第4話 最新科学の仙薬



「なあ!俺にも触らせてくれよ!」

「させるか!壊れたら終わりなんだぞ!」


 連を迎えに行き、感動の再会を果たして即座に車を出発させたロニは言った。

 悟空が車の運転をしてみたいと言い出し、彼はハンドルを死守している。

「お姉ちゃん、この人、大丈夫なの?」

「大丈夫に見えるの……このクソガキ……」

 美朱という女性は死にかけているが悪態をつく力はあるらしい。

 車に同乗して以来、どこかで殺されるか捨てられると思い込んで呪いの言葉を放っていた。なお、死人となった場合に備えて結束バンドで手足が縛られている。

「ねえ、金髪の色男さん……助けてくれない?あんたの愛人になってあげるから……」

「顔が真っ青になった女に言い寄られてもな。おい、シフトレバーに触るな!」

「ちぇっ」

「ねえ……そっちのいけてるお兄さんは……どうなの……?」

「あの、助けるつもりですから心配しないでください」

「お姉ちゃん、この人、怖いよぉ」

 決して広くない車内は賑やかといえば賑やかだ。

 だが、翠蘭は美朱の脈を手で測っており、その時がいつ来るか気が気ではなかった。

「ちゃんと監視しといてくれよ、翠蘭。死んだら俺がすぐに頭を撃つ」

「ねえ……あなたが肩にかけてる銃……軍用でしょ……?」

 美朱はロニの突撃銃を見ながら訊いた。

「それがどうした?運転の気が散る。話しかけるな」

「私の勘違いじゃないなら……あなたは使えないはずよ……」

「お前の知ったことか」

「他の銃を持ってるのね?でも……それは使えないでしょ……助けてくれたら解除方法を教えてもいいわ……」

「馬鹿を言うな。軍の機密をお前が知ってるわけないだろ」

「生体認証と暗号でしょ……でも緊急解除法があるの……」

「嘘だな。あったとしてもお前が知ってるわけがない」

「前に付きあってた人が兵隊さんだったの……そっちの格言にあるでしょ……」

「恋は盲目か。それを教えるからまともな病院を探して担ぎ込めってか?解除法を本当に知ってるとしても割に合わない」

「違うわよ……その銃を手に入れたなら……兵士が他の装備も持ってたでしょ?」

「……何が言いたい?」

「投与式の治療機……そっちの言葉でナノマシンの注射器があったはずよ……」

 その言葉で彼が兵士から銃以外にも所持品を拝借していたことを翠蘭は思い出した。

 兵士は武器と共に最先端の治療薬も支給されている。化学と機械の融合したナノマシン薬剤は負傷した兵士に応急処置を施し、感染症なども抑制する。あまりに高価なので民間にはまず出回らない品であった。

