第5話 金剛重工公司


黄浦江。上海を流れる大河にかかる橋で悟空たちの車が止まっていた。

「どんな冗談だ……」

 ロニはつぶやいた。

 川にかかった橋の真ん中に巨大な重機械が居座っているからだ。縦にも横にも20メートルを超えるそれは重量200トンを越える解体重機「力王」だった。

 100年前から現役で使われているそれは過去の名残りとして操縦席が残っていたが、当然そこには誰もおらず、冷酷な人工知能が車体を操作していた。下半身に無限軌道を付け、どんな建物も破壊できそうな球形の掘削機の腕を2本持つ。その周囲には死人たちの残骸がひき肉となっていた。

「なんで通せんぼしてるわけ?」

 仙丹で今も治療中の美朱が愚痴た。

 彼らはこの無人機に道を塞がれて立ち往生している最中だった。

「接近するものは全部破壊する設定なんだろうな。この先は金剛重工の工場だ。おそらくだが、そこが死人の侵入を止めてるんだ」

「こんなの持ってるなら私達を助けてくれたっていいじゃない!」

「だからこうして待ってるんだよ。俺達に気づいたなら無線か何かで誰か接触してくると思うんだが……このまま無視されるなら迂回するしかない」

 ロニは憮然とした表情で巨大重機を眺めた。

「おっきいねー」

「ああ、でっけえなあ!こいつ、どかないのか?やっぱりぶっ飛ばしてやろう!」

「やめてください、孫さん!今度は本当に死にます!」 

 翠蘭が慌てて止めた。

 悟空はすでに出会った際に不用意に近づいて挽肉にされかけていた。

「でも、すごかったわー。削岩機をひゅーっと避けて機体を殴ってたじゃない?ドーンってすごい音してたし、その腕、義手なの?足でも蹴ってたし、全身手術でも受けたの?」

 美朱は「力王」と戦おうとした彼の体を触ろうとしたがロニに止められた。

「おい、こいつの事は気にするなって言っただろ」

「でもぉ……」

「あー、聞こえるかね?」

 拡声器を通じた男の声が重機から聞こえていた。

「こちらは金剛重工の警備部。君達は避難者か?」

「ああ!そうだ!」

 ロニは重機から距離をとったまま大声で返事をした。

「そうか。我々は君達のような避難民を大量に保護している」

「なら俺達も保護してくれ!」

「無理だ。我々は収容できる限界人数まで保護しているからな。これ以上受け入れれば誰かを追い出す事になる」

「言うと思ったよ……」

 その声だけ小さかった。

「そりゃあ残念だ!じゃあ、一晩だけ隅に泊まらせてくれ!食料もいらない!朝になったらすぐ出ていく!」

「そう言った者たちが大勢居座っているんだ。略奪を試みて戦闘になった事もある。悪いが敷地内には入れられない」

「もうすぐ日が暮れそうなんだ!意味はわかるだろう!?」 

 西の彼方では微かな夕日を暗雲が覆っていた。悟空たちは死人の群れを極力避けて進み、やむなく彼が戦闘を行う時もあったためすでに陽が沈みかけていた。どこかで一夜を明かすしかないが、少しでも安全な場所を確保したいのは当然だった。

「駄目だ」

 冷徹な声はそう言うとロニの言葉に沈黙を貫いた。

「さあて、どうする?」

 ロニは憎々しげな顔を隠さず、車内で意見を求めた。

「素直に迂回して、今日はどこかの民家で泊まるか?」

「それしかないのでは?」

「えー、もっと頼んでみましょうよ。たぶんここより安全な場所はないわ。最悪、車の中で寝るけど、できたらベッドで寝たいし、できたら食事も……ううん、そこは我慢するわ」

