第7話 病院での死闘



 案の定、病院内には死人が溢れていた。

 患者だった者も医者や看護師だった者も皆が濁った目で院内を彷徨い歩き、時折、充電を終えた清掃用無人機が通過する。

 しかし血や他の体液で汚れた院内はいつまで経っても綺麗になる事はない。清掃された床は次の瞬間には死人たちが汚していくからだ。無人機は動く死人を人間と見なしてはおらず、警告や注意もせずに障害物と認識してそれらを回避していた。

 それを眺めているのは金剛重工が結成した物資回収班だった。

 それに参加させられた悟空とロニはひそひそと話を始める。

「なるほど。中に生存者はいるはずないな……」

「ひでえ匂いだなあ」

 悟空は風に乗って送られる腐敗臭がたまらず、眉間にしわを寄せて鼻をつまんだ。

「この中から薬をとっていくのか?行きたくねえ」

「誰だってそうさ。とはいえ仕事だ。さぼるわけにいかない」

「ああ、さぼったら飯がもらえないんだよなあ……。なあ、薬をたくさん持って帰ったらお前らもっと飯がもらえるのか?」

「そりゃそうだろう」

 ロニの返事を聞いて悟空は初めてやる気を出した。

「よし!たくさん持ち帰って蟹もらおうぜ!」

「しっ!静かにしろ」

「皆さん、最後の確認をしておきます」

 回収班の長である男が全員を見回して言った。

 その顔は悟空たちに苦笑する。しっかり聞こえていたからだ。それでも雑談する新人2名を怒らないのは彼が敷地内を案内し、悟空が並外れた格闘家であると気づいた袁だからだ。

「この医院はまだ未開拓なので今日は1階の制圧を目標にします。何度も言いますが、一体ずつおびき出して叩く以外には何もしません。無人機や設備の破壊も禁止です」

「あんなに大勢いるのにか」

 ロニが小声でぼやいた。

 それを耳ざとくとらえた袁は苦笑した。

「”力王”で処分できたら楽なんですけどね。孫さんなら死人を片っ端から片付けていくなんて無理ですかね?ははっ」

 もちろん袁は冗談のつもりで言った。

 しかし、悟空はニカッと笑うとタングステン製の如意棒を伸ばしてくるくる回した。

「おう。任せとけ」

「え?」

「おい!今のは冗談だからな!」

 ロニが慌てて彼の服を掴んだ。

 今すぐ狂人のように病院へ突っ込こみかねないと思っていた。

「よくわかんねーけど、この銃ってやつは使わない方がいいんだろ?」

 そう言って彼は自分に支給された銃をロニに放り投げた。

 元からこの奇妙な武器を使いこなせる自信はなく、棒術の方がはるかに扱いやすいと思っている。

「たくさん死人を片付けたら飯も増える。そうなんだよな?」

「え?確かにそうですが……まあ、最初は見学しててください……」 

 そう言って袁は部下たちと病院の制圧方法を彼らに見せ始めた。

 まずは患者や病院関係者の死人を端から切り崩すように小さな音や子供が遊ぶ無線機で一体をおびき寄せる。興味を引くかは運次第な所があるが、他の死人の目に入らない所へ誘導できた時は背後から2人がかりで撲殺する。その繰り返しだった。

 単調ではあるが死人を撲殺する者たちはすぐに体力と精神力を減らし、びっしょりと汗をかいていた。

「なるほど。時間はかかるが安全確実だ」

 ロニは処理方法を見ながら素直に褒めた。

 隣にいる悟空は口をヘの字に曲げている。

「それじゃ時間かかってしょうがねえだろ。俺がぱぱっと片付けてやるよ」

「やめろ。音を立てたら仲間が集まってくるんだぞ」

 ロニは全く信用してないらしく、彼の警棒を持って制止した。まるで犬のリードを持つように。

「へへん、それくらい知ってるぜ。要は音を立てずにやればいいんだろ?」

 悟空も死人の集団から逃げた経験があるが、その上で言っていた。

 他の回収班よりも素早く確実に死人を仕留める時間があり、悟空が頼み込むと袁は何をやるのか興味が湧いたらしくそれを許可した。

 ロニの渋い顔が見守りながら誘導してきた死人に悟空は背中から忍び寄った。

「はぁぁぁ……ふっ!」

 悟空は息をいくらか吸い、短く吐いた瞬間に死人の頭をタングステン警棒が突いた。いや、突いたかと思えばその直前で止まり、そこで悟空が一気に両腕を薙ぐと頭部がぐしゃりと果物のように割れた。

