第3話 捨てる神あれば拾う孫悟空あり


 時刻は朝7時を回っているが空は相変わらず鼠色の雲が覆っている。ガレージにいた4人は特に連の体力が限界だったのでそのまま一夜を明かし、悟空を除く3人は朝に僅かな菓子類を分け合って移動を開始した。

「そういや俺の頭にぶつけた石はなんだ?」

 悟空がふと思い出したように言った。

「石?銃のことか?」

 ロニはポケットから安全装置付きの拳銃を出した。

「これも拾い物だ。警官の死体の傍にあった」

「お前が倒したのか?」

「まさか。たぶん強化服の同僚にやられたんだろうな。全身バラバラにされてた」

「警官の銃は生体認証があるんじゃないですか?」

 翠蘭の質問にロニは気まずそうな顔をした。

「ああ。だから持ち歩いてる」

 ポケットを手でぽんぽんと叩き、その意味に気づいた彼女は青ざめて少し距離をとった。

「おいおい。こんな状況だ。許されるだろう?ああ、こっちからも質問だ。お前、何も食べてないけど本当に平気か?」

「ああ」

 悟空は不老不死の体だ。

 無理やり地上に降りたことで多少の影響はあるが、それでも剛力は健在であるし、問題ないと思った。

「信じられんな。じゃあ、何をやっても死なないのか?吸血鬼は心臓に杭を打たれると死ぬらしいが」

「体を百個くらいにぶつ切りにされたら死ぬかもな」

「真っ二つくらいじゃ死なないと?見てみたい気もするが……」

「やめてください」

 翠蘭に叱られて彼はその話をやめた。

 4人はしばらく歩き、小さな橋に差し掛かると問題が生じた。

 橋の上と周囲に死体が無数に転がっており、それを動く死人が踏みつけながら彷徨っている。橋や壁には無数の銃痕が穿たれ、軍と死人の激戦があったことは明らかだ。

「まずいな」

 ロニは橋の上をうろつく強化兵の死人と銀色の機体を睨みながら舌打ちした。

「酷い……あれって軍の無人機ですよね?」

「ああ」

「あのでかい虫、何だ?」

 悟空は車輪と6本の脚を備えた奇妙な物体を見て首を傾げる。

「無人兵器だよ。”鉄蜘蛛”だっけ?暴動鎮圧じゃなくて完全に殺傷用だ」

「黒い筒がついてるな」

「機銃だ」

「お前が使ったみたいに石を飛ばしてくるってことか?」

「威力が違いすぎる。周りの死人がバラバラになってるだろ?いや、あれだけ死人が撃たれてるってことは弾切れの可能性も……」

「ねえ、兵隊さんたちは生きてるんじゃないの?」

 連がそう聞いたのは血まみれの装甲兵がふらふらと歩いているためだ。

 連はまだ死んでいないことを期待したらしい。

「怪我をしてるだけかも……だって死人はあの機械が倒しちゃったんでしょ?」

「坊主、あれはもう死んでるんだ。あきらめろ」

 ロニはきっぱりと言った。

「あいつらは負けたんだ。無人機は軍人を攻撃しない設定にしてあるはずだ。だから兵隊だけは動く死人になった後も撃たれない。無人機と強化兵が番人なんて悪い冗談だ」

「あんな無人機がいても負けちゃったんですね……」

「兵士より死人の数が遥かに多いんだ。100倍の人数が銃を恐れず襲ってきたらどんな部隊も終わりさ」

 彼は自分の個人端末に地図を表示させて思案した。

「迂回するしかないが、だいぶ遠回りになる。どうする、中華の英雄?お前ならあれをどうにかできるのか?」

「ん?叩き潰せばいいんだろ?」

 試すような視線を受けた悟空は平然といった。

「相手は強化兵と殺戮用の無人兵器だぞ?本気か?」

「危ないです!遠回りしたらいいじゃないですか!」

 翠蘭は止めたが、悟空はもらった警棒を伸ばすとそれをくるくると回した。

「やってやるさ」

「孫さん、待っ……」

 悟空はいきなり走り出した。

「おい、本当に……ああ、行っちまった」

 この時、ロニは本気で倒す気とは思わず、煽ったことを後悔していた。

 だが、仏の身を捨てて弱体化したとはいえ妖猿英雄ここにあり。

 タングステンの如意棒を片手に大地を蹴り、彼は飛燕を越える速度で死体に埋まる橋へ突撃した。

「警告。外出禁―――」

「でやぁっ!」

 無人機の音声を無視して悟空はまず間近な強化兵の喉を突いた。

 すでに動脈を食い破られて絶命していた兵士の首の骨を粉砕し、横薙ぎにするとその頭部が宙を舞った。

(けっこう丈夫じゃねえか!)

