7
お茶とお菓子を出してあげようと思って、キッチンに行った。
「麦茶で、ええかな……。あと、ビスケット」
お盆にのせて戻ると、伊勢くんが困ったような顔をしていた。
「どしたん?」
「寝てもうとる」
伊勢くんにもたれかかるようにして、ミエちゃんが寝息を立てていた。
「ほんまやね。そうっと、寝かせたげて」
「起きへんかな」
リビングのラグマットの上に、ミエちゃんを寝かせてあげた。
大きなまぶたに、長いまつげがびっしり生えている。きれいな寝顔だった。
「かわいいなあ」
思わず、口からもれた。
「せやな」
「お人形さんみたい。見て? ほっぺ、ぷくぷく」
「おれ、アイドルとか、まったく興味なかってん。けど、こう……ミエちゃんを見とると、人が人を推す気持ちが、ひしひしとわかるわ」
「わかる! かわいいよねえー」
「あっ、でもな。おれは、鳥羽ちゃん推しなんは、変わらんから」
「あたし推し? それは、わからんかったわ」
「けっこー、ぐいぐい行っとったと思うんやけどなー」
「初めのころは、あんまし話さんかったやない。伊勢くんと同じクラスになったの、二年の時やったし」
「おれは、一年の時から知っとったよ。鳥羽ちゃんのこと」
「え、そうなん?」
「美化委員で、花壇の世話しとったやろ。かわいい子おるなーって、教室から見とった」
「こわっ」
「なんでや」
「話しかけてきたら、ええのに。じーっと、見てたん?」
「見とったな。中学の時に、ええなーと思うてた子がおったんや。でもな、いざ話しかけてみたら、なんか、思うてたのとちゃうかったことがあって。
遠くから見とる方が、気楽やったんかもわからんな」
「ふうん……。お布団、用意するわ」
「手伝わして」
「ありがとー」
「どこにあるん?」
「二階の押し入れ。あたしの部屋で寝てもらおうと思うとったんやけど……。もう、寝てもうてるし。今日は、リビングでええかな」
踊り場のない、まっすぐな階段を上がっていく。布団が入ってる押し入れは、廊下から開けられるところにある。
押し入れの扉の前まで行って、伊勢くんに声をかけようとした時だった。ふわっと、後ろからハグをされた。
「……伊勢くん?」
そんなに強い力じゃなかった。でも、たしかに、あたしを抱きかかえている。
「美夏ちゃん、おるよ」
「うん。ハグしたかってん」
なにか言う前に、ぱっと体が離れた。
「どきどきした」
「おれも」
「あのねえ……」
「あかんかった?」
「ううん」
「えーっと。布団は?」
「ここ」
下ろした布団にミエちゃんを移動させた。リビングを暗くする。
あたしがキッチンに行くと、伊勢くんがついてきた。
「鳥羽ちゃんの部屋、行ってもええかな」
「うん。お茶持ってくわ」
二人とも、ひそひそと小声で話した。
あたしの部屋に入ってもらった。
お盆を丸い座卓に置いて、押し入れから座布団を持ってきた。
「座ってええよ」
「ありがとう」
麦茶の入ったコップを、伊勢くんに渡した。あたしも取って、ぐーっと飲んだ。
「神奈川のこと。知らんかった」
「あ……うん。あんまし、こまかいこというても、しゃあないかなって」
「べつに、ええんやけどな。おれな……。鳥羽ちゃんは三重育ちなんやって、勝手に決めつけとったかもしれん」
「気にせんとって。神奈川は六年、三重は十二年よ」
「うーん……。けどな。向こうに友だちとか、おったやろ?」
「おったけど……。こどもやったから。母さんが三重に戻りたいて思うたんやから、ついていかんとって、思うたよね」
「お姉さんは?」
「美夏ちゃんは、すごく喜んどったよ。
あたしも……なんやろ。そこまで嫌やとは、思わんかったかな。