「ほら、静かにやれただろ?」

「こ、これは……」

「え?何、やったんだ?」

「これはあの時と同じ……寸勁ですね?」

「んー、まあ、似たようなもんだ」

 袁の問いに悟空は微妙な反応を返した。

 実際には人間が格闘技を磨いて到達できる次元ではないのだが、説明するのが面倒だった。

「凄まじい威力です……ひょっとしてあの警備員と試合した時も本気で殴ればこうなったんですか?」

「ああ、そうだぞ」

 当たり前のように言った彼にその場の面々が若干怯えていたが、これで死人にとどめを刺す係は決定した。本人が乗り気という事もあり、死人は誘導されると即座に悟空に頭を砕かれていった。普段よりもはるかに早く死人を処理してゆき、1階の死人は1時間で一掃された。

「信じられませんよ……本当にあなた一人が病院に突っ込んでいけば死人を駆逐できる気がしてきました」

「だろ?じゃあ、2階は俺だけで……」

「あー、もちろん冗談だからな?」

 悟空の服をがっしりと捕み、させるものかとロニが頑張っていた。

 どこか羨望の目をする袁はこの分なら今日はかなりの収穫が得られそうだと思い始めていた。だが、そこで外を監視していた男が小走りにやってきた。

「袁さん、4人がこの病院に来ます」

「死人か?」

「いいえ、生きた人間です。ただ……」

 男が小声で何かを言うと袁は全員を裏口に集合させた。

「なあ、なんでこんな所に隠れるんだ?」

「静かにしてください」

 袁らしくない鋭い声だった。

「病院の物資目当てに生き残った奴らが来たんです」

「つまり、そういう連中ってことだな?」

 事情が察せたロニは面倒を押し付けられたという顔になった。

「ええ」

 そう言った袁の瞳には死人と対峙したような警戒があった。

 彼らは病院に入ってきた4人に接触せず、小さな無人観測機を置いて様子を見守る事にした。

 死人が一掃された1階に入ってきた彼らも物資を漁り始め、時折、「薬があったぞ」「この金庫、持って帰ろう」という声が聞こえてきた。

 喧しくお世辞にも死人がうろつく世界で長生きできる集団とは思えなかった。

「なあ、いいのか?薬を持っていかれちまうぞ?」

「よくないですね……ただ……」

 悟空の質問に袁は何かを迷っていた。

「端的に言います。彼らはおそらく社会のクズどもです」

 彼がそう断じたのは体に所属を示す刺青があり、違法改造銃を腰に差していると報告されたからだ。どんなに豊かな社会になってもそこからこぼれた落伍者はおり、その中には悪の道に走る者がいるのは人の世の常だろう。

「こっちは軍用銃だ。負けはしないだろうが、撃ち合いになったら死人が集まってくる。そういうことだな?」

「ええ……どうすべきか……」

 ロニの質問に短く答えた袁はまだ思案を続けていた。

「だが、放っておいても時間の問題だぞ」

 ロニがそう言ったのは階下の集団が警備用無人機を攻撃し始めたからだ。

「器物破損を確認。早急に停止し、身分証を提示してください」

「うるせえ」

「こいつ、分解して金にできねえのか?」

 警備用無人機と言っても病院配備のそれに攻撃手段などない。

 警告を続けるのみで無作法な集団に蹴りつけられているらしい。

「糞。あいつら、なんであんなに騒げるんだ?」

「病院の死人は全部片付いたと思ってるんだ。馬鹿め」

 ロニは自分の銃を見つめていた。

 音さえ出なければ撃ち殺してやりたいという顔だった。

 死人は一掃されていない。そんな可能性が頭に浮かばないのか。あるいは少数ならどうにでもなると多寡をくくっているのか。社会の落後者たちは警備用無人機を壊し始め、雑にあたりを物色していく。

「どうする?上の階の死人が気付いてもおかしくない」

「死ぬほど惜しいですが、今は退きましょう。正直に言います。あいつらが死人に噛まれて死んでくれたらほっとしますよ」

「全然わかんねえけど、4人とも追いはぎみたいなもんか?」

「速い話、そうです。でも、何もしないでくださいね。騒ぐと何が起きても……」

 袁がそう言いかけた時、恐れていたことがやってきた。

 ただし、死人よりももっと危険なものが。

「お、おいっ!あれって……」

「うわっ!」

 4人組は病院の壊れた窓からそれの接近に気づいた。

 ガシャガシャと6本の足を動かし、銀色の機体の肩には黒い機銃を乗せた機体。軍用無人機”鉄蜘蛛”が病院に近づいてくるのだ。

 彼らは知らなかったが、病院の人工知能は犯罪行為が起きたとみなして警察に緊急通報していた。それだけなら警察はすでに壊滅しているので問題なかったが、偶然にも近くにいた軍用無人機”鉄蜘蛛”が治安維持の命令を実行するため応援に駆け付けてしまった。

