逃避行

 逃げていた。

 ただひたすらに逃げていた。


 彼は夜の街の中を駆け抜ける。


 夜空には白く輝く月が浮かんでいた。

 その優しい光に映ったのは彼の後を追いかける影の大群だった。


「まさか、追われる事になるとは……不覚だな」


 黒いコートの青年が屋根の上を走る。


はほとんど使い尽くした。残るはあと数えるほどしかない……)

 指折り数えて苦い顔になる。


(仕方ない……相手が悪かった)

 そう言い聞かせつつも悔しいのは仕方ない。

 すると、背後の闇から火球が豪速球で飛んでくる。

 青年は外套をひるがえしながら宙を舞って火球を避ける。

 コートの端が焦げてしまったが気にしない。


(クソ、追いつかれてしまうか……?)


 青年は後ろを振り返って、右の掌を突き出す。


「【祭壇】」

 掌から紫色の魔法陣が浮かぶ。

(大体にはハズ……)

「【贄を】……【捧げろ】!!」

 魔法陣の中に掌を突き出し、何かをもぎ取る様に虚空を握る。

 追いかけていた影の大群が、バタバタと屋根の上で倒れる。

 血飛沫が、月下に舞う。


(獲れた能力は……63個……まあまあか)


 しかし、安堵するのも束の間、新たな影の大群が倒れた影を踏みつけてながらまた彼を追いかけてくる。

 再び走り始める青年。


 青年は二度と振り返らずに闇の向こうへ消えた。

 青年が逃げ込んだ先は、青い看板にしっかりと白字でこう書いてあった。


"ここから先、東京"


 場違いな立方体の鉄の塔が立ち並んでいるせいで石造りの街という閑静な景観をぶち壊している、あまりにも異質な…

       


        東京だった。



 約1ヶ月後——日本は梅雨が明け、蒸し暑い日々が一日中続く夏となった。


——新宿のとある交番。 

 ひっそりと街角から新宿の夜を見守っている少し寂れた交番。

 日付が変わろうとしている深夜の中、交番では一際珍奇な人物が訪れていた。


「え〜、君の名前は?」

 一人で駐在していた警官が気だるそうに尋ねる。

 寝不足なのか、元からなのか分からないが、警官の目元には大きなクマができていた。


「エルドリッチ・レオン・シーズン」

「……わざわざフルネームどうも。

外国のお方?にしては日本語上手だな」

「あぁ。僕は君の概念の上で話してるからね」

「何言ってるんだ、お前。精神科進めようか?いいとこを知ってる」

「そんな事ない。第一、その名前も偽名でね」

本気で言ってるのか。警官は眠い目を細め精一杯ドスの効いた声を出す。

「おい、ここは仮にも警察だ。ふざけてるといい加減、豚箱になげるぞ」

「ふざけてないんだが、名前がそれしか思い出せないんだ。エル、なんとか、シーズンで全部通していてね」

「なら、安直にエル・シーズンで良いだろ」

「ふむ、エル・シーズンか……悪くない」

青年はそう言って微笑んだ


警官はボールペンでノートに何かを書き込む。

ボールペンを持つ手が震える。


「君の出身は?」

「フィランディア」

「フィランディア?

……ああ、フィンランドの事か。

名前だけしか知らないがいいとこだよな」 

「そうなのか」

「外国はいい所だっていうのは必ず相場が決まっているだろ?」

「そう……かな」


 首を傾げて苦笑する青年。

 警官はまたボールペンでノートに何かを書き込む。

 今度は目をゴシゴシとこすり、目を開けたり閉じたりを繰り返していた。

 やはり寝不足らしい。


「それで、君はあそこで何をしていたんだ?