「解除法を教えるから……私にあれを打って……」

 彼はその取引に無言で応じた。

 それは暗にナノマシンを持っているということだと翠蘭は気付いた。

「ロニさん……」

 翠蘭は単純な道徳心から使ってあげたいと思ったが、彼は首を振った。

「あいつらが持ってたのは1本だけだ。この中の誰が必要になってもおかしくない。その時の覚悟はできてるのか?お前やそこの坊主が治療できずに死ぬかもしれないんだぞ」

「それは……」

 彼女は厳しくも正論に何も言えなくなった。

 いくら悟空が強いと言っても1人では限界があると話したばかりだ。







「なあ、英雄先生。一応、訊いておくが、気のなんたらかんたらで怪我人を治せたりするのか?」

「そりゃ無理だ」

「じゃあ、どうしようもない」

「気って何……あなた、気功の先生……?」

 美朱は汗の雫を座席に落としながら言った。

「お兄ちゃんは孫悟空なんだよ」

 連は心配そうに言った。

「じゃあ、筋斗雲で私を病院に運んでちょうだい……ははは……うっ!」

 美朱は微かに笑ってから傷の痛みに悶えた。

「ちなみに、どうして腹なんて刺された?死人は刃物なんか使わない」

「前の避難所で……くぅ……内側で死人が出たのよ……通路を逃げる最中にもみくちゃにされて……誰かの持ってた刃物が刺さって……必死で逃げたわ……」

「それが本当か俺達にはわからない。実は他人を襲って反撃されたって可能性もある。そういう危険も含めて、俺はお前に治療薬を使わない。死んだら俺だけを恨んでくれ」

 彼はきっぱりと宣言した。それは死の宣告にも似ている。

「ねえ……お願い……」

 美朱は目標を翠蘭に変えて懇願した。

「あ……その……」

「助けてくれたらなんでもするわ……後生だから……」

「……ロニさん、やっぱり治療薬を使ってあげませんか?」

 彼女はつい言ってしまった。

「なあ、翠蘭、罪悪感はわかる。だが、代わりに誰かが死ぬんだぞ?」

「まだそう決まったわけじゃありません!」

「可能性は十分ある!」

「でもロニさんは連君を助けたじゃありませんか?」

「違う!それとこれは話が別だ!」

「おじちゃん……」

 連が小さな声でつぶやいた。

「このお姉さんにお薬あげちゃ駄目なの?」

「そうだ。駄目なんだ」

「そんなの可哀想だよ……」

「お前だって怪我するかもしれないんだ!」

「僕、我慢するから……」

「そう言えるのは今だけだ!子供は黙ってろ!」

 彼が怒鳴った事で連は泣き出し、車内は暗く悲惨な空気に包まれた。

 ところが悟空はどうしてるかといえば1つの目的から車外を見て何かを探していた。その両目がある集団を捉える。

「おっ!いたいた!」

「は?」

「あいつらが薬持ってるんだろ?」

 悟空が差した先には強化服を着た兵士たちの成れ果てがふらふらと歩いていた。

 人数は12人程だろうか。

「ちょっくら行ってくるぜ!」

「おい、待て!」

 ロニが止めるより早く悟空は走る車のドアを開けて飛び出した。

 60キロ近い速度で疾走する車から飛び出した彼はそれ以上の速度で走りながら単純な事を考えていた。

(要するにあの死人がお宝を持ってて、そいつを頂いたらいいんだろ!財宝をぶん取るなら任せとけ!)

 彼のお師匠様こと旃檀功徳仏が聞けば頭を抱えそうなことを思いながら彼は右手に握るタングステン製の如意棒を伸ばし、一体の首を貫いた。

「おららぁぁぁぁっ!」

 右手に回転をかけて首を捻じり飛ばす。

 その首が宙を舞う間に強化服をまとった死人が数体飛び掛かった。

「うおっと!」

 悟空は上半身を反らして蹴りつけようとするが所持品の薬とやらが壊れると困るので頭を蹴りつける。剛力にものを言わせた一撃はヘルメットを内部の頭部ごと蹴り飛ばし、2体の死人を首無しにすると体を回転させ、他の死人の突撃を舞踏のように受け流した。

 棒を地面に突き立て、悟空はそれを支点に鮮やかな回転蹴りを見舞う。爪先に力を入れたその一撃も的確に死人の頸椎を砕き、2体、3体、4体と 瞬く間に死人が横たわった。しかし彼に言わせれば全盛期にはまだ程遠かった。

「やっぱり体が訛ってるな!あっちが平和すぎたか!」

 現代の如意棒を振り回し、襲い掛かる死人を行動不能にしてゆく彼は戦いに血沸いていた。天界で手合わせに付き合ってくれる相手はあまりに少なく、やっても仏たちにすぐ怒られたためだ。

 前文に技を振るう喜びに浸っていると彼の耳に声でも音でもない何かが届いた。

(*********)

(え?)