「連、お前は?」

「え?僕は……よくわかんない」

「正直に言え。中の方が安全だ。そっちで寝たいんだろ?」

「う、うん……」

「英雄先生、お前は?」

「俺か?知らね。そっちで好きに決めてくれ」

「ねえ、英雄先生ってどういう……はいはい!私は仲間外れね!ふんっ!」

 ロニの一睨みで美朱はそっぽを向き、彼は一人で思案した。

「俺はあっちの連中と取引してみたいと思ってるんだが、どう思う?」

「取引……ですか?」

 翠蘭を含め、全員の視線を受けた彼は懐から軍用治療薬である仙丹を取り出した。

「これを見返りにいくらか渡せば寝床どころか水と食料ももらえるかもしれない」

「あー、なるほどね!いいじゃない!」

 仙丹に救われた美朱はすぐに納得して同意した。

「むこうも軍用治療薬なんて持ってないでしょうし、かなり融通してもらえるんじゃない?恥を忍んで言うけど、私、すごくお腹が空いてるの」

 一瞬の沈黙が生まれた。

「お前だけだと思ってるのか」

「ロニさん!ま、まあ、美朱さんは大怪我してましたし、食事できる状態じゃなかったですから……」

「そうなのよ!仙丹は打ってもらったおかげで食事も摂れそうなの!体を治すには栄養が必須でしょう?よく言ってくれたわ、翠蘭ちゃん!」

 彼女は擁護してくれた翠蘭を絶賛した。

「まあ、食料の問題はどうにかしなきゃならんな」

「そうですね。お店はどこも……」

 翠蘭は食料を扱うような店や自販機はすでに略奪されていたことに触れた。

 生存者たちが死人を避けながら奪い合ったのだろう。ガラスが割られ、戦いの形跡があるものも多かった。

「唯一無事なのは自家発電できて強力な警備無人機を置いてる所。つまりこういう大企業ってわけだな。だが、取引するには1つ問題がある」

「何よ?」

「俺達が仙丹を持ってると知ったら奪い取ろうとする危険がある」

 彼の言葉に翠蘭たちは一瞬息を止めた。

「秩序が維持できるようだし、可能性は低いが、絶対じゃない」

「あ、あなたって本当に疑り深いわよね……」

「悪かったな」

「大丈夫だと思いますけど……」

 翠蘭は消極的に言った。

「むこうの人たち、悪い人なの?」

「わからないんだ、連。信じるか信じないか。それだけだ」

「悪い奴なら俺がボコボコにしてやるぜ!」

 悟空だけは陽気に言った。

「そ、そうね!何かあったらこの孫悟空先生にやっつけてもらいましょう!」

 美朱が明るい声でそう言い、ロニは車から出た。

「おーい!カメラで見えるだろ!」

 彼は仙丹の容器を手でかざした。

「これが何か知ってて、交渉する気があるか答えてくれ!」

「待ってくれ」

 返事はすぐにやってきた。

「それは本物か?民間人が持てるはずがない」

「手に入れた経緯はどうでもいい。本物かどうかを確認するかも含めて交渉する気はあるか?」

「少々待ってくれ」

 重機はしばらく沈黙し、代わりに無人運搬車が1台やってきた。

 企業内部の無人車は今も制御できるのだろう。

「待たせたな」

 今度は無人車から声が聞こえた。

 ただし、今までよりも年齢が高く、声に威厳をまとわせていた。

「私は警備部門の周だ。それが本物なら敷地内で一泊しても構わない」

「それだけじゃ嫌だね」

「何……いや、当然か」

 周という男は短気や狭量ではないようだ。

「ああ、当然だ。これを手に入れるのにどれだけ苦労するかわかるだろう?」

「強化兵から奪い取るのは確かに大変だ。死人にせよ生きた兵士にせよ」

 周は卑劣な手段で奪い取った可能性に触れ、それを聞いたロニは機嫌を悪くした。

「俺達は略奪者じゃない」

「わかってる。侮辱する気はないし、手に入れた経緯も問わない。問題はそれが本物か。そして見返りに何を要求するかだ」

「本物だ。調べる手段くらいはあるだろう?こっちは5人が一晩泊まれる場所。それと5人分の食料を2日分もらいたい」

「大きく出たな」

「ああ」

 沈黙が降りた。

 その間、ロニは緊張を顔に出さないように努めた。いくら効果の強い治療薬といっても1人の命を救うだけだ。吹っ掛けているという自覚はあるが、ここから要求を徐々に下げるつもりだった。しかし相手が感情的になる危険はあり、その境界線を越えてはならない。

