第11話

 太陽の光が顔をなでる。ベッドで寝返りをうって、俺は枕元にある目覚まし時計を手に取った。まだ朝の七時前だ。普段だったらまだ寝ている時間だが、頭はスッキリしている。昨日、早く寝たからだろう。

 ひんやりとした空気が流れてきた。布団のぬくもりとのバランスが丁度いい。このまま、また寝てしまおうか。意識が再び夢の世界へ沈みかけたところで、スマートフォンが震えた。

 誰だろう?

 俺はスマートフォンを手に取る。ディスプレイにはリョウガの表示。リョウガさん? こんな風に連絡してきたのは初めてだ。何の用だろう。とりあえず出てみる。

「もしもし」

「貴史くん、おはよう。ちょっといいかな」

「いいですよ。どうかされましたか」

「ちょっと確認したいんだけど、ショウって何かあった?」

 えっと、ショウって誰だっけ? ああ、祐輔のことか。でも、「何かあった?」ってどういうことだろう? 祐輔といえばーー。俺は昨日の部室での騒ぎを思い出す。

 でも、どうしてリョウガさんがそんな話を知っているんだろう。もしかして、祐輔が相談でもしたんだろうか。

「ええ、確かにありましたけど。あいつから聞いたんですか」

「ん? 何かあったんだね。実はさ、昨日の夜からショウと連絡が取れなくなってるんだ。予約も入ってたのに、何の連絡もなくて。結局来なかった。ショウにしては珍しいなと思って」

 確かに何の連絡もしないなんて、祐輔にしては珍しい。でも、あんなことがあった後だ。仕事をする気分にならなかったのかもしれない。とりあえず、俺からも無断欠勤のフォローはしておいた方がいいだろう。

「実は昨日、大学のサークルのメンバーが『◯◯であいつとお客さんが一緒にいたところを見た』って大騒ぎしたんですよ。その場は何とかしのいだんですけど、精神的に参っちゃったのかもしれません」

「ふぅん、そういうことがあったんだね。だったら、バイトに来たくなくなるのもわからなくはないけど」

 バイトを無断欠勤したらもっと怒ってもよさそうなものだ。俺のバイト先だったらーー。想像するだけで気が重くなる。リョウガさんが物わかりのいい人で良かった。

「とりあえず昨日はこっちで何とかしておいたけど、会ったらきちんと連絡するように伝えておいてくれないかな。仕事のこともそうだけど、僕が力になれることもあると思うからさ」

「わかりました。俺から連絡しておきますね」

「助かる」

 リョウガさんとの話が終わり、俺はメッセンジャーアプリですぐに祐輔へ連絡を入れる。だが、既読がつかない。まだ寝ているんだろうか。まあ、昨日のこともある。後で家まで迎えにいってやるか。

 さて、すっかり目が覚めてしまった。今後のことを整理するためにも、ちょっと外の空気でも吸うか。着替えて部屋を出たら、飼い犬のジョンが近寄ってきた。

「なんだよ、ジョン」

 ジョンは一生懸命にしっぽを振って、つぶらな瞳でこちらを見つめる。要望は明白だ。

「わかったよ。散歩に連れてくって」

 俺は玄関にむかう。置いてあるリードとエチケット袋を取ったら、ついてきたジョンが飛びついてきた。

「わかった、わかった」

 俺ははしゃぐジョンにリードを着けて、玄関で靴を履く。その時、家の奥でドアが開く音がした。

 恵里だ。

 ボサボサ頭のパジャマ姿で、大きなあくびをしている。ジョンがワンと一吠えしたら、こちらを見た。

「ああ、お兄ちゃん。ジョンの散歩行ってくれるんだ。いってらっしゃい」

 そう言うと恵里は手を振って、洗面所の方へ行ってしまった。

 何が「いってらっしゃい」だ。ジョンはお前が「飼いたい」って言ったんだろうが。

 犬を飼うことになった時、俺は日本犬にしようと言ったのだが、恵里はシェットランドシープドッグを飼いたいと譲らなかった。それでウチに来たのがジョンだ。

 恵里も最初の頃こそ面倒を見ていた。だが、そのうち世話をサボるようになり、今では気が向いた時だけ遊んでやるくらいだ。

 代わりに夜鳴きをする子犬のジョンが寝るまで一緒に寝てやったのは俺だ。それもあって、すっかり俺の子になっている。

 考えてみれば、俺って押しに弱いよな。祐輔の件だってそうだ。でも、頼られるのはやっぱり嬉しいんだよな。

 ジョンが玄関の扉を爪でひっかきはじめた。はいはい、待たせて悪いな。俺はジョンに引っ張られて、玄関を出た。


 いつものお散歩コースを周り終えて、家についたら、朝ごはんの準備ができていた。俺はさっと食事を済ませて、祐輔の家に向かう。

 玄関でインターホンを押してみたが、特に反応はない。ドアに手をかけてみる。相変わらずカギがかかっていない。

 まったく。あいつは日本に泥棒がいないとでも思っているのだろうか。防犯意識があまりにも低く過ぎる。俺は「祐輔」と呼び掛けながら部屋へ入っていった。

 前回のように寝てしまっているのかもしれない。

 そう思ったが、ベッドのある部屋には祐輔の姿はなかった。じゃあ、風呂でも入っているのだろうか。だが、バスルームにもいない。隅々まで調べたが、結局見つからなかった。

 まあ、ドアを開けたままということは、ちょっと出掛けただけなんだろう。きっと近くのコンビニへでも行ってるんじゃないか。いずれにしても起きてるなら、もう一回連絡してみるか。俺はスマートフォンからメッセージを送ろうとして、画面を開く。だが、朝に送った内容に既読がついていなかった。

 ん?