 彼が混乱していると1体の強化兵が振った拳を躱し損ねた。

「ぐべっ!」

 岩石がぶつかるような衝撃音が響き、彼は吹き飛びながら自分の不注意を叱った。

「痛ええっ!やるじゃねえか!」

 彼は先程の奇妙な感覚を忘れる事にし、全身の気を引き上げた。

 体を炎が駆け巡るような感覚に包まれ、その熱を心地よいと感じながら死人の一体に蹴りを見舞うと今度はそこが吹き飛ぶのではなく粉砕された。

「せいやぁぁぁぁぁっ!」

 彼の体が霞み、棒術の突きを連打すると破裂音の数だけ死人の頭が消滅した。

 ロニたちの車がやってきた時、強化兵の死人は一体もいなくなっていた。

「お前が死人に襲い掛かってどうするんだ、この馬鹿!」

「いけなかったのか?薬がほしかったんだろ?」

「そういう問題じゃない!」

「孫悟空さん、すごいすごい!」

「孫さん、鼻血が出てます!」

「気にすんな。それより薬ってどれだ?」

「お前なあ……」

 ロニは言いたい事が幾つもあったが、そんな暇はないので死人から未使用の治療薬を回収するとすぐに車を発進させた。

「孫悟空!いいか!今度からは何かやる時は先に言え!」

 彼は車を走らせながら説教を開始した。

「お前がいない間に車が襲われたらどうする気だ!」

「だからすぐ済ませただろ?」

「戦ったせいで他の死人が集まる危険もある!」

「だからすぐ終わったじゃねえか」

「喧嘩している場合ですか!ロニさん、薬を使っても構いませんね!?」

 翠蘭が運転する彼に向かって叫んだ。

 強化兵は薬を使う時間もなくやられた者が多く、彼らにとっては不幸な事だが8本の治療薬が手に入った。ロニが持っていた1本も含めて9本。余裕が出来たことは確かだ。

 ロニは小さなため息をついた。

「本当は1本でも多くとっておくべきだが……俺が手に入れたわけでもない。好きにしろ」

「はい!」

 翠蘭は急いでプラスチックの箱を開けた。

 中には細い注射器が入っており、説明書もついていた。そこには細かな文字がびっしりと書かれていたが、それよりも大きな文字で書かれた2文字の製品名を見て悟空は目を丸くした。

