【前日譚SS】二人が出会う数日前 ~リヒトの場合~

「リヒト様ー! 書類をお持ちしましたよー!」

「……カーマ。いつも言っているが、せめてノックぐらいはしろ」


 ノックもせずやけに明るい声を響かせながら執務室へと飛び込んできたカーマに、私がこう返すのはもはや恒例になっていて。けれどだからこそ、誰が聞いているのかも分からないこの場所ではいい意味で無警戒になる。

 事実、飛び込んできて扉が閉まるまでの間はいつものように軽口を叩いていたというのに。


「例の方から、こちらをお預かりしております」


 誰にも会話を聞かれない状況になった途端に、本当の姿に戻るのだから。

 いつも思うが、この男は本当に要領がよすぎる。よくここまで素早く切り替えが出来るものだ。


「正直なところを申し上げますと、まだ私は信用しきって良いものか判断できておりません」

「そう言われると、私はお前も疑わないといけなくなるんだが?」

「ですから、正直なところを申し上げますと、です」


 手渡されたのは一枚の封筒。差出人の名前すら書かれていないそれが、モートゥ侯爵からの物であることはよく分かっていた。現在私にこのような形で連絡を取れる相手など、彼しかいないというのが実情だからなのだが。


「だが情報が間違っていたことなど今までに一度もない。何より父上と母上の前で誓ったあの言葉が嘘だったと、私は思いたくないな」


 まだ私が幼い頃、父上と母上が本当に信頼できる部下たちだけを集めることが出来たほんの僅かな時間の間に、モートゥ侯爵は二重スパイとして今後行動するという報告と同時に私自身への忠誠を誓ってくれた。万が一あれが噓だったとすれば、全てがあちら側に筒抜けになっていることになる。そうなれば本当に、この国も終わりだろう。


「父上と母上の周りも、年々アプリストス侯爵の息がかかっている者が増えてきている。私に至っては信頼できる部下など片手で足りるほどだ」

「それに関しましては重々承知しております」

「だからこそ、こういった形で情報を与えてくれる存在は貴重だろう?」


 父上と母上が自由に身動きが取れない状態になってきていることも、私の周りは護衛ですらあちら側の人間である可能性が高いことも、全てが現実なのだから。ほんの僅かであってもこの状況を打破することのできる情報があるのならば、せめて今以上に良くない状況にならないように出来るのであれば、それはやはり必要なものなのだ。


「せめて、確実に信頼できる相手が一人でもいればよかったのですが……」

「いたとしても自由には動き回れないだろうな。現段階では、そんな人間を見つけられる可能性は無いに等しい」


 私が確実に信頼できる部下たちは、出入りできる場所が限られている。何よりカーマもそうだが、常に誰かに見張られているのだ。優秀さを少しでも他人に見せてしまえば、その時点で私の側から外される。そうして多くの部下たちを失ってきた私にとって、もはやそんな存在は夢物語のようなものだった。

 そう、だから。


「無い物をとやかく言うよりも先に、まずは追加の書類を片づけてしまうか」

「承知いたしました」


 まさかこの数日後に、そんな夢物語を体現したような存在に出会うことになるなど。

 この時の私はまだ、何一つ知らなかったのだ。






―――ちょっとしたあとがき―――


 本日更新の近況ノートにも、ちょこっとだけ二人のやり取りがあったりします(笑)

 興味がある方は覗いてみてください♪


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