お盆とお正月には、こっちへ帰っとったから。ぜんぜん知らない場所とは、思うてなかったし……。おばあちゃんのこと、大好きやったしね。いろんな事情があったんやろうけど、いちばん大きな理由は、おばあちゃんが病気になってしもうたからやと思うんよ。
それより、ミエちゃんのことを話した方がええんやない?」
「せやな」
「ほんまに、異世界から飛んできたんかな。どう思う?」
「おれは思うとるよ」
「そお……」
「鳥羽ちゃんは?」
「あたし? 半々……やね。日本へ旅行に来た人たちの、こどもかもしれんよ。迷子になってもうて、ショックで、言葉もわからんようになって……」
「ミエちゃん、日本語わかるやんか。他の言葉がわからんくなっとるとして、日本語がわかる理由は?」
「そしたら、もともと日本に住んどる人たちの、こども?」
「そやったとしたら、知らんことが多すぎると思うで」
「たしかに。シャワーも知らんかったわ」
「車を見て『鉄のイノシシ』は、ないやろ……。どの国で育ったとしても、車くらいは知っとるはずや。秘境とか、人類未到の地にでも住んどったんかな?」
「それって……。こことは別の世界なんかなって、思うてしまうよね」
「せやな。鳥羽ちゃんは、なんかある? 他に、気になること」
「あたし? いろいろ、あるけどね……。
そもそも、ミエちゃんは何才なん? 本人にも、わからんらしいけど」
「それやな。正直、話してるかぎりでは、大人でもおかしないゆうか……」
「謎やね」
「謎やな」
伊勢くんと一階に下りて、美夏ちゃんの部屋に行った。
「美夏ちゃん。少し、時間ある?」
「ええよ。開けて」
襖を開けて、伊勢くんを先にして和室に入った。
「すいません。お仕事中に」
「大丈夫よ」
美夏ちゃんが仕事の手を止める。あたしたちに向かって座り直した。
伊勢くんが座るのを待って、あたしも横に座った。
「ミエちゃんの話?」
「うん。ミエちゃんをどうしてあげたらいいのか、わからないの」
「やろうね。私にも、わからんからね」
「えー……」
「こうしよか。明日、私が交番に行って、『伊勢で、こういう女の子を見かけました』って、話してくるわ」
「えっ?」
「連絡先を伝えておいたら、ミエちゃんの親から連絡がくるんちゃう? 探してくれていれば……やけどね」
「美夏ちゃんも、ミエちゃんは別の世界から来たって、思うん?」
「どうやろね……。そうかも、とは思うよ。
日本語は上手やから、ここで暮らすことはできるやろうけど。本当は、どこで生まれたんやろうね。ただの迷子という感じは、せえへんね」
「そっか……」
「交番に預けてしまったら、たぶん、二度と会えへんやろうね……。ミエちゃんの話が本当なら、誰も、彼女を迎えにはこうへんよ」
「うーん」
「それは、困りますね」
「ミエちゃんは、私のいとこの子ってことにしよう。近所の人には、それで通すわ。
警察には、ミエちゃんと伊勢で見た子が似ていたから、気になっとるとでも話せば、そうおかしくは聞こえんと思う」
「美夏ちゃん。それ、伊勢くんが参宮案内所の人に言うたのと、まったく同じ……」
「あらら」
「気が合いますね」
「思考回路が似とるんやろうね」
美夏ちゃんがにこっと笑って、伊勢くんも笑い返した。あたしだけが、なんだか、内心はらはらしていた。
「すいません。おれ、そろそろ帰らんと」
「そうやね。気をつけて帰るんよ」
「はい」
「あたし、そこまで送ってくる」
「ええて。逆に心配なるわ。またな。鳥羽ちゃん」
「あ、うん……」
「車で送ろうか?」
「まだ、バスあるんで。ありがとうございます」
「またね」
「うん。ごはん、ごちそうさまー」
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