大脱走戦闘


 麻布の掠れる音が彼を焦らせる。


 逃げないといけないと分かっていても、まだ肩の傷が疼いている。

 エル・シーズンは肩の痛みをこらえながらビル街の中に入り込んでいた。


 一方、ケントもひたすらに走っていた。


「おい、ドラコ!アイツがどこにいるか分かるか!?」


 彼はドラコの方を向く。ドラコは小さな翼をパタパタとせわしなく動かして飛んでいる。


「ちっと待てい!!何とかしちゃる!」


 商業施設の電光掲示板には大々的にエルの指名手配がニュース速報で表示されている。


「くそっ!さっさと追いつかねぇと…」

「よしっ、掴んだで!」

「どこにいた!?」

「こっから約6キロぐらいのビルばっかの所におる!」

(6キロ!?もうそこまで!?)


 どうやって見つけたのかよりも、その距離感に圧倒されてしまうケント。

 そこにたどり着くにしても30分以上はかかる。


 それまでにエルが待っている訳がない。


 しかも、そこで疲れてバテてしまったら、それこそ本末転倒だ。


(どうすれば……)


 ケントはある事を思い出した。


「そうだ!確かお前が俺の身体に入れば、前みたいに強くなれるんだろ!?」

 例の大ムカデを倒したアレだ。


「……ええんか?」

「やらねぇといけねぇだろ?構わねえよ!!」


 ドラコは頷いた後に、ケントの背後からスルリと身体の中に入る。

 ドクンと体が跳ね、殺気立った眼が開かれる。前傾姿勢になって更にスピードが上がる。


「そんじゃあ……行くで!!」

 

 溜め込んだ足を蹴り出して風の如く走り出すドラコ。

 しかし、路肩から大型のトラックが現れる。

 このままだと、激突する。


(ドラコ、目の前!!)

「んな事解っとる!!」


 ドラコは、勢いよく足を踏み込んで、トラックを軽く飛び越えた。

その、跳躍した地点のアスファルトに大きく亀裂が入っていた。

 いとも簡単にトラックの向こう側へ着地するドラコ。


「すげえ……すげぇよ、ドラコ!!」

「せやろ?せやろ?もっと褒めてもええで!」

ケントの身体の事などいざ知らず、上機嫌になりながら再び走り出す。



 昨今の社会人はまだ夏休みに入ってない人が多く、しっかりと仕事に励んでいる。

 その為か、この時間のオフィス街には人がまったくと言っていいほどいなかった。


 そして、そのオフィスビルの街の中をエルは駆け抜ける。

 肩の痛みを食いしばりながら足を動かしていた。


——パシュン

 どこからか発砲音が響く。

 アスファルトが弾ける。

「嘘だろ……」


 狙撃。


 冷たい汗がエルの背筋を滑り落ちる。

(尾行されてたのか……)