「わかった。それでいい」

 それを聞いたロニは一瞬驚いてしまった。

 そしてあわてて表情を繕うが、遅すぎた。

「驚いたかね?大きな声では言えないが、5人程度ならどうにかなるんだ。それをきっかけに数がぞろぞろと増えるのを恐れている」

「収容人数が限界というのはやっぱり嘘なんだな?」

「非道と思うかね?」

「まさか」

 彼はそこを責める気はなかった。

 どんな分野でも安全係数というものがあり、余裕を持たせないのは危険だ。

「話が早くて助かる。ああ、その仙丹が本物なのはもう確認した」

「何?」

「詳しく言えないが、識別方法があるんだ。未開封であるのもわかってる。車で中へ入ってくれ。その運搬機の後をついてきてくれればいい」

 ロニは罠である可能性を考えたが、結局は承諾した。

 車に戻ると美朱が開口一番にこう言った。

「ご飯がもらえるのね!?最高じゃない!」

「ああ」

 彼は実際にはまだ危険があると思っていたが、それを話したところで彼女たちには何もできないので自分だけが悩むことにした。

 運搬車の後をついていくと野外に散開した避難民たちが確認できた。

 どれもが疲労した顔をしており、暗い目で彼らの乗る車を眺める。避難民の中には川で釣りをしている者もいた。

「そうか。川で魚が釣れますもんね。思いつきませんでした」

 翠蘭にはそれが名案に見えた。

 とはいえ、彼女は釣りなどしたこともなく魚を得られる自信はない。

「僕、お魚好き!」

「俺も食いてえな。ちょっと捕まえてくるか!」

「やめろ。火を通しても食中毒の危険がある。やるなら他の手段がない時だけだ」

「仙丹があるじゃない?」

「どんな贅沢だ。そもそもあれは負傷兵の治療用で細菌やウイルスへの効果は絶対じゃないんだ。そういう病気は専門の治療薬が要る」

 そんな会話をしながら運搬車をついていく社宅らしき建物に到着した。

 そこでやっと本物の人間が彼らを出迎えた。

 しかし、それは全員制服の肩から銃をぶら下げており、彼らに緊張が走った。

 だが、彼らの前に立つ50代の男だけが紳士的な笑みを浮かべて手を振っており、ロニは彼が何者かを薄々察する。 

「改めて挨拶しよう。警備隊長の周芳だ」

 その声は運搬車から聞こえたものと同じだった。

「やっぱりか。俺はロニ。車に乗ってるのは孫と陽、林と周だ。よろしくな」

 ロニだけが車を降りて彼の前に立ち、挨拶した。

「はじめまして。歓迎しよう。そこの社宅の一部屋を貸すから案内する」

「あ、待ってください。美朱さんは怪我をしてるんです」

「そうなの。私、まだ歩くのが不自由で……」

 腹部を治療中の美朱は媚びるような微笑みを作った。

「俺が背負うさ」

「まー、ありがと。嬉しいわー」

 彼女は作り笑いでロニに礼を言った。

「そうか。事前に知らせてくれたら用意したんだがな」

 周は無線機でどこかへ連絡した。

「個人輸送機をこちらへ1台送ってくれ。さて、数分で届くだろう。だが、先に部屋を案内しよう」

「警備隊長が直接か?」

 奇妙な好待遇に彼は違和感を持った。

「身体検査もなし。武器を預からせろとも言わない」

「ああ」

 理由を説明せず、周は部屋へ向かった。

 感知式の照明がつくと、台所と風呂を備えた4人部屋が露わになる。決して豪華ではないが、1日だけ寝床を用意するという取引に対してあまりに見返りが多くロニの警戒感が増した。

