「……おらんね」

 『渡し守』は、いつのまにか消えていた。

「あれって、妖怪? それとも、神様?」

「どっちでもええんちゃうかな。伊勢は、富士山と並ぶパワースポットや。

 ここであれだけ堂々としとるやつは、悪いもんやない……と思うで」

「たしかに」

「鳥羽ちゃん。これ」

 藍色の、松阪木綿のハンカチを渡された。

「なーに?」

「めっちゃ、涙でとるで」

「やだ……。ありがとー」

 涙を拭いてから、伊勢くんに返した。ミエちゃんは鼻水が出ていたので、ジャンパーのポケットからティッシュを出して、拭いてあげた。

「ずびばぜんねい」

「ええのよ。ミエちゃん、帰ろうか」

「あい。……トバ、イセ。これからも、よろしくでいす」

「もちろんよー」

「帰ろう、帰ろう。赤福買うてってええ?」

「ええよ。ねえ、お参りしてへんね。せっかく来といて」

「せやな」

「明日は土曜日やね。近くで泊まれるところを探して……。また、赤福を食べてから帰る?」

「それもええな」

「いいですねい」

「美夏ちゃんに電話するわ」


 美夏ちゃんがため息まじりに許してくれたので、スマホからビジネスホテルの予約をした。二部屋とって、伊勢くんは一人で、あたしとミエちゃんは二人で泊まることにした。

 ホテルがある五十鈴川駅の向こうまで、歩いて移動することにした。

 歩いている途中で、小さなハンバーガー屋さんを見つけた。なぜか全員テンションが上がって、そこで夕ごはんを食べることになった。


「おいしい? ミエちゃん」

「あいー。なんというか、元気がでる味ですねい」

「な。うまいな。……ハンバーガーを食べながら、言うことやないとは思うんやけど。おれ、松阪牛を本場で食べてみたいんよなー」

「あー。あたしも」

「肉だけなら、いただきもので食べたことあるんやけどな。めっちゃ、うまかったわー」

「ええなー。あたし、ない」

「鳥羽ちゃんにも、いつか食べさしたるわ」

「ふふっ。期待しとく」

「あ、ミエちゃんにもな」

「ありがとうでいす」

「なあ。鳥羽ちゃんは、もし旅行するとしたら、どこへ行きたい?」

「東京の明治神宮やね。あと、島根の出雲大社。日光もええね」

「多いなー。バイト増やさなあかんなー」

「無理せんといてね。あたしも、バイト探そうかなー。

 伊勢くんはないん? 行きたいところ」

「恐山やな」

「へー」

「わたしも、行きたいですねい……。迷惑でなければ、でいすけど」

「ぜんぜん! 一緒に行こうね」

「あい……」

「あと、あれやな。二見の夫婦岩も見たかってん」

「それは、明日行ったらええんやない?」

「せやな」


 それから、三人でもくもくとハンバーガーを食べた。ふとミエちゃんを見ると、小さな手でつまんだポテトをかじりながら、うるうるしていた。

「どしたん?」

「わたしは、しあわせ者ですねい」

「これからよ。ミエちゃん。

 まだまだ、いーっぱいあるからね。楽しいこと」

「せやせや」

「うれしいですねい」


 駅の近くにあった洋服屋さんで、三人分の下着と、明日の分の服を買った。買おうと言ったのは、あたしだった。伊勢くんとミエちゃんにも選んでもらった。

 鳥羽で遊んでから、伊勢くんにおごってもらってばかりいたので、あたしのお金で買おうと思っていた。二人がお店の中をふらふらっとしている間に、レジまでかごを持っていって、伊勢くんになにか言われる前に払ってしまった。


 ホテルに着いたのは、午後八時を少し過ぎたころだった。大人二人と子供一人の宿泊料金を払って、三人で部屋に向かった。

 ミエちゃんは、あたしたちのこどもにしては大きすぎるはずだけれど、フロントの人になにか言われたりはしなかった。そもそも、あたしたちが本当に夫婦だったとしても、ミエちゃんみたいな容姿のこどもが生まれるわけがなかった。

 泊まる部屋の前で伊勢くんと別れて、ミエちゃんと中に入った。

 ユニットバスを順番に使って、ホテルのパジャマに着がえた。

 伊勢くんと話したかった。でも、ミエちゃんが眠るまでは、そばにいてあげたいとも思った。

「ねむたいでいす」

「疲れてもうたんやね……。おやすみ」

 うつぶせになったミエちゃんが、枕に顔をうめる。すぐに眠ってしまった。

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