 ロニから貰った武器の強度を確かめた彼はひとまず満足し、立ったままの胴体を無人機に向けて投げつけた。

「抵抗意志を確認」

 無人機は兵士の亡骸が激突して一瞬揺れたが、即座に敵の排除を開始した。

 ロニの予想した通り、それは機銃の弾丸が尽きていた。だが、無人機の多脚が向きを変え、蜘蛛のような6本脚から二足歩行になると機械腕の1本が振り下ろされた。

「うおっと!」

 彼が飛び退いた地面に轟音と大きな陥没が生じた。

 死人を駆除するために出力設定を最大にしている無人機はコンクリート製の橋にいくつも穴をあけながら悟空を逃げ惑わせた。

「うおおっ!なんだこの阿修羅みたいな!」

 悟空は思わぬ変形と攻撃方法に慌てる。

 それは腕の数だけではない。無人機からは気が一切生じず、それにもかかわらず生物を模した動きをするためだ。4本の腕から身をかわし、地面にいくつも穴が空くとその隙に別の強化兵が迫った。

「こっちは楽なんだけどよぉ!」

 彼は死人の顎を警棒で突き上げ、地面から浮き上がった体を蹴りつけた。

 100キロを超える強化兵の体が人形のように吹き飛んだが、その反動で悟空も逆方向へ吹き飛び、欄干にぶつかるとそこへ無人機の拳が直撃した。

「ぐぅぅっ!」

 短い呻き声を上げ、悟空はこの世界に降りて最も大きな痛みを感じた。

 だが、この程度ならいいかと彼は痛みを無視し、タングステンの棒を突き出して無人機の体を貫こうとしたが、想像以上の堅さが彼の突きを止めた。

「硬えっ!」

 金属の塊を貫くには威力が足らなかった。

 悟空はどうするか悩んだが、その間に無人機は肩から小さな棘のようなものが発射されると青白い閃光が無人機と悟空を結んだ。対兵器用の高電圧攻撃。悟空を同じ機械兵器とみなしたためだが、並の人間なら即死する電撃を浴びた彼は憤怒の形相になった。

「痛てててっ!やめねえか!」

 彼は人型となった無人機の股間を全力で蹴り上げた。

 生身の足が200キロを超える機体を宙に浮かせ、悟空は今まで以上の力で胴体を殴りつけた。機械に悲鳴があればこんなものだろうという衝撃と破壊音が鳴り響いた。拳から肘のところまでめり込んだが、それでも電流が止まらないので彼は無人機を何度も殴りつけた。

 悟空は生物の気を感じないそれを妖術で動く人形と解釈していたが、生き物のように動くのでいくらか躊躇している所があった。しかし、最終的には全力で地面に叩きつけ、ついには破壊してしまった。

