第12話 独り立ちと訃報

 就職面接から逃げ出した私は、二次募集ではすべての会社から見事に蹴り飛ばされた。業界では私の話は隅々まで行き渡っていて、卒業後に職安へ行ったとしても入り込む余地はないだろう、と進路指導の先生を曇らせた。


 最終的にはずっと離れた場所にある鋳鉄工場に就職することができた。体力はほどほどにはあると自負していたけれど、職場を見学に行ったときには男たちの腕の太いことに驚いた。もちろん、私自身が背負った罪に対する責任なので、これから待っている苦労も受け入れることにした。


 先生はいくらかの金を持たせてくれて、名義上の保証人にもなってくれた。私は泣きそうなのを我慢して家を出て、頭を下げた。


「先生の御恩は決して忘れません」

 先生は首を振った。

「今さらだが、先生なんていうのは大仰で名前ばかりのものだ。ただ、人生の少しばかり先を歩むものが後から来るものに手を貸す、少しばかり考えるのを手助けしただけだ」


 最後に「大成するまで顔を見せるんじゃないぞ」と言い、先生は私が去るより先にさっさと中に入ってしまった。先生も泣きそうになっていたのに私は気付いていた。お互いに泣いてしまい格好悪くなることが恥ずかしかったのだ。きっと兄のときも同じだったに違いない。


 独り立ちをして鋳鉄工場で私は毎日、汗を流した。

 危険な溶けた鉄とそれらを運ぶ肉体の酷使。さらに工場の火はとてつもなく熱く、顔も髪も焼けた。流れる汗のために水を多く飲むし、塩も舐めなければならない。過酷な環境でどこまでやれるのだろうか、そう何度も思った。他に移った方がよさそうだとは思ったけれど、就職面接を蹴って辿りついたこの仕事をすぐに辞めたらどうなるかは想像に易かった。


 製造現場について数年が経ち、転機が訪れて私は営業に異動する話をもらった。現場を知らない人間が机に座るのも難しいと言われ、簡単な算数はもとより、いずれ技師になれるかを見る難しい数学の試験を受けた。結果がよかったらしく、最後には異動が決まった。一つに特化していたらこういう機会は生かせなかっただろうと、私は先生に感謝した。



 私はその後、営業でも製造現場に持っていたパイプを活用して十分な成功を収め、独り立ちから十三年経った頃には親会社に引き抜かれて、引っ越して都会へ出ていっていた。

 そこで私は、先生の死を知った。偶然会った私塾にいた友人と再会し、その折、私に教えてくれたのだ。

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