お茶とお菓子を出してあげようと思って、キッチンに行った。

「麦茶で、ええかな……。あと、ビスケット」

 お盆にのせて戻ると、伊勢くんが困ったような顔をしていた。

「どしたん?」

「寝てもうとる」

 伊勢くんにもたれかかるようにして、ミエちゃんが寝息を立てていた。

「ほんまやね。そうっと、寝かせたげて」

「起きへんかな」

 リビングのラグマットの上に、ミエちゃんを寝かせてあげた。

 大きなまぶたに、長いまつげがびっしり生えている。きれいな寝顔だった。

「かわいいなあ」

 思わず、口からもれた。

「せやな」

「お人形さんみたい。見て? ほっぺ、ぷくぷく」

「おれ、アイドルとか、まったく興味なかってん。けど、こう……ミエちゃんを見とると、人が人を推す気持ちが、ひしひしとわかるわ」

「わかる! かわいいよねえー」

「あっ、でもな。おれは、鳥羽ちゃん推しなんは、変わらんから」

「あたし推し? それは、わからんかったわ」

「けっこー、ぐいぐい行っとったと思うんやけどなー」

「初めのころは、あんまし話さんかったやない。伊勢くんと同じクラスになったの、二年の時やったし」

「おれは、一年の時から知っとったよ。鳥羽ちゃんのこと」

「え、そうなん?」

「美化委員で、花壇の世話しとったやろ。かわいい子おるなーって、教室から見とった」

「こわっ」

「なんでや」

「話しかけてきたら、ええのに。じーっと、見てたん?」

「見とったな。中学の時に、ええなーと思うてた子がおったんや。でもな、いざ話しかけてみたら、なんか、思うてたのとちゃうかったことがあって。

 遠くから見とる方が、気楽やったんかもわからんな」

「ふうん……。お布団、用意するわ」

「手伝わして」

「ありがとー」

「どこにあるん?」

「二階の押し入れ。あたしの部屋で寝てもらおうと思うとったんやけど……。もう、寝てもうてるし。今日は、リビングでええかな」


 踊り場のない、まっすぐな階段を上がっていく。布団が入ってる押し入れは、廊下から開けられるところにある。

 押し入れの扉の前まで行って、伊勢くんに声をかけようとした時だった。ふわっと、後ろからハグをされた。

「……伊勢くん?」

 そんなに強い力じゃなかった。でも、たしかに、あたしを抱きかかえている。

「美夏ちゃん、おるよ」

「うん。ハグしたかってん」

 なにか言う前に、ぱっと体が離れた。

「どきどきした」

「おれも」

「あのねえ……」

「あかんかった?」

「ううん」

「えーっと。布団は?」

「ここ」


 下ろした布団にミエちゃんを移動させた。リビングを暗くする。

 あたしがキッチンに行くと、伊勢くんがついてきた。

「鳥羽ちゃんの部屋、行ってもええかな」

「うん。お茶持ってくわ」

 二人とも、ひそひそと小声で話した。


 あたしの部屋に入ってもらった。

 お盆を丸い座卓に置いて、押し入れから座布団を持ってきた。

「座ってええよ」

「ありがとう」

 麦茶の入ったコップを、伊勢くんに渡した。あたしも取って、ぐーっと飲んだ。

「神奈川のこと。知らんかった」

「あ……うん。あんまし、こまかいこというても、しゃあないかなって」

「べつに、ええんやけどな。おれな……。鳥羽ちゃんは三重育ちなんやって、勝手に決めつけとったかもしれん」

「気にせんとって。神奈川は六年、三重は十二年よ」

「うーん……。けどな。向こうに友だちとか、おったやろ?」

「おったけど……。こどもやったから。母さんが三重に戻りたいて思うたんやから、ついていかんとって、思うたよね」

「お姉さんは?」

「美夏ちゃんは、すごく喜んどったよ。

 あたしも……なんやろ。そこまで嫌やとは、思わんかったかな。

 お盆とお正月には、こっちへ帰っとったから。ぜんぜん知らない場所とは、思うてなかったし……。おばあちゃんのこと、大好きやったしね。いろんな事情があったんやろうけど、いちばん大きな理由は、おばあちゃんが病気になってしもうたからやと思うんよ。