「やっと止まったか……痛たたた……」

 今も電流が流れているような感覚が残り、悟空はこんな敵もいるのかと地上の変化をその身で味わった。

 戦いが終わったところへ翠蘭たちが走ってやってくるが、それぞれがなんともいえない表情をしていた。

「孫さん……だ、大丈夫ですか?」

「弾切れで幸いだったな。いや、それでも……」

「お兄ちゃん、大丈夫?」

「平気だ!」

 悟空は少しだけ強がった。

「すぐ治る。あの虫みたいな奴、面白いな」

「コンクリートに穴を開けてたぞ。あの一発を腹に受けたのになんで……」

 ロニは彼から微妙に距離を空けたまま言った。

 その目は鉄屑となった無人機に向けられる。

「天国や地獄はまだ信じられんが、お前が普通じゃない事はわかったよ……」

「お兄ちゃん、本物の孫悟空なの?」

 連が期待を復活させた目で悟空を見た。

「応よ。本物だって言ってるだろ」

「でも筋斗雲と如意棒は?」

「天界に置いてきた」

「変化の術は?」

「変化!やっぱり無理っぽいなあ……」

「本当に大丈夫ですか?お腹、見せてください」

「いいって」

 翠蘭と連が悟空と話してる間、ロニは首を飛ばされた兵士が肩にかけた突撃銃を取り上げて調べ始めた。

「やっぱり無理か……」

「銃、使えないんですか?」

「ああ。最初から期待してなかったが」

 翠蘭がそう訊くと彼は名残惜しそうに言った。

「生体認証と解除番号の2つが要る。生きてる兵士がいればどうにか出来たんだろうが……もちろん強化服も使えないな」 

「軍用ですから管理が厳しいんでしょうね」

「他にも使えるものは……」

 ロニは兵士の体をあちこち触り、使えるものがないか探し始めた。

「お?これは……」

 彼はプラスチック製の小さな箱を見つけ、それをポケットに仕舞った。

「それは?」

「あとで説明する。銃も一応持っていこう」

「使えないのに、ですか?」

「生きてる人間には多少脅しになる」

「お、脅しって……」

 翠蘭が非難の目を向けたが、彼は動じなかった。

「歩きながら話そうか」

 そう言ってロニと悟空を先頭に4人は移動を再開し、ロニは周囲に目を配りながら話をした。

「勘違いするなよ。俺達が誰かを襲うわけじゃない。逆だ」

「それって……こんな時に普通の人が襲ってくるっていうんですか?」

「こんな時だからだ。いいか、翠蘭。これだけはしっかり肝に銘じてくれ」

 ロニは名前を呼び、真剣な顔で忠告した。

「悪党は必ずいる。そうでなくてもこんな状況なら仕方なく悪事に手を染める奴もいるんだ。今はそこの英雄先生が守ってくれるだろうが、あんたもできれば武器を持ったほうがいい」