 エルは周囲を見渡す。

 しかし人影一つ見えない。


 逃げられない恐怖の中で彼の足はいつの間にか止まっていた。



 とあるビルの窓際でスナイパーライフルを構え、伏せている一人の人物。


 構えているのは、【ホーワM1500】。

 命中精度の高さで知れ渡っている国産狙撃銃だ。

 銃声の反響を抑える為に、銃口には消音装置サイレンサーが取り付けられている。

 そのM1500の槓桿を引いて、排莢する。

 カランカランと音を立てて薬莢が転がる。

 再びスコープを覗き、対象を狙い澄ます。

 獲物を狩る鷹の様に静かに、その時を待つ。


 不意に、ライフルのそばのトランシーバーにノイズが奔る。


『応答せよ、こちら糸束』

「こちら、鷹峯」

『そっちはどうだ、鷹峯』

「現在目標を確認。負傷中。捕獲可能な状態だ」

『了解。コッチの任務はあくまでも保護だ。

「了解」

プツリと通信が切れる。


  再三、ゆっくりとスコープを覗くと、対象――エル・シーズンに照準を合わせる。

 距離として、750メートル。

 ビル風が多少あるものの、弾丸の軌道が大きく逸れる程ではない。


 スコープの中のエルシーズンは攻撃先を探して辺りを見回している途中である。


「まずい。仕方ないが……【贄よ這い出よ】」

 エルは手を前にかざして詠唱する。

 ちょうど、スナイパーに背中を見せる様な形で。


「今」

 同時に、【ホーワM1500】の引き金がゆっくりと強く引かれていく。


 微かな銃声と共に一発、錫色の弾丸が放たれる。


「【贄よ】……」


 詠唱し終えるより先に、7.62mmの弾丸がエルの眼前1mに到達していた。

 弾丸はきりもみに回転をしながら、エル・シーズンの背中を撃ち抜……くことはなかった。


 突然現れた黒い影が弾丸をのだ。


「!?」


 スコープ越しに目を瞠るスナイパー。

 エル・シーズンの前に一つの影が立っていた。


「お前は……」

エルは唖然としながら、目の前の人物を見る。


 弾かれた弾丸はビルの壁面にあたり、壁に亀裂を入れる。 

「どうやら、間にうたみたいやな」

黒髪黒眼の至って普通の少年――立神ケントだった。


(いや、違う)

確かに見てくれはケントなのだがさっきとは全く雰囲気が違う。

殺気が、ドス黒いオーラが、彼の周囲に漂っている。


 再びドラコが足を振り上げれば、カキンと何かがアスファルトに跳ねる。

 地面を転がっていたのは紛れもなく弾丸。


 一方のスナイパーも現在起きている状況にスコープから目が離せない。

(……弾丸を蹴った?)


 スコープ内の人物は、その弾丸を拾ってビルの中のこちらを見上げている。

「こりゃあ、厄介なヤツがおるな」


 そして、ニヤリと口角を吊り上げる。

「これじゃ埒が開かんしな。いっちょ弾丸コイツんとこへ……行くか!!」


 ドラコは膝を目いっぱいに曲げ、跳んだ。

 あろうことかその力のみでビルの中腹まで飛んでいってしまった。


 跳び上がる姿を間近で見ていたエル・シーズンは——


「はは……」

 驚嘆の声を漏らしていた。



 ケント——もといドラコは脚の力でビルの3階近くまでたどり着く。

 その後は向かいにあるタワーマンションの壁を蹴って上に向かい、スナイパーのいる所までたどり着いた。


「よいしゃっとォ……お前が持ち主かいな?」


 目の前にはスナイパーライフルを脇に構えたサイバースーツの少年がいた。

 幼さがまだ残っている顔だった。


「あの身体能力、動体視力……明らかに人間じゃないな」

「ありゃ、見てたんか。まあ、もちろんそーやで?」


 少年は【ホーワM1500】を床に置き、脚に装備していたサバイバルナイフを引き抜く。


「おう、る気か?」

「その気で来たんだろう」


 ドラコは指をボキボキと鳴らす。

 相手もナイフを逆手に構えて戦闘態勢に入る。


 廃ビルの窓枠から風が吹きぬける。

 それを合図に、両者一気に駆け出した。


 少年の巧みなナイフ捌きをドラコは全て掌で受け流す。

 ドラコは腹に向かってきた、ナイフを素手で掴む。

 その隙に少年の細い腹に向けて回し蹴りを入れる。


「くっ……」

「どしたぁっ!?そんなモンかあっ!?」


 更にドラコは少年の頭を掴み、床へ突き落とそうとする。

 しかし、少年はすんでの所で身を翻し、激突すを回避する。

 そして少年は手に持っていたナイフでドラコの腕を一気に突き刺した。


「ぐっ!?」


 鋭い刃はドラコの腕を貫通し、ブシュウと血を噴き出させる。

 腕に激しい痛みが襲いかかるがドラコは身動き一つしなかった。


 ドラコの握力が抜けると同時に、腕を己の身体ごと床へと落とす。

 少年は脚をドラコの腕に絡め、がっちりと肘を固めた。


「ぐぬぅぅぅ……」

 動かないドラコの腕から止めどなく溢れ出る血液が少年の綺麗な顔に垂れて赤く染まる。

「こぉんのぉ……」

 腕が折れる感触に耐えながらドラコは逆の腕に少年の足首を掴む。


「ぬぅぉぉぉぁぁ……!」


 猛るドラコは咆哮して腕を絞めている少年を上半身の力で持ち上げる。

「オらぁぁ!!」


 渾身の力を込めて逆側の床へ少年を叩きつけた。

 少年は組んでいた腕を解放して逃げようとするが、ドラコの右腕が足首を掴んでいるせいで逃げられなかった。

 少年は見事にコンクリートの床に激突した。


 少年は激突の衝撃に骨が何本か折れている筈だが、それでも立ち上がり態勢を整えて間合いを取った。


「がはぁ…はぁ…お前ぇ…強いなぁ」


 ドラコが腕のナイフを抜きながら少年に言う。

 しかし、少年は黙っていた。

 腰を反らすとポキポキと腰骨がなる。


(明らかにこっちが不利なのはわかってたんやが…)

