2-3

「やるじゃん」

 誰の声かと思った。くぐもった声だった。

 おれの足元にカツキが倒れている。抱き起こそうとして、呆然とした。

 カツキのみぞおちから、赤い血がどくどくと流れている。おれを逃がそうとした時に、あの針に刺されてしまったのだと分かった。

「カツキ! ばか、お前……」

「ばかは、ないだろ」

「しっ……死ぬやろ。これ」

「かもね。……泣かないでよ、マサト」

 言葉にならなかった。

 腕の中の体がずっしりと重みを増して、おれごと沈んでいく。

「カツキ……。どないしよう」

 まだ泣いてはいなかったけれど、泣きそうではあった。

「なに……?」

 遠くの丘に、黒いものが見えた。大蛇のように長く、太い。

 目をこらした。何匹もの大百足が集まって、一匹の蛇のように見えていた。

「まだ、おったんか! 大百足の群れや。こっちへ来とる」

「まずいね」

「あかん。もう、あかん」

「男に抱きしめられながら死ぬのは、やだなあー」

「我慢せえ。おれだって、しとる」

 おれの声は、ふるえていた。カツキを抱く手は、小手ごと赤く染まっている。

 血が流れすぎた。人の血が、こんなにもあたたかく感じるなんてことは、知りたくなかった。鉄みたいなにおいがする、なんてことも。

「逃げなよ。まだ、間に合いそうだよ」

「ばかなことを言うな。

 ……ミハルちゃんが下ろした神さんが、言うとったやないか。

 『滅びの危機である。ダークムーンのもとへ急げ』って。こんな大それたことに、おれが関わることがあるなんて、考えたこともなかった。

 おれは、お前と、ここに来るためだけに、生まれたのかもしれん……。

 里の暮らしを、つまらない、同じことのくり返しやと思うた罰や。ミハルちゃんと一緒におるだけで、おれは、じゅうぶんすぎるくらいに幸せやったのに。

 それにな。里を出た時から、こうなる覚悟はしとったわ……」

「まじで? そうだったんだ」

「あんがい冷静に考えるたちやで」

「それは、知ってる……」

「そんなら、話が早いわ。

 最期くらい、戦って死にたい。下に置いてもええか」

「えー」

「えーやない」

「……大百足の牙には、毒があるから。二人とも、ころっと逝ける、かも」

「やから、なんで知っとるんや」

「常識だよ……」

 カツキの声には力がなかった。

 ここまでかと観念しかけた、その時だった。

 暗い空から、羽ばたくような音が聞こえた。


「ダークムーン!」

 逃げたと思っていた怪鳥が、淡い色の羽根をばたつかせながら、おれたちがいる方へと向かってくる。

「あかん。ぶつかる」

 ダークムーンの羽毛が、ばらばらっとはがれ落ちていく。

 風に飛ばされて、羽毛が舞い上がる。そのひとつが、おれの顔に当たった。

「見て。鳥じゃない……。あれ、は」

 はがれていく羽毛の中から、別のものが現れていた。

 一体どこに隠されていたのだろうか。長く、細い体が、空にのびていく。大きかった。

「龍やったんか!」

 黒い龍だ。光沢のある、黒々とした鱗。小さな顔と、胴体の前後に生えた手足。体の先には尾がついている。

「なんて、きれいなんだろう。ムサシの都でも、こんなものは、見たことがなかった……」

 カツキの目が、大きく見ひらかれるのを見た。

「カツキ?」

「ああ……。そういうことか」

 つぶやきの意味は、おれには分からなかった。

 龍が、おれの近くになにかを落とした。おれとカツキには一瞥もくれずに、

大百足の群れに向かって飛んでいった。

「なんやろう。丸い……玉?」

「タマじゃない。それは、ギョクだ。

 僕に、当てて」

 つやつやと光っている黒い玉を、カツキの体に当てた。玉がふれたところが、白く光って、息をのんだ。玉は、溶けるようになくなってしまった。

「もう、ない」

「それでいいよ」

 カツキの声は、大百足から傷を受ける前のものと同じだった。

「お前……」

「うん」

 カツキの血が止まっている。

「傷が……。なくなった?」

 ぞわっとした。小手と服のすき間の皮膚に、鳥肌が立っている。

「どういうことや」

 カツキの答えはなかった。

 カツキが立ち上がる。大百足と龍が戦う姿を見つめた。

 龍の牙と爪が、大百足を屠っていく。龍は強かった。

 何匹もの大百足が、龍にかじりつく。

 それを嫌ったのか、ついに龍が火を噴いた。

 大百足が焦げる匂いがした。

 大百足の悲鳴が聞こえた。悲しげな声だった。

「神さんやな」

「……そうだね」

「お前、変な鳥言うてたよな」

「言ったね」

「どっちも、化け物やな。それとも、どっちも神さんなんか?」

「さあ。どうだろうね」

 一匹が逃げだすと、後は敗走するばかりだった。

 仲間の死骸を置いて、大百足の群れが北へと逃げていく。

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