「私が、ですか?」

 翠蘭は銃どころか刃物を構える自分さえ想像できなかった。

 いや、彼女は想像したくないのだ。

「そうだ。あんたはそういう状況が来るなんて考えたくないだろう?」

「それは……」

「どんなに目を背けてもそういう奴らは存在するんだ。今は死人とも戦わなきゃいけない。そこの坊主にだって持たせてるんだぞ」

 彼が連を見ると小さな顔が頷いた。 

「まあ、これは生き方の問題だがな。自分は大丈夫と信じて気楽に生きる道もある。でも、全部失う覚悟があるのか?」

「全部……?」

「そうだ。『あの時、しっかり考えておけば自分や家族を守れた』って後悔したくないだろう?」

 そう問われた翠蘭に悪寒が走った。

 母親が隣人を尋ねてゆき、その後に見たものが脳内に蘇る。彼女の心臓が鼓動を早め、足が震えて視界が揺らぎ始めた。

「おい、大丈夫か?」

「お姉ちゃん?」

 異変に気付いたロニと連が声をかけた。

 その後に悟空の声も聞いた気がしたが、彼女は地面が消失した感覚に襲われ、意識が真っ黒な闇に沈んだ。

 再び目を開けた時、翠蘭は見知らぬ天井を見ることになった。

「お?起きたか」

 以前にも聞いたことのある悟空の声だった。

「ここは……?」

「誰かの家だ」

「こいつが玄関をこじ開けたんだよ」

 ロニの声がして彼女が体を起こすと自分が寝室にいることを自覚した。

「どこかで休むしかなかったが、まさか扉をあんな風に……いや、それより悪かったな」

 彼はまず謝罪した。

 そこで彼女は自分が気絶し、悟空たちは民家に避難することになったと気づいた。

 顔に違和感を感じ、触ってみると絆創膏が貼ってあるのに気づく。倒れた時に擦りむいたのだろう。

「厳しいとは思ったが、あんなトラウマになってるとは知らなかったんだ」

「いえ、私こそ迷惑をかけて……すみません……」

 彼女はそう言いながら記憶の中にある恐ろしい光景を封印する。

 だが、永遠に目を背けることができないのもわかっていた。

「いいんだ。でな、英雄先生があんたを背負ったまましばらく歩いたんだが……」

「そ、そうなんですか?孫さんにまで迷惑かけてすみません!」

 悟空に平身低頭し、彼女は自分の身を恥じるばかりだったが、そんな事はどうでもいいとばかりに彼は「ん」と言ったのみだ。

「幸い、死人のいない道を進めた。そこでこいつが別の人間に気づいたみたいでな。その……気とかいうやつか?」

「ああ」

 孫悟空が人間の発する気を感じとれることが未だに信じ切れていないロニは迷いながら言葉を発した。

「こいつが言うには20人くらいが寺院にいるらしい」

「お寺ですか?」

「そうだ。本当に人がいるとして……」

「しつこい奴だな。気を感じねえのか?」

「感じないに決まってるだろ……。ああ、それで、接触すべきかを話し合ってたんだ」

「食べ物や水をもらうんですか?」

「違う。車を借りられるかもしれないんだ。寺院の横に古いやつが置いてあるのを見てきた」

「え?でも動きませんよ?」

 政府が操縦を掌握していることを忘れてしまったのだろうか。

 彼女はそう思ったが、ロニの言いたい事は別だった。

「昔の手動式だ」

「それって……ひょっとして人が運転する車ですか?」

 彼女は自動でない車、運転席が存在するものが半世紀以上前に走っていたことは知っていた。だが、知識として知っているだけで触れたこともなかった。

「それって公道を走ったら違法……あ、今は緊急時だから仕方ないとしてもでも誰が運転するんですか?」

「実はな、こう見えても競技用のやつを動かしたことがあるんだ」

 ロニは得意げな子供のような表情になって言った。

 オリンピックでも採用されている自動車競争を彼女は思い出す。

「気を悪くしないでほしいんですけど、その、危なくないんですか?」

「おいおい、死人がうろついてるんだぞ?歩くよりマシだろ。でも、避難してる連中がどんんな人間かが問題なんだ」

 彼女はロニの言いたい事に気づいた。

「悪い人たちだったら……ってことですね?」

「ああ」

「でも、お寺の人ですよね?そこまで心配いらない気も……」

「僧侶は皆いい人か?」

 ロニは苦笑した。

「こんな状況だから慎重になりたいんだ」

「勝手に走る車のことはさっぱりわからん。お前らで決めてくれ」

 悟空はこの話に参加する気がないらしい。

 ゆえに翠蘭たちが行動を決めるしかなかった。

「まず、まともに会話できる相手だった場合だ。俺達は紅龍公司に向かってる事を話す。そこの関係者って前置きで、着いた後で可能なら物資を融通するって形で見返りを約束する。翠蘭はどう思う?」

「うーん、融通できるとは限らないのでは?約束を破ることになったら……」

「だからこそ可能な限り努力すると言うんだ。絶対とは言わない」

「それなら……」

 そこで翠蘭は連の顔を見た。

 わずか5歳の子供に何を期待するわけでもないが、彼は小さく言った。

「えっと、車を貸してくださいってお願いするの?」

「そう……あとでお返しをするって約束するの……」

「じゃあ、お願いしてみようよ!」

「よし。じゃあ、決まりだな」

 ロニがそう言うと彼女は少し悪い大人になった気がした。

「それじゃ、次は交渉が上手くいかない場合にどうするかだ。特に、向こうが悪意から攻撃してくるような略奪者だった場合。おい、英雄先生」

「ん?」

「お前は銃で撃たれても死なないのか?」

「たぶんな」

「俺は絶対に信じないが、本当だとしても俺達は銃で撃たれたら死ぬ。全方向から飛んでくる銃弾を叩き落としたりできるのか?」

「無理だろ」

 悟空は即答した。

「ありゃ速すぎる。矢の1本2本くらいなら掴み取れるんだけどな」

「それが本当でも大したもんだが、要するに交渉が決裂したりむこうが略奪者だった時に撃たれた場合は俺達を守り切れないって考えていいか?」

「んー……ああ、全員は無理だ」

 悟空は悔しそうに言った。

「銃で撃たれる事まで考えてるんですか?」

「当然だろ。俺だって警官の銃を使ってるんだぞ?非登録の改造銃や生体認証のない骨董品もある」

 そう言われると彼女は反論できなかった。

「なんでこんな話をしたかだが、これから寺に交渉しに行く面子を決めたいからだ」

「皆で行かないの?」

 連が不安そうに言った。

 彼女はロニの考えていることがやっとつかめた。

「そういう事もありうるから翠蘭は交渉から外してこの英雄先生と俺で交渉に行こうかと最初は思ってたんだ。でも、紅龍の関係者がその場にいないとおそらく話にならない。こいつや俺がその振りをしても一秒でばれるしな」

「お?」

 悟空は言い方に引っかかるものがあったようだが、彼は無視して続けた。

「つまりだ。翠蘭、お前にも一緒に来てもらうしかない。最悪、撃たれるかもしれないけど、構わないか?」

「か、構いません……」

 彼女は怯えを隠しながら言った。

「ぼ、僕は?一緒に行っちゃ駄目なの?」

 連が泣きそうな顔になって言った。

「坊主、お前はここにいた方が安全なんだ。最悪、むこうが略奪者でもこの英雄先生は生きて逃げられる。翠蘭もどうにか守ってもらえるだろ。そしたらさっさと逃げる。ここで少しだけ留守番しててくれ」

