きるかわからない不安と、何が起きるだろうという期待。
「……この場所はとても暖かいんです。大事にされてきた感じがします。タイルが欠けたら直して、汚れたら掃除して。この部屋に暖色が多いのは、多分、ここが食事の場所だって考えてのことでしょうし……。だから、貴方が食事好きなのかと思ったんですが、そうでもなさそうなので」
コローは黙っている。
「私の父も、物は大事に使わなきゃいけないって言っていたのを思い出したんです。だから、貴方以外の誰かがここを大事にしてたんじゃないかと」
「父親?」
「はい。実の父ではありませんが、よく面倒を見てくれたんです」
聞き返したのはコローの方なのに、彼はアルノの返事が終わるより先に、キッチンのドアへ向かって歩き出してしまう。
「クリーニング屋は見たか? お前の仕事場だ。と言うか、今日からここがお前の家だ」
会話は見えない鋏でぶつりと叩き切られ、コローは顎をしゃくって着いて来いと言う。だからアルノは仕方なく、コーヒーカップを置いて彼の後に続いた。
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