俺が来た時には歩道の上でぶっ倒れてたが」

「別に何もしてないが……何かまずかったか?」

「そうか……ここら辺はな、どうにも酔っ払いと乱痴気騒ぎと人殺しが多いから君みたいな奴がいると、どうにも疑ってしまうんだ。すまんな」


そう言って警官はノートに何かを書き込んだ。

眠気も限界なのか大きなあくびが出る。


「じゃあ僕からも一つ聞いていいか?」

「おう、なんだ?」

「例えば、退廃した街があるとして、それがその国にあったとしても君は行きたいかい?」


眠たげな目をこすりながらも警官は答える。


「……俺ならそこを避けて行くな」

「結局、見て見ぬふりをする?」

「仕方ないだろう。何にも力のないヤツがでしゃばったって意味がない」

「なら、もし君が何か大きな力を持っていた時は?」

「その時は……何かするな。うん。テロでも、クーデターでも、世界を変えたいと思うな」

警官が感慨深く頷く。


「そう、ありがとう」

感謝の言葉が聞こえた時には既に青年の姿が消えていた。

「……夢か?」


警官は思わず机を見下ろす。

机の上のノートには、歪つな波長のような汚い字が書かれていた。


「……夢か」

一際大きなあくびをして背を伸ばす。

街はもう明るくなっていた。


転生者の能力……それは、魔法とは違う転生者固有の技。

その強さは、全ての理を覆し、

その数は転生者の数だけ。


あらゆるモンスターの多くは、この転生者の能力によって消されていた。


だが、その無限大の強さを持っている転生者を殺せる者もいる。


それが"転生者狩り"エル・シーズン。


そして現在でも逃亡者としてこの東京を彷徨っていた。


 高層ビルの乱立する都市圏に中世の石造りの建物が割り込んでいる光景は誰しもが目を疑う。


鉄柱と石造りの家が混ざり込んだ珍妙な光景も今となっては、日常として写っていた。


 着ている黒のコートと対照的な白い髪がそよ風になびく。


「何あれー」

「なんかのコスプレ?」

「えー、でもコミケっていつだっけ?」


 周囲の通行人がエルを見ている。


 しかし彼の金色に輝く瞳はただ目の前を見つめていた。

(いつ見てもこの世界は…狂っている)

 真夏の日差しを受けて、ぬめりとした汗が肌を滑り落ちている。

 ふと、彼は何かを感知し歩みを止める。


『目標を捕捉。ただちに捕獲する』


 バババババッッ!!!

 平穏を掻き鳴らす連続的な破裂音

 咄嗟に彼は後ろへと飛び退く。


 体勢を立て直して、前方を見る。

 黒い巨体が宙に浮かんでいた。

 バリバリと雷鳴の如く回転するプロペラで浮遊ホバリングしている———


 戦闘用ヘリコプター。

 

 その側面にはJPNの3文字がくっきりと白線で書かれている——つまり日本製を表している。

 しかし、迷彩柄の自衛隊機ではなく、黒一色のヘリコプター。


 もちろん彼は現代兵器など一つも知る訳がなく、

「なんだ……アレ」と、唖然としながら呟いていた。


 驚きを隠せずに立ち止まるエル・シーズン。

 黒いヘリコプターは、それを隙と見てボディをエルに向ける。


 自分への攻撃を予見して、エルはその場からボロボロのコートだけを残して逃げる。

 その後を追う様に先端の機銃が火を噴く。


(飛び道具か)

 弾丸がアスファルトの道路を砕く。


 叫び、慌てふためく通行人。

 皆、蜘蛛の子を散らすように逃げていく。


(なるほど、一般人でも関係ないという事か)


 その人混みに紛れながら、エルは近くのビルのガラスのドアを突き破って中に入り、弾丸を回避する。

 バリィンとガラスの割れる音がビルの中に響く。


「な、なんなんですかアナタ!!」

 玄関近くの受付嬢が叫ぶ。

 中に入ったビルはどこかの会社だった。

 受付嬢の怒号は、機関銃の銃声によって悲鳴へと変わる。


 だがエルは気にせずに、上へ上へと壁を駆け上がる。


 ちょうどヘリが飛んでいる高さと同じぐらいの高さにたどり着くと、勢いよく壁を蹴り、窓ガラス(強化ガラス)を蹴破った。 


「——【贄よ這い出よ】」

 