「ああ、今日は最悪だ……」

 悟空の傍で誰かがそうつぶやいた。

「く、来るんじゃねえ!」

 4人の一人が改造銃を向けた。

「馬鹿が」

 ロニの声の直後に銃弾が発射され、病院内に響き渡った。

 上階から死人達の呻き声がいくつも上がり、鼠の大群が走るような足音が彼らの鼓膜を打った。

「に、逃げますよ!」

「お、逃げちゃうのか?」

「当たり前だろ!」

 袁、悟空、ロニの順番で言葉が交わされ、回収班は走り出した。

 玄関からは悲鳴と銃撃がさらに重なった。殺傷攻撃を許可されていた”鉄蜘蛛”が4人の男たちを戦場の敵とみなしたのだ。

 機銃の音がけたたましく響き、死人達も獣のような雄叫びをあげた。

「やばいぞ!あの”鉄蜘蛛”、弾が切れてない!」

「逃げろ!逃げろ!逃げろ!」

 袁を先頭に回収班は車へ駆け出したが、めざとく彼らを見つけた死人たちが窓から飛び出してきた。袁の部下の1人はもはや発砲を控える意味もないと死人に向かって銃を向けた。

「く、来るなあ!」

「やめろ!」

「よせ!」

 袁とロニの制止は遅すぎた。その男は発砲してしまい、さらに死人達の意識を彼らに向けた。

「馬鹿!玄関のやつらが囮になってくれてたんだぞ!」

 この時、袁は死人達がさらにやってくることを恐れたが、ロニが恐れたことはもう1つあった。”鉄蜘蛛”の注意を引き付ける事だ。

 案の定、病院の裏口から扉を破壊して鉄の塊が飛び出してきた。

「識別信号なし。敵勢力と認定」

 ”鉄蜘蛛”はそう言うと2つの機銃を袁たちに向けて撃ち始めた。

「ぎゃああああっ!」

 1人が全身に弾丸を浴び、血まみれになって倒れた。

 その瞬間、悟空は走る向きを真逆に変え、”鉄蜘蛛”に突っ込んでいった。

「うおおおおおっ!」

「クソ!あの馬鹿!英雄野郎め!」

 ロニは悪態をついたが、その行動が最適解であるともわかっていた。

 ”鉄蜘蛛”は正確に狙いをつけ、このままでは10秒もかからず全員を射殺しただろう。たった1人、額に銃弾を受けてもかすり傷で済んだ男以外は。

 ならばその男が”鉄蜘蛛”の注意を引き、その間に車に乗るのが正解だ。

 もっともロニは拳銃と軍用兵器の威力が同じとは思っておらず、悟空がバラバラにされる未来をいくらか覚悟していた。もちろん自分たちも数秒後にそうなると。

 だが、彼は奇跡を目撃することになる。

「うりゃあああああっ!」

 悟空は全身に浴びる機銃掃射を「すごく痛い」と思いながらも怒りに任せて大地を蹴り、”鉄蜘蛛”の背中に飛び乗った。そこなら銃で撃たれないという計算が合ったわけではない。そうしないとただ殴れないからだ。

「痛えじゃねえかああっ!」

 痛みを堪えながら拳を振り下ろし、強化装甲に穴をあけるともう片方の手で獣の皮を剥ぐように銀色の装甲を引き千切った。”鉄蜘蛛”の周囲には死人達が走り寄り、暴れる機体をよじ登ってきた。

「このおおおおおおっ!」

 悟空は”鉄蜘蛛”の足を素手で引き千切るとそれを振り回して死人達を撲殺した。

 ”鉄蜘蛛”にしがみつきながら死人を鉄塊で殴る。もはや人外同士の戦いにしか見えないそれを見たロニは夢を見ているのかと思ったが、考える事を後回しにして車に負傷者と仲間を乗せた。

「クソ!クソ!クソ!」

 回収班になど入るべきじゃなかった。

 彼は強く後悔しながら無人車に帰還指示を出す。本来なら袁の仕事であるが、それはできなかった。”鉄蜘蛛”は彼らを発見した際にもっとも首謀者の可能性が高い標的を狙った。血まみれで倒れたのは袁だった。

