ミエちゃん、対峙する

「なにかに呼ばれてる気がするのでいす」

 大学の入学式まで、あと三日になった金曜日の朝。

 ミエちゃんが、あたしに訴えてきた。

「なにか、って?」

「わかりません……。でも、行かなくてはいけないと思うのでいす」

「どこに?」

「伊勢神宮でいす」

「ちょっと、待ってね。伊勢くんに連絡するわ」


 伊勢くんに送ったLINEは、お昼になっても既読にならなかった。

「ごめんね。伊勢くん、忙しいみたい」

「そうですかい……」

「あたしと、二人で行く?」

「いいえ。できれば、イセとトバと、三人で行きたいでいす」

「そお……。わかったわ」


 午後一時を少し過ぎたころに、電話がかかってきた。

「伊勢くん」

「ごめんな。バイト中で、わからんかった」

「ごめん。切った方がええかな?」

「や。休憩中やから」

「よかった。あの……。ミエちゃんがね、伊勢神宮に行きたいんやって」

「今日?」

「みたい……。バイト、何時まで?」

「あと一時間で終わる。そしたらな、ケッタで行くわ。待っとってもらえるかな」

「うん。ええよ。ごめんね、忙しいのに」

「ええて。またな」


 午後三時になる前に、外から、自転車が急に止まるような音が聞こえた。

 急いで階段を下りて、玄関からサンダルで出ていくと、汗だくの伊勢くんがいた。全身で息をしていた。

「そんなに、急がんでも……」

「ミエちゃんは?」

「おるよ。美夏ちゃんには、まだ言うてない」

「おれから話すわ」


 玄関の土間にサンダルを脱いで、上がった。

 廊下からリビングに入る。美夏ちゃんはキッチンにいた。

「伊勢くん。いらっしゃい」

「お邪魔します。お姉さん。今から、三人で伊勢に行ってきます」

「えっ? こんな時間から?」

「すいません。どうしても、行かなあかんのです」

「ミエちゃんのために?」

「はい」

「まあ、ええけどね。警察のお世話になるようなことや、ないよね? 美春」

「ない、ない!」

「帰りは? 何時になるん?」

「わからん……」

「ほんまに、大丈夫なん?」

「大丈夫。伊勢くんが一緒やから」

「そお? じゃあ、お願いね。伊勢くん」

「まかしといてくださいやー」

「不安やわー……」

「なんでですかっ。お姉さんっ」

「あたし、ミエちゃんを呼んでくるわ」



 片田から、バスで伊勢神宮に向かった。

 浦田町で下りた。午後五時には、三人で宇治橋を渡っていた。

「急いだ方がええな。六時で閉門や」

「ミエちゃん。どこへ行きたいん?」

「わたしがめざめた場所……。川に面していて、ゆるい階段があるところ」

「御手洗場やな」

「行こう!」


 御手洗場には、人気ひとけがなかった。

 五十鈴川が流れる音以外は、なにも聞こえない。

「来たけど……。どうしたら、ええんかな」

 あたしの横にいる伊勢くんを見て、きいた。返事を聞く前に、伊勢くんの顔がこわばるのが見えた。

「鳥羽ちゃん。川、見てみ」

「えっ?」

 視線を戻して、あたしは息をのんだ。

 たたずんでいる人がいる。川のすぐ近くだ。

「なっ、なんで? 誰も、おらんかったのに……」

「わからん。急に出てきたようにしか、見えんかった」

 あたしたちに背中を向けているので、後ろ姿しか見えない。

 白い着物を着ている。白い袖と裾はしぼられていて、動きやすそうだった。

 細い腰に巻かれた赤い帯は、ひらいた花のような丸い形になっている。今までに、一度も見たことがなかった結び方だった。

 長い黒髪が肩の下までのびている。女の人だと思いかけた時だった。草履をはいた足を動かして、あたしたちに向き直った人の姿は、まだ幼さの残る少年に見えた。

「遅かったな。待ちくたびれたぞ」

 少年がしゃべった。ごくふつうの声に聞こえた。

 でも……。ひらめくように感じたことがあった。

 この人は、たぶん、人間じゃない……。

 思わず伊勢くんを見た。ミエちゃんの肩を抱くようにして、厳しい目で少年を見つめている。

 顔を戻して、一歩前に出た。それでも、あたしと少年の間には、数メートルの距離があった。これ以上は、近づいてはいけないというか……。違う。そうじゃない。

 近づけなかった。

 あたしが感じているのは、畏れだった。

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