2-7. 紳士の亡骸

 つい数分前に、命を落としたラッセル・カーター。当然脈は止まっていて、外傷は見当たらず衣服に乱れもない。こういった場合は、心停止による突然死を疑うのが定石だ。紳士の心臓の辺りを見れば、アルノの予想通り、白い影が滲んでいた。


「心臓です。心臓発作で急死したようですね」

「へえ、すげえな」

「これでも、昨日までは医者でしたから」

「なんだ。そういうことかよ」


 コローは放り投げるような返事をする。しかし、今のアルノにはこの方法しかない。それには目を瞑ろうと、コローは諦めたらしい。


「で、魂が見つかったら針で繕う。昨日見てたからわかるな?」


 確かにコローの言う通り、彼がレイアの体に針を刺していた姿をアルノは覚えている。あの光景を目にした瞬間の体の強張りも、虚脱感も。


「……人を刺し殺すみたいに、ですか?」

「何言ってんだよ。刺すんじゃなくて、繕うんだ。それに、もう死んでるから殺せない」

「でも」


 戸惑いながら、しかしアルノは針先を大きく振る。空気を切る音が響く。何かを貫き、糸を通し、繕う道具。

 そんなもので、人の体を。


「繕いって、何のためにするんですか?」

「魂を空に繋げる」

「繋げたらどうなるんですか?」

「空が、青くなる」


 こめかみを脂汗が撫でていく。耳をふさぎたくなるほど、心臓が大きく鳴った。青い血が流れていく。体中から音が聞こえる。

 

「お前が迷えば針は通らねえし、迷わなきゃ通る。それだけだ」


 足元に眠る一人の老紳士。体はうつ伏せだったが、顔は片方の頬を床につけたままだ。その瞳が、薄っすらと開いているのにアルノは気付いた。彼の視線を辿る。


「貴方……」


 ああ、そういうことか。

 ラッセル・カーターの視線の先には、燃えるような赤い絵があった。


 アルノは針を構える。命が終わった体を起こし、動きを止めた心臓を一突き。白い魂の中心を、寸分違わず貫いた。物理的な力の加減とは違う。血も出なければ、あるはずの骨にも触れない。

 これは、繕いだ。魂と空を繋ぐための繕いだ。

 何度も何度も繰り返す。魂が空に辿り着くまでの間、道に迷ってしまわないように。


 空と魂を繋いで、青く繕う。

 アルノ・ブルーは、青の死神だ。


 すると、白い影はふわりと浮いた。


「糸、切っていいぞ」


 アルノが爪の先で糸を切れば、紳士の体から白い影が引きずり出されて行く。糸は何も言わずに昇り、魂は静かに空へ繋がる。

 やがて、魂はドーム型の天井を通過して見えなくなった。


「綺麗に繕えましたよ」


 ラッセル・カーターの体を横たえると、アルノは立ち上がってコローの方に振り返った。コローは何故か空白と向き合うように黙っていたが、はたと我に返るなり眉をひそめて「いいんじゃねえの」と言った。


「お前、何考えてた? 迷いが晴れた理由はなんだ?」

「ああ、そのー……」


 大きな赤い絵が見える。赤が入り乱れる一枚の絵。それが、老紳士が最期に見た景色だ。

 ラッセル・カーターがどんな人だったのかアルノにはわからない。けれど、知識とも理性とも違うどこかでアルノは見た。


「お似合いの最期だと、思ったので」


 そう答えた彼の顔は、笑っていた。

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