 周囲に死人がうろつく場所で一人になってくれ。

 そう頼まれた5歳の少年は怯えた目をした。

 救いを求めるように翠蘭を見るが、彼女もそれが正しいように思えた。自分が同じ立場になったら恐ろしくてたまらないとしても。

「一緒に行っちゃ駄目?」

「駄目だ」

 ロニは厳しい目で言った。

「少しの間だけだ。すぐ戻るから待っていろ」

 連の目に涙が浮かび、ぽろぽろと零れるがロニの蒼い目は微動だにしない。

 強い眼差しを見た彼女は初めてこの男に敬意を感じた。

「わかった……ちゃんと待ってるから……帰ってきてね?」

「ああ」

「約束……」

「ああ」

「うぁぁぁ……」

 彼はまるで父親のように連を抱きしめた。

 この男がなぜここまで他人の子供を守ろうとするのか。翠蘭は特別な理由があるような気がしたが聞いても答えてくれると思わなかった。

 彼女たちがいた寝室には内側から鍵がかかり、それを確認すると悟空たちは3人で民家を出た。その玄関がまるごと外れて 壁に立てかけられた状態を見て翠蘭は唖然としたが、今は余計な事を話している場合ではない。

 死人に警戒しながら悟空が気を感じるという寺院に向かうと今では珍しい木造建築の門が彼らを出迎えた。

「まあ、当然閉まってるよな。寺って呼び鈴があるのか?」

「門を叩けば……あ、でもあまり音を出したら……」

 ロニと翠蘭がどうやって呼び出すかを話し始める。

 すると悟空が扉の端まで移動した。

「そこのやつら。話があるから開けてくれ」

 2人がぎょっとしていると門の向こうから小さな声が生まれた。

「避難してきた方々ですか?」

 野太い声だが礼儀正しい話し方だった。

「いいや。車を貰いに来た」

「おい!やめろ!」

 ロニは慌てて制止した。

「すまん。聞いてくれ。俺達は紅龍科技公司って企業の関係者だ。そこまで避難するのに車が要る。見返りはあるから貸してほしんだ」

 少しの沈黙が降りた後、何かが外れる音がしてゆっくりと門が開いた。

 そこにいたのは赤い袈裟を着た数人の僧侶たち。だが、各々の手に警棒が握られている。

「用心することをお許しください。今まで親切な方だけが訪ねてきたわけではありませんので」

 先頭の僧侶がそう言って剃髪した頭を下げた。

「いや、お互い様だ」

「では、お入りください」

 3名は門に入り、大きな閂がかけられた。

 悟空は飄々としているが、残る2人は緊張を隠せない。

「お互いにのんびりとはしてられないはずです。単刀直入に伺いますが、紅龍科技公司とはどのような関係で?」

 客間に招くような余裕もないらしく、僧侶は立ち話を始めた。

 無論、悟空たちは不満を言える立場ではない。

「この子は陽翠蘭。父親があの企業に勤めてるんだ」

「ほう……」

 僧侶の射抜くような目が彼女を捉えた。

「人様を疑う事は憚られるのですが、お父上のお名前と役職を伺ってよろしいですか?こちらに避難された方にも紅龍の方がおられるので確認させて頂きます」

「あっ、そうなんですか?ええと……」

 話の真偽がわかってよかったと思い、彼女は父親の名前と役職、そしてどんな仕事をしているかを知っている限り答えた。

 僧侶はいくつかの質問を挟み、そして再び頭を下げた。

「拙僧はたった今、嘘を申しました。お許しください」

「え?な、何の事ですか?」

「鎌をかけた。そうだろ?」

 ロニが憎々しげに言った。

「翠蘭が紅龍の関係者じゃないならさっきの言葉で慌てたはずだ。そういう反応を見てたんだよ」

「仰る通りです」

 深々と頭を下げる僧侶の周囲では他の僧たちも同じようにしている。

「こんな状況じゃ当たり前だ。気にしないさ。なあ?」

「え?あ、はい……」

 彼女はどんな顔をすればいいかわからなかった。

「少しは信用してもらえたか?俺達がこの子に何かを無理強いさせてるって事もないと誓う」

「はい。そのような懸念もありましたが、この子の様子を見れば容易にわかります。申し遅れましたが、拙僧は寒観と申します」

「俺はロニ。こっちは孫さんだ。さっきも言った通り、この子の父親のところへ行きたい。見返りとして着いた後に可能な限りこちらに援助を送る。すまないが、何を送るかも本当に送れるかも確約はできない。それでも車を借りられないか?」