「男女別々にしたいところだったが、余裕がない。すまないな」

「いいや、十分だが……」

「わあ、お風呂があります。さすがに入れないでしょうけど……」

「使えるとも。ここは水も湯も通っている」

 周がそう言うと翠蘭と美朱は目を輝かせた。

「え!いいんですか!?」

「最高じゃない!あ、でも私は無理かぁ」

「美朱さん、体を拭くなら手伝いますよ」

「まあ、翠蘭は天使みたいな子ね!連ちゃんも一緒に入る?」

「うん!」

「なあ、俺、暇だから川に行ってきていいか?」

「待て」

 魚を捕まえるつもりの悟空を制止し、ロニは周の顔を見た。

「やけに待遇が良いが、食事は貧しくても許してくれってことか?」

「まさか。贅を尽くすとはいえないが、十分な量を用意しよう」

「狙いは何だ?」

「ほう。というと?」

「軍用治療薬1本でここまでする理由だ」

 そう問われた周は仮面のような無表情をやめ、やっと苦笑を見せた。

「さすがに怪しすぎるか。もったいぶって邪推されても困るから正直に話そう。まず座ってくれるかね?」

 全員を居間にあった椅子に座らせると彼も腰を掛けて話を始めた。


「先にばらしてしまおう。我が社はいくらかの避難民と共に中華連邦軍の兵士もいくらか保護している」

「護衛達の軍用銃を見ればわかるさ」

「彼らも命がけで逃げてきた。だから私達に装備の一部を譲ってくれたし、情報もいくらかもらえた。彼ら曰く、仙丹には識別信号を出す発信機が仕込まれているそうだ。未使用かどうか。そして使った人間も信号を調べればわかるんだ」

「え?」

 美酒がぎょっとなり、ロニだけは苦々しい顔をした。

「美朱さんだったかね?安心してくれ。体に害はないし、治療が終われば勝手に排出されるそうだ」

「だから俺達を調べたって事か?」

「ああ。最初に来た運搬車があっただろう?あれに測定装置が積んであったんだよ。だからそちらの女性が治療薬を投与した事も知ってるし、君達があれをもう8本所有してる事も知っている。相当な数だな」