「おい!あいつは置き去りにしていいのか!」

 そう言ったのは袁の部下だ。その名前を思い出そうとしたロニは二重の意味でどうでもいいと首を振った。

「無茶言うな!死人があんなに来てんだぞ!」

「お前の仲間だろ!?」

「あいつは……たぶん大丈夫だ!俺たちはとにかく逃げるんだ!」

「あいつ、一体何者なんだよ!」

 動き出した車の後方では蟻にたかられる虫のように”鉄蜘蛛”と悟空が死人の群れに包まれていた。しかし、彼らは見た。悟空が”鉄蜘蛛”についに致命的な一撃を見舞って機能停止させ、数百キロの体を悟空が振り回す姿を。

「おい、さすがに嘘だよな!?」

「人間じゃねえ……」

「資源回収班!いるか!大至急応答せよ!」

 袁の無線機から声が聞こえた。

「こち……ら……ぅぅ……」

 袁は血の気の失せた唇を動かして応答しようとした。

「替われ!おい!こっちは非常事態だ!糞ったれ!」

 ロニが無線機に向かって怒鳴った。

 彼が重傷者が1人出たので連れて帰ると報告しようとしたが、無線の向こう側で銃声が聞こえる事に気づいた。連絡を入れた男は彼以上に大きな声で叫んだ。

「こちらこそ非常事態だ!今すぐ帰還しろ!敷地内に死人が現れた!」

「はあ!?」

 その連絡を聞いた彼は驚き、自分が金剛重工をいくらか信用していたことに気づいた。そしてその自分を呪った。

 もちろん今の世界ではどこの避難所だろうと死人が暴れて内部崩壊する危険がある。だが、金剛重工に限っては豊富な武器と重機があり、強い監視と警備が敷かれていたのでしばらくは持つと期待してしまった。

「避難民が死人になったのか!?」

 ロニはそう問いながらもおそらく違うと思った。言い方は悪いが、避難民はいつ死人になってもいいように他と隔離されていた。警備の厳重さを直接見ていた彼はそこで問題が起きても対応できるように思えた。

「違う!治療棟だ!」

「そっちも警備は厳重だっただろ!」

 救いようのない間抜けが鍵でもかけ忘れたのかと彼が言おうとしたとき、無線の向こう側は躊躇いながら叫んだ。

「死人の一人が銃を使っている!」

「……は?」

 彼は相手が何を言ってるのかわからなかった。

「なんと言った?」

「銃を使ってるんだ!だから応援に来てくれ!」

 ロニの中で再び常識が崩れ落ちた。

 死人がそんな行動を取れるなら今までの防衛体制は何の意味もなくなる。恐怖が彼を飲み込みかけたが、鋼の意志で現状を把握しようと努めた。

「それは一人か!?死んだ警備員や兵士も使うのか!?」

「い、いや!おそらく1人だけだ!」

 その言い方は全く当てにできないと思いながらも彼は全員が知性を持つ死人になるわけでないと予測した。ならばまだ勝機はあるとも。

「ぁ……ぅ……」

「袁さん!しっかりしろ!」

 袁は仲間が必死に血止めをして呼びかけていたが命の火が消えるのはもう時間の問題だった。もはや1分持つかどうかだ。

 その瞬間、ロニは自分が持ってきた仙丹を使うべきか考える。

(出血が多すぎて絶対に間に合わない。無駄だ。翠蘭や美朱たちにとっておくべきだ)

 冷静な自分がそう言った。

(俺を恨め……いいか、俺だけを恨めよ……)

 ロニは非情な決断を下し、袁の目を見た。

 その目はなぜか穏やかだった。

「頼み……ます……」

 袁はかすかな声で呟き、ロニはその意味が何かすぐにわかった。

「お前は警察官の鏡だ」 

 彼はそう言い、袁の死体に銃を向けた。

「何をしてる!?」

 1人がそう言った瞬間、彼は引き金を引いた。

 無人車の中に血が飛び散り、沈黙が生まれた。

「助からない奴は死人になる前に頭を撃つ!もう忘れたか!」

 彼は袁が言いたかったことをそのまま告げた。

 車内に嗚咽が始まり、ロニは走る車の後方を見た。

 期待した通り、遠くから土煙が上がって何かがやってくる。時速50キロで走る車に追いついたのは血まみれの悟空だった。

「おーい!あの虫は片付いたぞ!死人は切りがねえから逃げてきた!」

 悟空は車と並走しながらロニに語り掛けた。

 意味不明な光景を見て嗚咽さえ止まった回収班の面々は無視し、彼は最も重要な事だけ告げた。

「翠蘭たちのところで死人が暴れてる!すぐに行け!」

「はあ!?……わかった!」

 彼は車内に横たわる袁の死体をちらりと見たが何も言わず目礼だけして走る速度を上げた。

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