 俺はもう一度、部屋を見渡してみる。何かおかしいところはないだろうか。記憶を総動員してひとつひとつ再チェックした。

 そして、俺は気がついた。祐輔が温泉旅行の時に持ってきていたカバンが見当たらない。

 なくなった荷物がある。連絡が取れない。そこから導き出される答えは? もしかしてーー。俺の頭にひとつの可能性が浮かんでくる。

 失踪。

 まさか。そんなことがあるだろうか。しかし、祐輔には姿を消す理由がある。こんな想像は馬鹿げたものであってほしい。今にでも祐輔がいつも通り「貴史、何してるの?」と言って、帰ってくる。そうに違いない。

 そうだ。祐輔がいくら無用心でも部屋のカギを締めずに出ていくハズがない。きっとコンビニに行っているんだ。だから、待っていれば帰ってくる。

 それから俺は部屋で一時間ほど待った。けれども、祐輔は一向に帰って来る様子がない。なんでだ。既読もまだ付いていない。

 そんな、バカな。実はあいつも早く起きて、もう大学に行っているんじゃないか。そうだ。一限があればあり得ない話じゃない。早速、弘樹に連絡を取った。

「もしもし、弘樹?」

「ああ、貴史か。どうした?」

「お前、大学で祐輔に会ったか」

「いいや、そういえば授業でも見てないな」

「そうか、ありがとう」

 どうやら授業には出ていないらしい。じゃあ、サークルの部室? 今の時間だったら美紀先輩がいるだろう。俺は美紀先輩にメッセージを送ってみた。

 しかし、美紀先輩からもサークル部室では見てないという返事があった。

 俺は改めてスマートフォンを確認したが、やはり既読はついていない。

 とりあえずここにいてもらちがあかない。そう思って部屋を出ようとした。その時、ポケットにしまったスマートフォンが振動する。

 なんだよ。ビックリさせやがって。小言のひとつでもいってやろうか。そう思って、俺は画面を確認した。

 リョウガさんだ。

 もしかしたら、リョウガさんの方が先に連絡が取れて、バイト先で怒られているのかもしれない。

「もしもし」

「貴史くん? ショウと連絡取れた?」

「そっちに行ってないんですか」

「んー、来てないよ」

 俺は思わずスマートフォンを落としてしまった。慌てて拾いあげる。

「なんかすごい音がしたけど、どうした?」

「すいません、スマホ落としちゃって」

「そそっかしいな」

「あの、リョウガさん」

「ん?」

「俺、今、あいつの家にいるんです。一時間くらい経ったんですけど、あいつ帰って来なくて」

「え?」

「友だちにも連絡したんですけど、誰もあいつを見てないって言うんです。それにあいつの旅行カバンが部屋にないんですよ」

 しばらくの沈黙。

「そうか。もしかしたら、ショウ逃げちゃったのかもしれないな」

 そうかもしれないと思っていたことをずばり言われた。

「俺もそうかもしれないって。リョウガさん、どうしたらいいですか」

「この業界、従業員が急にいなくなるのは珍しいことじゃないんだ。だから、追跡するためのネットワークも一応はある。こっちで調べてみるよ」

「ありがとうございます。あの、リョウガさんーー」

「どうしたんだい」

「俺、昨日あいつを家に送った時、『家に泊まってほしい』って言われたんです。でも、つまんない用事を理由に断っちゃって」

 思わず声が震える。

 そうだ、昨日の祐輔はかなり傷ついていた。一緒にいてやるべきだったんだ。それなのに、俺は恵里を説得するのを面倒くさがってーー。親友だなんて言いながらなんてザマだ。結局、俺は祐輔よりつまらない用事を優先してしまった。

「そっか。だとしたら、『何かできたかもしれない』って考えちゃうよね。でもさ、それは可能性でしかないんだよ。昨日、貴史くんが泊まったとしても、別の日にショウはいなくなったかもしれない」

「でも、俺はあいつが傷付いていたのを知ってたんです。それなのにーー」

 そうだ。泊まれなくても、五分でも話は聞いてやれたハズだ。もしかしたら、それでこの事態は避けられたかもしれない。なんで俺はそんなことすら思い浮かばなかったんだろう。なんて頭が悪いんだ。いつも偉そうなことを言ってる癖に肝心な時、役に立たない

「そうだね。自分が最後に会った。そう思ったら、どうしても自分を責めちゃうのはわかるよ。けどさ。今の状況を知らなくて、違う決断ができたと思うかい」

 あの時点ではこんなことになるなんて思っていなかったのは事実だ。祐輔に「大丈夫」と言われて、「そんなことないだろ」と自分が言えたかと聞かれれば自信はない。でも、でも。いろいろな仮定で俺の頭はいっぱいになる。

「わからないです」

「だろ。多分、できなかったよ。だから、仕方ないんだ。そもそも起きてしまったことは取り消せない。誰でもミスはするんだ。今、反省していても、ショウは帰ってこない」

 リョウガさんの言葉が胸にずしりと刺さる。だが、彼の言う通りだ。過去に自分ができたことを考えてもやり直せる訳じゃない。リョウガさんは続ける。

「大切なのは失敗をどう挽回するかだよ。自分自身を責める気持ちがあるなら、これから何ができるかを考えてごらん。それが責任を取ることだって僕は思うよ」

「わかりました」

「よし。ショウのヤツを見つけ出したら、『こんなに心配させやがって』ってとっちめてやろうぜ」

「そうですね」

「じゃあ、何かわかったら連絡するよ」

 そうだ、リョウガさんの言う通りだ。まずは祐輔を見つけ出そう。

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