「仙丹!?」

「どうしたよ、英雄先生?」

「仙丹ってあの霊薬のことだろ?俺も飲んだことあるぞ」

「違うんです、孫さん。たぶん、その名前にあやかったというか……」

 翠蘭が訂正しながら説明書に目を走らせる。

 伝記に出てくる不老不死の霊薬。それが本来の仙丹だ。軍用の医療薬剤を開発した企業はその神々しい名前を採用したらしい。

「ふーん、でも仙丹みたいなものなんだろ?」

「不老不死にはならんぞ。だが、科学もここまで来たら魔法かもな」

「ねえ!打つなら早く打ってよ!」

「もう少し待ってください」

 美朱は我慢の限界を迎えて叫び、翠蘭は自分が人殺しにならないために注意点を2度読んでから彼女の腹部から布を外した。

「うっ……」

 生身の刺し傷を見て彼女は眉を顰めた。

 傷は深く、内臓に達しているかもしれない。

「負傷した部位から少し離して……できるだけ深く……」

 彼女は恐る恐る患部に薬剤を注射した。

 当事者である美朱も緊張しており、初めて打たれた軍用治療薬が効くことを祈るような思いで待った。

「あ……痛みが少しずつ引いてる気がするわ……さっきまですごく寒かったのに温かい……」

「麻酔薬も入ってるんだろう。軍用なら興奮剤も加えてるかもな」

「興奮剤?」

「戦場でじっとしてるわけにもいかない。最悪、腕がもげたまま戦う状況だってある」

「あなた、ひょっとして軍人さん?」

「まさか」

 美朱の質問に彼は笑った。

「そんな話を聞いただけだ。で、銃の解除法を本当に知ってるのか?」

「ええ。今から言う番号を入力してみて」

「ちょっと待て。翠蘭、お前が入力してくれ」

 彼は運転席から突撃銃を渡した。

「わ、私がするんですか?」

「見ての通り、運転中だ」

「俺がやろうか?」

「やめろ」

「わ、私がします!」

 ロニと翠蘭は初めて意見が一致した。

 だが、彼女が美朱から言われた解除番号を入力しても何も起きず、3度試しても駄目だった。

「嘘……」

「お前が嘘をついてるか、嘘を吹き込まれたかだな」

 こんな事だと思ったという顔でロニは言った。

「軍人が解除コードをばらすわけないんだ」

「そんなぁ……ねえ、これで解除できるって聞いたのよ?本当だってば」

「心配しないでください。今さら車から放り出したりしませんから」

「俺は構わないぞ」

 ロニの冷徹な言葉に翠蘭はむっとした。

「お姉さん、ケガ、痛くない?」

 連が心配そうに訊いた。

「ええ」

「連君って言うの?さっきはクソガキなんて言ってごめんなさいね」

 美朱は薬のおかげで精神的余裕ができたのか優しい言葉で言った。

「よく見たら天使みたいに可愛いわあ」

「悪女の匂いがするな」

「ロニさん……」

「あくまでそれは応急処置で、血も失ってる。翠蘭、状態をしっかり見ておいてくれ」

「はい!」

「死んでたまるもんですか」

 そう言った彼女の目には生気が戻ってきた。仙丹という名を冠するだけあってナノマシン治療薬の効果はすさまじかった。

「本当に元気が出てきたわ。生きてるって素晴らしいわね」

「確かに気がいきなり増えたな。こいつも仙丹で不老不死になったのか?」

「いえ、なってないと思いますよ」

 翠蘭が苦笑しながら言った。

「というか、孫さんは仙丹を食べたことがあるんですか?」

「ああ、酔った時に盗み食いしちまった。美味かったぞ」

「それも本当だったんですね……」

「ねえ、さっきから気とか不老不死とか言ってるけど、このお兄さん……その、大丈夫なの?」

 美朱の質問に彼女は困った顔になった。

「大丈夫です。その、いろいろ事情が……」

「そいつの事は何も質問するな」

 ロニが憮然とした口調で言った。

「あんたには関係ない。俺達はこれでも恩人なんだ。恩義を感じてるなら余計な勘繰りはやめてくれ」

「そうね……わかったわ」

 それが忠告だとわかった彼女は素直に従った。

「じゃあ、改めて自己紹介したいんだけど、私は林美朱。国際社会部の大学生よ」

「大学生なのか?」

「ええ。おかしい?」

「それにしては……いや、なんでもない」

 ロニは何かを言いかけてやめた。

「ふふ、なんとなくわかるわ。それで、あなた達は何者なの?たまたま合流しただけの避難民?」

「ええと、そんなところです」

 翠蘭が肯定した。間違ってはいない。

「たしか紅龍科技公司へ避難しに行くんだっけ?へえ、あなたのお父さん、良い所に勤めてるわね。私もいっぱい愛想を振りまいて入れてもらわないと」

「そ、そうですか……あの、ロニさん、さっきは我儘を言ってすみませんでした」

 彼女は運転席に向かって深く頭を下げた。

「まあ、善意もほどほどがいいと思うぞ。だが、俺達はあんたの父親のいる会社に保護してもらわなきゃならん。しっかり恩を売っておかないとな。ははは」

 彼がそう言って笑うと翠蘭も笑った。

「坊主も怒鳴ってすまなかったな」

「え?う、ううん……僕も……ごめんなさい……」

 今まで優しかったロニに怒鳴られた事で連はまだ落ち込んでいたが、いくらか元気を取り戻した。

「みんな仲直りできたみたいね!よかったわ!」

「え?お前ら、喧嘩してたのか?」

 原因を作った美朱は微笑み、悟空はあっけらかんとし、残った3名は複雑な顔をしたが、陽気な美朱が加入したことで車内が明るくなったのは事実だった。

 悟空は戦いの最中に生じた奇妙な感覚について忘れてしまった。


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