ミエちゃん、働きだす

 ミエちゃんがうちで暮らし始めてから、一週間が経った。

 その間に、二人で家の近くを歩いてまわったりした。

 片田稲荷にも行った。この神社の入り口には、すごい数の赤い鳥居が並んでいる。小高いところにある祠には、数えきれないほどたくさんの狐の置物が祀られている。

 ミエちゃんは、少しこわがっていた。


 今日はミエちゃんとなにをしようかなと思いながら、一階にあるミエちゃんの部屋に向かう。

 美夏ちゃんの仕事場のとなりにある洋室は、母さんが寝室として使っていた部屋だ。母さんが再婚して家を出てからは、ずっとがらんとしていたけれど、今はミエちゃんが寝泊まりしている。

「ミエちゃん。なにしとん?」

「トバー。これはですねい、スワヒリ語をニポン語に翻訳するという、立派なお仕事なのでいす」

「……はい?」

「なにか、用事ですかい?」

「ううん。ごめんね。邪魔しちゃって」


 美夏ちゃんの仕事場の襖を開けた。いなかった。

 リビングに行くと、美夏ちゃんはコーヒーを飲んでいた。

「ミエちゃん、仕事をしとるって」

「ああ。それね、私が頼んだんよ」

「でも……。ミエちゃんは、どう見ても、こども……」

「そやね」

「そやねって」

「メールでのやりとりなら、相手方にはわからんのよ」

「う、うわー……」

「正直、助かったわ。スワヒリ語がわかる人が産休でお休みしとって、誰も翻訳できんようになっとったのよ。社長が大喜びしとるわ」

「ほんまに、合っとるん? 間違ってへん?」

「私の友だちの、日本語がわかるケニア人の女性に頼んで、ミエちゃんと電話で話してもらったんよ。ちゃんと通じとったわ」

「ええーっ! すごいなあ」

「読み書きできて、しゃべれるなんて、相当努力したんやと思うわ。天才言語学者ゆうんも、ほんまかもしれんね」

「そお……」

「ただねえ、おかしいっていうか……。なんでやろと思うことがあって」

「うん?」

「英語はわからんのよ。話しかけてみたんやけどね。えらい嫌そうな顔されたわ」

「英語が、わからない……。伊勢で外国の人に話しかけて、ぜんぜん言葉が通じんかったって、言うとったわ」

「あの見た目やったら、英語かフランス語、イタリア語かと思って、全部試してみたんやけど。あかんかったね」

「他は、ドイツ語とか、スペイン語とか? 言葉は、いくらでもあるし……」

「そうやね」

「どうして、日本語と、スワヒリ語だけわかるんやろ?」

「わからんけどね。私は、大助かりやわ」

「よかった、ねえ……」


* * *


 次の日の朝。伊勢くんから電話があった。

「おはよ」

「おはようさん。ミエちゃん、どうしとる? 元気?」

「元気よー。翻訳の仕事を始めたんやって」

「マジか!」

「マジなんよ。スワヒリ語がわかるんやて。

 伊勢くん。この後、うちにくる?」

「行く、行く。このまま、話しながら行くわ」

「あぶないよ」

「準備するだけ」

「美夏ちゃんが、気になることを言ってたの」

「んー?」

「ミエちゃん、英語やフランス語は、わからんのやって」

「へー。お姉さんが話しかけたん?」

「そお。ただねえ、嫌な顔をしたんやて。ミエちゃん」

「ふーん……」

「まったくわからんのやなくて、なんか……。ふくみがあるゆうか、そんな風に感じたんよ」

「なんか、あるんかもな。まあ、そのへんはおいおい……。ケッタで行くわ」

「うん。わかった」

「また、あとでなー」

 電話が切れた。

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