 ロニは下手な嘘はまずいと感じ、愚かと言えるほど正直に伝えた。

 本来の彼なら決してしない事だ。

「左様ですか……」

 寒観は何かを思案し、やがて目に決意の光が灯った。

「窮地の方々に救いの手を差し伸べなければ御仏に顔向けできません。いえ、この惨状が何らかの仏罰やもしれませんが、お車をお貸しいたします。ただ、1つお願いをしてもよろしいですか?」

「なんだ?無茶な事じゃないといいんだが……」

 ロニは露骨に警戒心を上げて訊いた。

「こちらには怪我をした方が一人おられます。大変危ない状態で一刻も早く医院に運ぶべきですが……」

「そういうことか……」

「ん?どういうことだ?」

 悟空が訊くと彼は難題を背負わされたような顔で言った。

「わからないか?今の状況じゃ死人が出る病院が真っ先に崩壊するんだよ。おそらくまだ機能してるのは百に一つくらいだろう。その患者を紅龍の会社に運んでくれって事か?」

「はい。あちらならば企業内にも医療設備を設けているはずです。正直に申しまして今の状態では拙僧たちにできることがございません」

「……確認させてくれ。受け入れを拒否されたら?あるいはあんたたちが一番恐れてる事が起きたら?」

「その時は……お任せいたします……」

 寒観は絞り出すような声で言った。

「拙僧らにはあの者を安らかにしてさしあげることができません……なにとぞ……」

 彼はその場に座り込み、震える両手を合わせた。

 殺生が禁じられているゆえの宗教的恐怖だった。

「わかった。構わないよな?」

「は、はい!」

「ああ。とっとと運んでやろうぜ。さあ、坊さん!拝んでる場合か!早く連れてきてくれ!」

 悟空が寒観の肩をぽんと叩くとまるで稲妻に打たれたように僧侶の体が震えた。

「な……なんと……」 

 小さな目が丸くなるほど開き、その両目が悟空の顔を映した。

「どうした?早くしてくれ」

「は……ははあ!」

 まるで喜劇のように寒観はひれ伏し、その場から走り出した。

 他の僧侶は困惑しながらそれに続く。それから一分経つか経たないかという間に裏門に白い旧式の車が回された。悟空たちはその後部に寝かされた若い女性を確認する。

「名は林美朱。腹部を刺された状態でここに逃げてきました。かなり危険な状態です」

「確かにやばいな」

 ロニが率直に言った。

 顔と黒髪が汗でべっとりと濡れたその女性は腹部の赤く染まった布を手で押さえている。どう見ても軽傷ではなく、手術が必要だった。

「この人たちが……私を捨てに行くわけ……?」

 美酒は弱った視線で寒観を見た。

「違います!この方々なら治療できる場所まで運んでもらえるのです!」

「慰めはいいわよ……うぅ……」

 美朱は寺院に見捨てられたと信じているらしく、絶望して泣いていた。

「誤解はどうでもいい。時間がないんだ。さっさと行くぞ」

 ロニはそう言うと無人車にはない運転席に自分が乗り、悟空は助手席、翠蘭は後部に乗った。

「寒観、改めて礼を言う。約束は必ず守るよ」

 ロニは急いでいたのでつい敬称を忘れた。

「お待ちください!」

 寒観が突然車を呼び止め、やってしまったとロニは顔をしかめた。

 だが、寒観が駆け寄ったのは助手席にいる悟空だった。

「貴方様が尋常ならざる御仏様であった事はこの愚僧にもわかりました!」

 それを聞いて悟空は「そうか」と短く言い、対照的に翠蘭とロニの顔には驚愕がはり付いている。

「どうか如来様にお伝えください!拙僧は殺生の罪を他の者へ背負わせようとした卑劣者でございます!この罪は必ず地獄で償うと!」

「ああ。戻れたら伝えとく」

 ロニが車を発進させるとバックミラーに大勢の僧侶たちが拝む姿が映っていた。

「俺は信じない……信じないからな……」

 彼は運転しながら小さく呟いた。

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