 それより、ミエちゃんのことを話した方がええんやない?」

「せやな」

「ほんまに、異世界から飛んできたんかな。どう思う?」

「おれは思うとるよ」

「そお……」

「鳥羽ちゃんは?」

「あたし? 半々……やね。日本へ旅行に来た人たちの、こどもかもしれんよ。迷子になってもうて、ショックで、言葉もわからんようになって……」

「ミエちゃん、日本語わかるやんか。他の言葉がわからんくなっとるとして、日本語がわかる理由は?」

「そしたら、もともと日本に住んどる人たちの、こども?」

「そやったとしたら、知らんことが多すぎると思うで」

「たしかに。シャワーも知らんかったわ」

「車を見て『鉄のイノシシ』は、ないやろ……。どの国で育ったとしても、車くらいは知っとるはずや。秘境とか、人類未到の地にでも住んどったんかな?」

「それって……。こことは別の世界なんかなって、思うてしまうよね」

「せやな。鳥羽ちゃんは、なんかある? 他に、気になること」

「あたし? いろいろ、あるけどね……。

 そもそも、ミエちゃんは何才なん? 本人にも、わからんらしいけど」

「それやな。正直、話してるかぎりでは、大人でもおかしないゆうか……」

「謎やね」

「謎やな」


 伊勢くんと一階に下りて、美夏ちゃんの部屋に行った。

「美夏ちゃん。少し、時間ある?」

「ええよ。開けて」

 襖を開けて、伊勢くんを先にして和室に入った。

「すいません。お仕事中に」

「大丈夫よ」

 美夏ちゃんが仕事の手を止める。あたしたちに向かって座り直した。

 伊勢くんが座るのを待って、あたしも横に座った。

「ミエちゃんの話?」

「うん。ミエちゃんをどうしてあげたらいいのか、わからないの」

「やろうね。私にも、わからんからね」

「えー……」

「こうしよか。明日、私が交番に行って、『伊勢で、こういう女の子を見かけました』って、話してくるわ」

「えっ?」

「連絡先を伝えておいたら、ミエちゃんの親から連絡がくるんちゃう? 探してくれていれば……やけどね」

「美夏ちゃんも、ミエちゃんは別の世界から来たって、思うん?」

「どうやろね……。そうかも、とは思うよ。

 日本語は上手やから、ここで暮らすことはできるやろうけど。本当は、どこで生まれたんやろうね。ただの迷子という感じは、せえへんね」

「そっか……」

「交番に預けてしまったら、たぶん、二度と会えへんやろうね……。ミエちゃんの話が本当なら、誰も、彼女を迎えにはこうへんよ」

「うーん」

「それは、困りますね」

「ミエちゃんは、私のいとこの子ってことにしよう。近所の人には、それで通すわ。

 警察には、ミエちゃんと伊勢で見た子が似ていたから、気になっとるとでも話せば、そうおかしくは聞こえんと思う」

「美夏ちゃん。それ、伊勢くんが参宮案内所の人に言うたのと、まったく同じ……」

「あらら」

「気が合いますね」

「思考回路が似とるんやろうね」

 美夏ちゃんがにこっと笑って、伊勢くんも笑い返した。あたしだけが、なんだか、内心はらはらしていた。

「すいません。おれ、そろそろ帰らんと」

「そうやね。気をつけて帰るんよ」

「はい」

「あたし、そこまで送ってくる」

「ええて。逆に心配なるわ。またな。鳥羽ちゃん」

「あ、うん……」

「車で送ろうか?」

「まだ、バスあるんで。ありがとうございます」

「またね」

「うん。ごはん、ごちそうさまー」

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