「軍用治療薬にそんな仕掛けがあったか。無知ってのは恐ろしい事だな……」

 ロニが項垂れ、悟空を除く面子は緊張した顔で周を見つめた。

「同感だが、そう怯えないでくれ。私たちは文明人だろう?世界がこんな状況でも礼には礼を返す」

「自分たちに余裕があるうちはな」

「言い得て妙だ」

 周がそう言った時、部屋の呼び鈴が鳴った。

 小型の配達無人機が中に入ると美朱のための個人用輸送機ともう1つ、彼らの夕食が届けられた。

「わあ……」

 誰かの感嘆が漏れた。

 上海料理の代表である蒸し蟹。それに清蒸鰻魚というウナギの蒸し物と八宝菜。さらに小籠包が大量にテーブルに置かれており、外の惨状を考えれば夢のようだと言えるだろう。

「我が社は自家発電と排熱を利用して農場もやっていてね。第3次大戦の際の教訓だよ。やはり備えはしておくものだ」

 ここまで来ればこれが盛大な恩の押し売り、あるいは恫喝に近いことにほぼ全員が気付いていた。

 だからこそ手を付けられないのだが、周は静かに言った。

「さて、毒見が必要なら私がしようか?」

「いや、必要ない。お前らも食え」

 ロニが観念したように食べ始めると他もゆっくりと箸を動かし始めた。

 ただ一人、孫悟空だけは手を付けなかった。

「君は食べないのかね?」

「食い物は少ないんだろ?俺はいらね」

「遠慮しなくていい」

「食わなくても死なねえんだ」

「は?」

「あー、こいつの事は気にしないでくれ」

 ロニに言われ、周はここで強情になっても仕方ないと思ったのか話を進めることにした。

「では、そのまま聞いてくれ。先に言うが、私達は仙丹を奪い取ろうなんて馬鹿げた考えは持っていない。すでに保護した兵から譲ってもらったが、彼らと協力して死人と化した兵から回収しているのだ」

 その言葉はロニを驚かせた。

「兵士が同僚を撃ってるってことか?」

「すでに死人だ。軍法違反とでも言うかね?政府も軍も機能していないんだ」

「まあな」

「我々はこの状況で官も民も兵も区別しない。年齢も国籍もね。重要なのは彼らが他者に貢献する意思があるかどうかだ。施しを受けて当然と思う甘えん坊は受け入れない。そういう意味で仙丹を対価に渡そうとした君達は優秀だ。できれば死んだ強化兵の処理法を聞いてみたいものだが……」

「俺がぶっ飛ばした!」

 誰かが制止する前に悟空が言ってしまった。

「……まあ、容易に明かせないのは当然だ」

 幸運にも周はそれを冗談だと思ったらしい。

 数人が心の底から安堵した。

「我々は私有地の外に出て食料や武器、医薬品を回収している。危険もあるが、全員が命を懸けて互いに貢献する。相互扶助。素晴らしいと思わんかね?」

「話の方向がまだよくわからんな」

 ロニが訝しみながら訊いた。

「簡潔に言おう。ここに腰を据えてみないかね?仙丹を9本も回収した実力を我々は評価しているんだ。他の資源も回収してくれれば相応の見返りを与える」

「金剛重工の新しい従業員にならないかってことだな?」

「国民といっても良いだろうね」

 周はどこか楽しげな声で言った。

「おかしいかね?連邦政府はもう存在しないのだから。援助はもうない。それどころか、愚か者と悪党が略奪しようと襲ってくる。我々は克己心を持って生き残らなければならない」