 ガラスの破片を肌のところどころを裂きながら、詠唱すると、紫色の魔法陣が目の前に展開されていく。

 

 その中からから白い短剣を引き抜き、すぐさま短剣をヘリコプターに向かって投げる。

 短剣はくるくると高速で回転しながらヘリコプターの窓を貫いた。

「【贄、爆ぜる剣ソードボム】!!」

 更に詠唱すると、コックピット内で短剣が光を帯びて爆ぜ、ヘリコプターはいくつかのビルを巻き込みながら墜落した。


 ……魔法が使える世界でのエル・シーズンの魔法は、前例を見ない異常。

 その名は“贄の魔法”。


 相手の技を自分の生存への贄にする外道の法。


 相手の技を肉体ごと取り込む吸贄きゅうげつの秘言とその存在を武器として具現化させる働贄どうげつの秘言の2つ。


 逆に言えば、


「動くな!動いたら撃つぞ!」

 街の向こうから現れたのは、“特機”と書かれた装甲車。

 ブレーキをかけ、行く手を阻む障害物と化して、後ろのハッチから大勢の歩兵が小銃を彼の方へに向けながら現れる。


 身軽そうな黒いアーマーを着て二列に横に広がっていた。

 前列が透明な強化ガラスの盾を構え、後方の列が小銃を彼に向けている。

(ざっと30人ぐらいか……)

 彼は恐れず怯まず、その大群へと直滑降で突っ込む。


(飛び道具持ちが14人……)


「撃てーっ!!」

 同時にライフルから一斉に火が噴く。

 しかし、エルはその弾丸をマイクロ単位で全て回避しながらを素手で"触れる"。


「全部、避けた!?」

 一番奥の、ヘルムに2本の白いラインが引かれてある隊長格の人間が驚く。

 だが、エルの見せた奇行はそれだけではなかった。


「【祭壇】」

 エルの目の前に紫の魔法陣が顕れる。

「【贄を捧げよ】」


 詠唱しながら魔法陣を自身の胸へと押し当てると、一同に前列の隊員の腕がガラス製の盾ごと消えていった。


「ウワァァ!な、何だこれ!?」

「う、腕が!!」

「どうなってやがる!!」

 慄く一同。


 だがそれを他所に彼はただ冷静に、追加の詠唱を行う。


「【贄よ這い出よ】」

 エルの前に直前まで隊員達が持っていた透明な強化ガラスの盾が陳列する。

「【贄、盾】」

「くっ、魔術の類いか!!」

 放たれる小銃の弾丸は見事にその盾に弾かれる。


 掌を前に掲げるエル。

「【贄よ這い出よ】」

 展開される魔法陣。

 盾は魔法陣の中へと吸収され消えていく。

「【贄、威禍鎚イカヅチ】!!」

 魔法陣の中から紫電を纏った鉄の矢が幾つも奔り、前方の大群を穿つ。

 隊員は悉く紫色の閃光に貫かれ、倒れていく。


 気づいた頃には、隊長だけとなった。


「皆やられてしまっただと?」

 苦しい顔をする隊長に対して、彼は涼しい顔で口を開いた。


「いやぁ……色んな飛び道具を見てきたけど、今回のは凄かった。まぁ人が弱かったけど」

 その言葉にヘルム越しでも怒りに染まっているのを感じる。

「き、貴様ぁ…」

 隊長が腰のナイフを引き抜き、彼に襲いかかる。

「舐めやがってぇっ!!!」


 彼は身構える事なく、ただふらりと近づき隊長の身体に触れた。

「悪いけど、君達に関わってる暇はないんでね」


 隊長が踵を返してナイフを逆手に持つ。

 しかし——彼の詠唱が数秒早かった。

「【贄、雷剣サンダリオン】」


 雷の形をした刃が隊長の身体を八つ裂きにし、更に焼き焦がした。

 断末魔が聞こえるよりも早く、消し炭となって消えた。


 後には何もない。

 ただ風が吹き荒び、多くの死体が転がる。


「転生者は……いないみたいだな」

 そして彼は再び走り出そうと足を踏み出す。




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