 ドラコは頭を無事な左手でボリボリ掻く。


 それもそのはずこちらは掴まれやすい白シャツと脚の可動域を狭めるジーパンなのに対して向こうは動きやすそうなサイバースーツ。

 しかも襟も裾もないから掴みづらいときた。


 安直な力だけで敵う相手じゃないと悟る。

 血に塗れた腕をさすりながら、ドラコは尋ねた。


「お前、どないしてアイツを殺そうとしてんねや?」

アイツとは、エル・シーズンの事である。

「今、その事が必要か?」


無論、その必要はない。

ただの時間稼ぎであった。


「いや、必要も何も単純に知りたいだけや」

「……彼が“転生者殺し”だからだ」


ドラコはピクリと眉を動かす。


「転生者、殺し……?」

「名前の通り、転生者を暗殺することを生業としている異世界人だ」

「ほぅ、あんなヤツがなぁ……」

「なんでも、“贄の魔法”しか使わないらしい」

「贄ぇ?……なるほど、よう分からんが、つまりお前らはアイツを殺すつもりなんやな」


……?」

 突然キョトンとして、首を傾げる少年。


「いくら、アイツが悪くてもそれは許せんわなぁ!!」

 ドラコは不敵な笑みを浮かべながら、ゴキリと首の骨を鳴らし右腕のナイフ一気にを引き抜く。

 ナイフで刺された腕の血は既に止まっている。


「何か、誤解をして——」

「再開やぁ!!」


 ツバサが何かを言おうとするが、不意にドラコが勢いよく駆け出したせいで遮られてしまう。

 腕を大きく振りかぶるドラコ。

 右フックが少年の首を掠る。

 しかしドラコの狙いはそこではなく。


「掴む所がないんなら———蹴る!」


 そのまま右手で反動をつけながら膝蹴りを脇腹に喰らわせる。


「これでぇ、終いやァっ!!!!」


 密着した身体を引き離して壁を蹴り

 少年の頭に上段回し蹴りを見舞う。


 勝負ありと思われたその時。

 バチンッとドラコの中で何かが弾ける。

 バランスを崩したドラコはドサリと倒れてしまう。

 そして、きゅぽんとドラコがケントの身体から横に飛び出した。


「な、何や、か、身体が」


 ドラコはその小さな身体でケントを見る。

 ドラコが飛び出したのではなく、ケントが倒れている。


 ドラコは忘れているが、この身体からだはケントのもの。

 ドラコの戦闘スキルが高すぎて普通の人間の肉体がそれに追いついていなかった。

 つまり酷使しすぎて肉体の限界を迎えてしまったのである。


「あ、が……クソ」


 ケントはもう、腕も脚も動かす事が出来なかった。

 唯一出来るとすれば、首から上がかろうじて動かせるぐらいである。


「はぁ、助かった……」


 ペタンと腰を落とす少年。

 その時、開いた窓から男が入って来た。

 すらりとした細長い体型の男だった。少年と同じ形のサイバースーツを着ていた。


「目標はこっちがが……

何だ、この状況は」

「すまない…」

「……まぁいい。……コイツは?」

「目標と逃げていたから、恐らく仲間かもしれない」

「仲間か……その辺に捨てるか?」

「いや、コイツも頼む。多分、何か誤解しているようだし……何より大きな戦力になりそうだ」

 男は怪訝に思いながらも倒れたケントを肩に乗せた。

 ドラコは少年の腕の中に抱えられる。


 その時、バリバリとローター音が廃ビル内に響く。突風を起こして現れたのは黒い多用途ヘリコプター。

 その窓際の座席に、エルがいた。

 そこにケントとドラコを乗せて2人も乗り込む。


「これで……いいのか?」

「ああ、危害は加えない。お前のが目的だからな」

「撃たれてるし、負傷もしてるけどな」


 エルは不貞腐れながら、窓からの景色を眺める。


 オフィス街はとっくに夕日に染まっている。

 社会人は帰らず、いつもの日常が戻っただけ。

 ヘリはオフィス街を飛び去り、また静寂が漂い始める。

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