 まるで一国の当主のように彼は言った。

「人が死んだ瞬間に怪物となるのは恐ろしい事だが、そこは管理次第でどうにでもなる。新しい時代には新しい秩序を敷き、人類を復興させようじゃないか」

「悪くない話だ。意見をまとめるために時間をくれるか?何しろここの状況を全く知らないんだからな」

「考える時間を与えないのは詐欺師だけだ。明日、ゆっくり我が社を見て回ってくれ」

「そうさせてもらう」

 愉快そうに言ったロニに翠蘭は不安な視線を向けた。

 自分たち、少なくとも彼女は父親の勤める紅龍科技公司に向かうつもりだ。

 そう思った彼女の足をテーブルの下で誰かが踏み、ロニの視線が一瞬彼女に向かった。

 何もしゃべるなと言われた気がした翠蘭はその予想に従った。

「今夜はゆっくり眠ってくれ」

 周はそう言い残して退室した。

 真っ先に口を開いたのは美朱だった。

「ちょっと。どういう事なの?人の足をがんがん踏んでくれちゃって」

「あっ、美朱さんもですか?」

「あなたもなの?ロニ、ちゃんと説明しなさいよ」

「その蟹、美味えか?」

「うん!美味しい!」

 悟空と連だけは蟹の話をしていた。

「ちょっと待ってろ」

 ロニは立ち上がって部屋のあちこちを調べ始めた。

「あからさまに盗聴器や監視カメラってことはないと思うが……一応、小声で話すぞ」

 囁くように言った。

「もしかしたらだが、あの周って男が今の金剛重工、少なくともこの敷地を牛耳ってると思う」

「え?」

「なんでよ?たかが警備部門の人でしょ?」

 翠蘭と美朱も顔を寄せ合ってひそひそと言った。

「状況を考えろ。今は武力を持ってる奴が簡単に会社を乗っ取れるんだ」

「の、乗っ取るって……」

「ああ、なるほどね。それはあるかも」

 翠蘭が驚きと怯えを見せ、一方で美朱は納得を示した。

「これだけの企業なら警備にお金かけてそうだものね」

「ああ。あのでかい解体重機に警備用無人機もあるはずだ。ああ、言っておくが、周が会社を乗っ取ったとしてもそれが悪いという気はない」

「どうしてですか?」

 翠蘭の困惑した問いに彼は笑みを浮かべた。

「どんな組織だろうと意見が割れて下剋上なんてある程度は起きて普通だ。ここでも避難民をどれくらい受け入れるかで揉めたはずだ。そこであいつが黙々と従ったとしようか?そしたら俺達は、今、ここにいない」

「あ……」

「なるほどねー。それを言われると辛いわ」

 美朱は食べている料理を眺めながら言った。

「それで、結局は何が言いたいわけ?」

 話しの行き先がわからない美朱はそこを急かした。

「俺個人はここに腰を据えてもいいかと思ってる」

「え……」

 そう言われて彼女はやっと気付いた。

 ロニは自分の安全のために同行していただけで紅龍科技公司に拘っているわけではないのだと。

「ここもかなり安全だ。でも翠蘭は父親のところに行きたいだろ?もしも紅龍科技公司が無事ならこちらと連携をとって復興が加速するかもしれない。そのためにも紅龍に行ってほしいと思う」

 彼らしい論理的な判断だった。 

「それに、言っちゃ悪いが、翠蘭と美朱がここにいても役に立てるとも思えん。孫は二人を守るための護衛として必須。要するに俺はここで別れようと思ってる」

 ロニが済まなそうに言った時、話の意味に気づいた連がじっと彼を見た。

「おじちゃん、僕も皆とお別れするの?」

 連は命がけの旅をした翠蘭たちとの別れを予感し、悲しい顔を浮かべた。

 だが、ロニはそうじゃないと言った。

「お前も一緒に行くんだ」

「え?」

「どうしてですか?」

 翠蘭に問われたロニは茶を一杯飲んでから言った。

「連はお前らと同じく労働ができないし、子供は病気にかかりやすい。紅龍なら薬も手に入るだろ」

「でも……ここにいた方が安全では?」

「そうよそうよ。むこうに着くまでが問題なんだから。連携をとった後に薬を送ったりすればいいじゃない?」

「それも考えたさ。だが、こういう場所では結束が固い反面、除け者にされる奴も生まれやすいんだ。『関係者』がいなくて組織のために働けない奴は良い扱いを受けない。意味はわかるだろ?」

 身寄りがいない。それを連にわからないように指摘した彼は連の方に体を向けた。

「連、俺達が寺へ行った時、一人で留守番できて偉かったな」

「え?う、うん……」

「でも今度は一人じゃない。翠蘭たちと一緒に行ってくれ。俺とはお別れだ」

「一緒に行かないの?」

 連の目が潤み、別れを拒んでいるのは明らかだった。

 だが、彼は固い意志をこめて言った。

「ああ。お前は行くんだ。何も一生のお別れじゃない。俺がいつかそっちに行く時もあるかもしれない」

「………うん、わかった」

 彼は名残惜しそうに言った。

「あれ?そういえば車の運転はどうするの?」

 美朱の疑問にロニは何を言ってるという顔になった。

「お前と翠蘭がやるに決まってるだろ」

「え!?」

「嘘でしょ!私、怪我人なのよ?」

 二人は頓狂は声を上げた。

 彼女たちのよく知る車は運転席が存在しない。

 とはいえ、今まで2人は万が一に備えてロニから運転方法を教わっていたので不可能でもなかった。

「座って運転位できるだろ。無理でもやってもらうしかない。それともこいつに運転させるか?」

「お?」

 悟空を指すと2人は「あぁ」と納得した。

 それから5人はお湯と石鹸を使って体を洗うという自由を堪能し、疲労も溜まっていたので早めに就寝することにした。

 明かりを消し、暗闇の中で翠蘭は車を運転できるだろうかと考えていると同じベッドで眠る美朱が顔を寄せてきた。

「ねえ、起きてる?」

 誰も聞き取れないほどの小さな囁きだった。

「女同士でちょっとお話しましょ」

「どうしたんですか?」

 突然始まった密談に彼女は困惑したが、なにか大事な話があるのだろうと思った。

「できたら教えてほしいんだけど、あの孫悟空先生って何者なの?」

「え?」

「どう見ても普通じゃないでしょ?早い話、人間って感じがしないのよ」

「ええと……」

 彼女はまだ秘密にしておくべきか迷った。

 悟空が人として色々とおかしいことはばれており、今さら隠すことに大した意味があるとは思えない。しかし、話してよい理由もない。

「あの人、本当に孫悟空だったりするの?それとも宇宙人だとか?」

「宇宙人?……もしもですよ?孫さんが宇宙人か何かだったらどうします?」

 彼女は小石を軽く投げてみた。

「素敵ね」

 美朱は即答した。

「世界の危機に現れた救世主ってことでしょ?そんな人に助けてもらえるなんて最高。がっしり掴んで離さないわよ」

 抵抗なく受け入れる彼女に翠蘭は戸惑った。

「そんな簡単に受け入れちゃうんですか?」

「なんで受け入れちゃ駄目なの?」

 美朱はそれ以上に困惑した声で言った。

「死人が起き上がって襲ってきてる世界よ?常識なんてもう無くなったようなものでしょ。宇宙人でも神様でも私を守ってくれるなら喜んで信じるわよ」

「た、たくましいですね……」

「当然でしょ。……あなた、まだ今の状況から目を反らしてるわね?」

「……え?」

 その指摘は彼女の中で抑えてきた何かが首をもたげ、体が急に冷えた気がした。

「何もかも夢だったらいいと思ってるでしょう?残念だけど、それはないの。明日になっても世界と死んだ人が元に戻ったりしないのよ」

 美朱の諭すような言葉はかつてロニに言われた事に似ていた。

 翠蘭の中である後ろ姿が少しずつ蘇ってゆく。首周りを血で汚した死人だった。

「私だって全部嘘か夢だと思いたいけど、意味がないもの。刃物が刺さった時も嘘だと思いたかったけど、本当だもの。でも、あなたたちが私を助けてくれたことも本当。今日、美味しい夕飯を食べられてお風呂に入ったのもね。そうでしょう?」

 翠蘭は無言だった。

「全部受け入れちゃうわ。そうでなきゃ死んじゃった人たちに申し訳ないじゃない?」

「あの……」

 彼女は声を震わせながら言った。

「美朱さんのご両親は……ご無事なんですか?」

「え?……正直、全然わからないわ」

 美朱は辛さを滲ませて言った。

「ひょっとしたら死んじゃってるかも。でも、わかるまでは希望は持つし、死んでたら……受け入れるしかないでしょ」

「私の……お母さ……」

「ん?」

 美朱は震える手が自分のそれを握ったことを気付いた。

「私のお母さん……どこかの避難所にいるって……でも……本当は……」

 それ以上言う前に美朱は彼女を抱き寄せた。

 胸の中で翠蘭は声を殺して自分が嘘をついたことを話した。

「死んじゃった……お母さん……もういない……どうしよう……」

「そう……酷すぎるわね……」

 翠蘭は他の者を起こさないように静かに泣き続けた。

 1時間以上たった頃、彼女は涙が枯れてやっと眠りについた。



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